第三十一帖 姫様、まとわりつかれる!
「おひい様」
真夜の声で、日和は、舞い上がってしまっていた気持ちを少し落ち着かせることができた。
「ご返事はどうされますか? 今、お答えすることができますか? それとも後日にいたしますか?」
真夜が日和の顔を覗き込んだ。
真夜の顔は真剣ではあったが、日和を追い詰めるものではなく、じっくり考えれば良いというメッセージを送ってくれていた。
「えっと、……少し時間がほしいのじゃ」
日和が小さな声で呟くと、真夜は、季風から日和を守るように、その前に立ち塞がった。
「菅原殿。貴殿の告白は、卑弥埜家の姫であるおひい様にとっては、すごく重要なことなのです。軽々に返答できないことは分かっていただけますね?」
「……分かりました。でも、どれくらい先になりますか?」
「それは分かりませんが、後日、必ず、お返事させていただきます。よろしいですね、おひい様?」
日和は黙って頷くことしかできなかった。
「菅原殿。菅原殿がおひい様にお伝えしたいことがまだあれば、今、すべてを出し切ってください」
季風は頷くと、日和の顔を真っ直ぐに見つめた。
「季風はね、小さい頃に、大好きだったお姉さんを事故で亡くしたのです。その後も、学校で仲良しだった女の子の何人もに不幸が降り掛かってきたんです。季風の側にいる女の子にはみんな、良くないことが起きるんです」
「……」
「だから、季風は女の子とおつき合いすることを諦めていたのです。もう誰も不幸せにしたくないから」
「……」
「だから、最初は、季風がヒヨちゃんの側に寄ると、ヒヨちゃんを不幸にしてしまうかもって躊躇しましたけど、季風に優しく声を掛けてくれたヒヨちゃんと、もっと仲良くなりたいって気持ちを抑えることができなかったのです」
「……」
「それと、これは季風の勝手な思い込みかもしれませんが、卑弥埜の姫様であるヒヨちゃんなら、そんな季風の変なジンクスなんて吹き飛ばしてしまうかもって思ったのです」
季風は、自分の周りで何か悪いことがあった場合、それは全部、自分のせいだと思い込む性格なのかもしれなかった。そしてそれが、転校してきてからの自信の無さげな態度の原因なのであろう。
「き、季風さん」
「はい」
「四臣家の四人からの誘いを断ったのも、だからなのか?」
「それもありますけど、季風は、どうせ一年くらいでいなくなってしまうのですから、仲良くなろうとする彼らの労力が無駄になるじゃないですか」
「であれば、菅原殿」
真夜が一歩前に進み出た。
「もし、貴殿とおひい様がおつき合いすることになっても、一年後には貴殿はいなくなるのでござろう? 将来の別離が見えているのに、おひい様には仲良くなってくれと言うことは矛盾していませんか?」
「ちゃんとそう言う話がまとまれば、季風が卑弥埜の家に入ることを、季風の父親も許してくれるでしょう」
「いきなり結婚を前提にされているのですか?」
「それだけ好きなのです」
「昨日、出会ったばかりなのにですか?」
「好きと言う感情の深さは、出会ってからの日数に比例するとは限らないですよね?」
「それはそうですが……」
中間の過程をすべて吹き飛ばして、いきなり結婚まで考えている季風の考え方に、真夜も少しの間、考え込んでしまった。
真夜は、目配せで、日和に「他に訊きたいことはないか」と訊いたが、日和も、まだ自分の考えがまとまっておらず、特段、訊きたいこともなかった。
「菅原殿。他にお伝えしたいことは?」
「いえ。季風の気持ちは、すべてをお伝えしました」
「分かりました。おひい様も真剣に考えられて、結論を出されるはずです。本日はこれでお引き取り願います」
「分かりました」
季風は真夜の言葉に素直に従い、去って行った。
その後ろ姿を見送る日和は、初めて異性から告白されて、まだ思考停止状態であった。
「おひい様」
真夜に肩を揺さぶられて、はっと我に返った日和は真夜の顔を見た。
「ま、真夜。ど、どうしよう?」
「おひい様が告白されたのです。拙者の意見など訊かずに、おひい様が自分の正直な気持ちを返答されたら良いのです」
「わらわの正直な気持ち?」
「ええ、おひい様は、他にどなたか、お好きな男性はいらっしゃるのですか?」
「まだ、おらぬ!」
「四臣家の皆さんは?」
「あの四人は、みんな好きじゃが、何と言うか、友達として好きなのじゃ!」
「すると、四人の中にも、恋人になりたいという男性はいないのですな?」
「……おらぬ」
「では、恋人が欲しいという気持ちはあるのですか?」
「な、何なのじゃ、真夜? 今日に限って、食いついてくるのう」
「良い機会ですから、はっきりとさせておきたいのです。この学校に通い出した本来の目的をお忘れではないでしょうな?」
「わ、忘れてはおらぬ!」
「おひい様の人見知りは、四臣家の方限定ですが、ほぼ解消されている気がいたします。後は」
「分かっておる! わ、わらわだって、お母様の娘じゃ!」
「……そうでしたな。おひい様もきっと一途な恋をされるのでしょうな。だとすれば、一生添い遂げられるような男性をゆっくりとお選びになるべきですな」
「う、うん。季風さんは、まだ、どんな人なのか分からないのじゃ」
「そうですな。とりあえず、菅原殿への返答はしばらく先延ばしにいたしましょう。大切なことですから、じっくりと考えるべきと言えば分かってくれるでしょう」
次の日の朝。
雨が降るのを何とか持ちこたえているという曇天。
日和と真夜が登校していると、交差点の角に季風が立っているのに気がついた。
キョロキョロと辺りを見渡していた季風が日和達に気がつくと、笑顔で近づいて来た。
「おはようございます」
日和と真夜が挨拶を返すと、季風は、日和の隣を並んで歩こうとした。
しかし、それを真夜が許す訳がなく、素早く日和と入れ替わった。
「昨日も申しました。拙者はおひい様の護衛役でございます。本当に信頼できる方以外の方には、まだ、おひい様の隣に立たせる訳にはまいりません」
「季風のこと、信用できないと言うんですか?」
季風が少し頬を膨らませて真夜を睨んだ。
真夜は、その視線を真っ向から見返した。
「ええ、そうです。貴殿とは、まだ、お会いして数日しか経っていません。貴殿と言う人間がどんな人間なのかも分からぬのに、信用しろと言われても、それはできぬと言うものです」
「あの四人とはいつも仲良くしているのに?」
「四臣家の方々とも最初はそうでした。何日か、おつき合いをさせていただく中で、相手の人となりが分かるのです。誰も特別扱いなどしておりませぬ」
「ヒヨちゃんの意見もそうなんですか?」
真夜越しであったが、何となく責められているように聞こえた日和は、少し焦った。
「そ、そうじゃ。季風さんのことを嫌いじゃと言っておるのではない。同級生として、もう少しおつき合いをさせてもらわぬと、わらわだって分からぬのじゃ」
真夜は、昨夜、練習していたとおりの模範解答が言えた日和に満足そうな顔を見せてから、季風に向き直った。
「と言うことでござる。おひい様の結論が出れば、おひい様から貴殿にお伝えするので、それまでは、同級生として、他の人達と同様に接していただきたい」
「……分かりました」
季風は憮然とした顔をして、足早に去って行った。
日和が教室に入ると、先に着いていた季風は、自分の席で文庫本を読んでいた。
途中、季風と話をしていたからか、今朝は、日和が一番遅く、四臣家の四人は既に席に着いていた。
「おはようなのじゃ」
四人から挨拶を返されながら日和が席に座ると、早速、四人が日和の方を向いた。
「今朝、季風の野郎がつきまとってたな」
「夏火さんも見たのか?」
「ああ、ちょうど冬木と一緒にな」
「梨芽がいなければ、学校までずっとついて来そうな雰囲気だったな」
「そ、そうかも」
「日和! 迷惑なら迷惑だって言ってやれよ!」
「迷惑と言うほどではないのじゃ。それに今朝は、真夜がはっきりと言ってくれたから、これからは大丈夫だと思うのじゃ」
と言う日和の考えは甘かった。
休憩時間こそ、季風は日和に近寄って来なかったが、昼休みに中庭でお弁当を食べている日和と真夜の目線の先には、季風がいた。
季風は、日和達の目の前にある花壇の煉瓦に腰掛けて、まるで日和と真夜の二人を見張っているかのように、日和達から視線を外さずに、パンを頬張っていた。
「誤魔化すこともせず、こっちを見つめていますな」
「な、何か気になってしまうのじゃ」
「もしかして、あれをこれからも続けられるつもりでしょうか?」
「わらわが返事をするまでか?」
「返事をしても止まないかもしれませんな」
「そ、そうなのか?」
「ええ。おひい様が菅原殿とおつき合いすると返事をするまでですが」
「そ、それはひょっとして、世に言う『スピーカー』とか言うことか?」
「……『ストーカー』でございますね」
「……そ、そうじゃ。よく分かったの。ちょ、ちょっと、真夜を試してみたのじゃ」
「間違えなくて良かったです」
「ふ、ふふ、ふふふ」
「おひい様、変な汗をかいておりますぞ」
「気にするでない」
その日の放課後。
手芸部では部員全員が集まって、文化祭に向けての取り組みとして何をするかの議論が続いていた。
昨日までの議論で、和歌と稲葉姉妹が昨年同様の巨大パッチワーク製作を提案したが、美和が部長としての独自色を出して昨年と違う内容にしたかったのか、学校の近所にある老人ホーム入居者へのプレゼントとして、巾着袋を百枚作ろうと言い出したのだ。
日和は、やはり実用的でお年寄りにも喜ばれる巾着袋の方が良いと思い、美和の案に賛成した。
日和が自分の味方をしてくれたため、昨日から上機嫌な美和は、「パッチワークはシロちゃんとウサギちゃん、そして和歌ちゃんの三票、巾着袋は、私個人分に部長としてのアドバンテージ分を加えた二票に日和ちゃんの一票で合計の三票! ちょうど同点ね」とよく分からない理論を展開させていた。
「では、パッチワーク案の人の意見を『念のため』聞きます」
和歌は、パッチワークが採択される余地は無いなと思いつつ立ち上がった。
「やっぱり、せっかくクラブで作るんですから、後に残るものが良いと思います。巾着袋も悪くはないですけど、文化祭とは別に作ったら良いんじゃないでしょうか?」
一年生の和歌も臆することなく自分を意見を述べ、稲葉姉妹も無言で頷いた。
「では、巾着袋案の人の意見を聞きます。日和ちゃん!」
「わらわの意見は、昨日、言ったのじゃが」
「もう一回聞きたいの」
「は、はあ、……これまでの手芸部の活動ペースから考えると、文化祭への取り組みとは別に巾着袋を作るのは無理ではないかと思うのじゃ。それに物として残しても、それは、いつかは朽ちるけど、素敵な思い出は朽ちるどころか色褪せることもないと思うのじゃ」
「良い! 素敵! 素敵な思い出は色褪せない! そうよ! 私と日和ちゃんの思い出も色褪せたりしないわよ!」
「ど、どうもなのじゃ」
「でも結局、同点なのは違いないですよ」
「再投票をしましょうか?」
「私はまだ意見を変えるつもりはありませんけど」
和歌の意見に稲葉姉妹も頷いた。
「あなた達、けっこうしぶといわね」
美和の低い声に和歌と稲葉姉妹は震え上がったが、勇気を出して、提案を撤回することはなかった。
議論が行き詰まってしまった時、コンコンと部室の扉がノックされた。
美和が頷くのを見て、和歌が立ち上がり、扉を開けた。
そこには、季風がいた。
「こんにちは! 何かご用ですか?」
「こんにちは! あなたも可愛いですね」
「へっ?」
男性からそんなことを言われたのは初めてなのか、フリーズした和歌の脇から、季風は部室に入って来て、日和に近づいて来た。
「ヒヨちゃん、季風も手芸部に入ります」
「えっ!」
「別に女子限定って訳じゃないんでしょ?」
そんな規則があるとは日和も聞いていないが、反射的に、「歩く手芸部の規則」である美和の顔を見た。
美和はすぐに立ち上がり、日和の横に立った。
「あなた、どなた? 神術学科の生徒みたいだけど」
「あ、あの、わらわの同級生の菅原季風さんなのじゃ」
「日和ちゃんの同級生?」
「そうで~す。よろしくお願いしま~す」
既に友達気分でような口振りで挨拶をする季風に、美和の笑っていない笑顔が返された。
「お願いしますって、何をお願いされようとしているのかしら?」
「季風さん! こちらは手芸部の部長で上級生じゃぞ!」
美和のこめかみに青筋が立つのが見えた日和が慌てて季風に言った。
「分かってますよ。でも、どうせ季風はヒヨちゃん以外の人と仲良くするつもりはないですから」
「そ、それより、手芸部に入部するって、どうしてなのじゃ?」
季風の言葉を遮るように日和が尋ねた。
「季風は手芸が好きなんです。これは本当のことですよ。だから、ヒヨちゃんと一緒にしたいと思って」
「……」
「ねえ、良いでしょ?」
「そ、それは部長が決めることじゃから」
「そうなんですか? 部長さん、季風も手芸部に入れてください」
美和が、ずいと威嚇するように季風に迫った。
「あんた、誰に向かって口を利いているの?」
「誰って、部長さんなんでしょ?」
「我が手芸部はね、心技体が一体となった境地に到った者だけが入れるクラブなのよ!」
「そんなの初めて聞いた。……ひいぃ!」
ボソッと呟いた和歌に般若のような顔をした美和の視線が突き刺さった。
「先輩に対する口の利き方も満足にできないドキュン野郎の入部は認めません!」
「そんなあ~、横暴ですよ!」
「横暴じゃありません! それに、ヒヨちゃんだなんて、私ですら呼んだことのない呼び方して! あなたは日和ちゃんの何なの?」
「その言葉はそっくりそのまま部長に返したいです」との和歌の小さな呟きに、稲田姉妹も大きく頷いた。
「友達ですよ」
「日和ちゃんは困っているじゃないの! 相手を困らせるような友達なんて友達じゃありません!」
「ヒヨちゃんと季風が友達なのかどうかは、ヒヨちゃんが決めることで、あなたが決めることじゃないでしょ?」
季風の言うことは正論であって、美和は言葉に詰まったが、すぐに反撃を開始した。
「とにかく、入部は不許可! 手芸部は女子限定なの!」
「さっきは女子限定って言わなかったじゃないですか?」
「うるさいわね! それに今、大事な議論をしているの!」
「何の?」
「あんたには関係な…………。菅原君」
「何ですか?」
何かを思いついたように、美和の笑顔から怒気が消えた。
「手芸部員としてのあなたに訊きたいことがあるの」
「手芸部員としてですか?」
「そうよ」
美和の不気味な笑顔に、部室の空気が凍りついていた。
「今、うちの部は、文化祭で巨大パッチワークを作るか、プレゼント用の巾着袋を作るかで、すごくもめているの。あなたはどっちが良いと思う?」
「そんなこと、急に言われても」
「ちなみに、日和ちゃんは巾着袋が良いって言ってるわよ」
「じゃあ、季風も巾着袋!」
「はい! 手芸部として文化祭で取り組むのは、四対三で巾着袋に決定しました!」
美和の一人芝居に誰もついていけなかった。
「続いて、次の議案の決議を採ります!」
季風までもが唖然としていた。
「手芸部部員は女子に限定するとの規則改正に賛成する諸君の挙手を求めます! はいっ!」
提案をした美和自身が率先して手を上げた。しかも反対は許さないという鬼のオーラを放ちながらだ。
恐れおののきながら、和歌と稲葉姉妹は挙手をした。日和は季風を前にして露骨に挙手することが躊躇われた。
しかし、すぐに採決がされた。
「部長としてのアドバンテージ分を加えて賛成票五票! たった今から手芸部は女子限定のクラブにすると規則が改正されました。したがって、今日、入部したばかりの男子部員は自動的に退部となりました!」
「ちょ、ちょっと! それって横暴すぎる!」
季風が反論をしたが、美和には、馬耳東風でしかなかった。
「残念だったわね、おととい来やがれですわ!」
美和は、季風の背中を押して部室から無理矢理押し出すと、扉の鍵を閉めた。
「まったく! 男のくせに手芸だなんて、目的が見え見えじゃない! どうせ、日和ちゃん目当てなんでしょうけど、そんな陰謀は、この私が、握りつぶして・み・せ・る!」
歌舞伎の見得を切った美和に「三輪屋!」と和歌が声を掛けた。




