第三十帖 姫様、告白される!
次の日の朝。
日和が、四臣家の四人と話をしていると、季風が、やはりオドオドとした様子で教室に入って来たのが見えた。
何人かの女子からは挨拶をされていたが、男子からは無視されているようであった。
昨日一日だけで、季風が「ナヨナヨした女々しい奴」というイメージが完全に出来上がっていて、呼び掛けてもモジモジとして、まともな返事もできなかったからであろう。
席についた季風は、鞄から文庫本を出すと、周りとの繋がりを絶つように読み始めた。
その一部始終を見ていた日和は、転校して来てからの自分に重ね合わせて、ますます季風が可哀想になってきた。
自分の場合、いきなり四臣家の四人の真ん中に座らされて、否応なくそのおしゃべりの輪の中に放り込まれて、最初はどう接して良いものか分からなかったが、四人四様の優しさや誠実さで接してくれて、四人とは自然と話ができるようになった。
季風にも積極的に話し掛けてあげる友人が必要だと考えたが、それに自分がなっても良いかなと考え始めていた。
その日の三時間目、体操着に着替えた神術学科二年壱組の生徒は全員、体育館に集まっていた。
今日の体育は、二人一組になってバドミントンの練習をすることになっていた。
「それでは、近くの人とペアになって!」
体育教師のこの声で、四臣家の四人は、すぐに日和の側にやって来た。
「日和さん、一緒にしましょう!」
「日和! 俺と組もうぜ!」
「日和ちゃん、僕がちゃんと教えるから!」
「自分なら卑弥埜の弱点をすぐに指摘することができるぞ、たぶん」
誰か一人を決めることなどできなかった日和は、「ジャンケンで」と言おうとしたが、その視線の先に、あちこちを見渡している季風を見つけた。
誰も季風とペアを組もうとする生徒はおらず、よく見ると、日和と季風、そして四臣家の四人の計六人だけがまだペアになっていなかった。
普段から仲が良い四臣家の四人なら、誰とでもペアになれるはずだが、季風にはまだそんな友達はいないはずだ。誰かが手を差し伸べるとしたら、それは自分であろうと思った日和は、朝に考えていたことを思い出し、四臣家の四人を置き去りにして、季風に近づいた。
「季風さん」
後ろから日和に声を掛けられた季風は、びくついて振り返ったが、相手が日和だと分かり、緊張していた顔が緩んだ。
「わ、わらわと一緒にするか?」
思いも掛けず、日和から誘ってもらって、季風は満面の笑みになった。
「ありがとうございます、卑弥埜様!」
「わらわは、バドミントンなどしたことがないのじゃが、季風さんは?」
「バスケはやっていたんですけど、バドミントンはやったことないです」
「したことがない者同士じゃな。大丈夫じゃろうか?」
「さあ?」
二人して不安がっている日和と季風を、日和に振られた形の四臣家の四人は呆然と見つめていた。
練習が始まると、生徒全員が体育館一杯に広がって、一斉にラケットを振り始めた。
日和と季風の右隣には夏火と冬木が、左隣には春水と秋土がペアになって、バドミントンの練習をしながらも、日和と季風の一挙手一投足を監視しているようであった。
バドミントンは初めてと言っていた季風も、やっぱり男の子で、何回か練習をすると、日和に向けて、真っ直ぐに羽を打つことができるようになったが、日和は、ラケットが空を切るばかりで、羽を前に飛ばすことができなかった。
「季風さん、すまぬのじゃ」
「いえ、卑弥埜様のお相手をさせていただくだけで幸せです」
「季風さん、同級生なのじゃから、わらわのことは様付けで呼ばなくても良いのじゃ」
「でも」
「この両隣にいる四人は、わらわのことを名前で呼んでくれるのじゃ。わらわは、そっちの方が嬉しいのじゃ」
日和のこの言葉に四人が反応して、一瞬、四人のラケットの動きが止まったが、すぐに再開された。
「よろしいんですか?」
「良いのじゃ」
「では、何とお呼びしましょうか?」
「季風さんの呼びたいように呼べば良いのじゃ」
「それじゃあ……」
日和は季風の顔付きが変わった気がした。
今までのオドオドした雰囲気が消えて、ねっとりとまとわりつくような視線で日和を見ていた。
「ヒヨちゃんでも良いですか?」
「へっ?」
「アメリカでは友人のことをニックネームで呼んでいたので」
余りの変わりように、日和も、一瞬、面食らったが、アメリカから来た季風が言うことだからと、何となく納得してしまった。
「良いのじゃ」
日和が許可をすると、季風が満面の笑みで、日和の両手をいきなり握った。
「ありがとうございます! ヒヨちゃん!」
――ポカッ!
夏火の拳が文句を言うより先に出ていた。
軽く小突く程度であったが、拳骨で後頭部を叩かれた季風は、手で後頭部を押さえつつ、振り向いて、涙目で夏火を見た。
「痛~い!」
「痛いじゃねえよ! 何、勝手に日和の手を握ってるんだよ!」
「な、夏火さん! 暴力反対なのじゃ!」
日和から意見された夏火は少したじろいだ。
「お前だって、いきなり手を握られて嫌だっただろ?」
「ちょっと、びっくりはしたけど……」
「いずれにしても、いきなり叩くのは許されないでしょう?」
「ああ、そうだよ。菅原君に謝りなよ」
春水と秋土にも責められて、夏火は渋々、季風に頭を下げた。
「す、すまなかったな」
しかし、季風は無愛想な表情になって、ぷいっと横を向き、夏火の謝罪を受け入れようとはしないようであった。
「季風さん! 夏火さんも謝っておるのじゃから許してあげてたもれ」
日和が言うと、季風はすぐに笑顔になった。
「ヒヨちゃんがそう言うのなら、季風は全然、気にしないことにしてあげます」
それまでのへりくだった態度や物言いから急変して、馴れ馴れしく話し出した季風がどんな人間なのか、日和には分からなくなってしまった。
体育が終わり、制服に着替えて教室に戻った日和に、四臣家の四人からの質問攻めが待っていた。
「卑弥埜は、菅原といつの間にあんなに親しくなったんだ?」
「日和ちゃんの方から誘うなんて、どうしたの?」
「強力なライバル出現なのでしょうか?」
「日和の趣味は、あんな男なのかよ?」
「そ、そんなに一斉に言われても困るのじゃ!」
まさか、こんなに突っ込まれるとは思ってなかった日和は焦ってしまった。
「じゃあ、僕から訊くよ」
秋土が四人の代表として質問することに、他の三人も反対しなかった。
「日和ちゃんが男子に向かって積極的に声を掛けたのを初めて見たから、みんな驚いているんだ。菅原君に日和ちゃんから声を掛けたのはどうしてなの?」
「あ、あの、……昔の自分を見ているようで、可哀想でならなかったのじゃ」
「えっ?」
「わらわも最初は季風さんみたいに、みんなに声を掛けることはできなかったけど、みんなの方から声を掛けてもらって、少なくとも、この四人とは友達になれることができた……と思っておるのじゃが?」
「もちろん、間違ってないよ! 僕らだって日和ちゃんは大事な友達だと思ってるから!」
秋土の言葉に全員が頷いた。
「う、うん。嬉しいのじゃ」
日和は、顔を赤くして微笑んだ。
「でも、季風さんには、近くに寄ってあげる人が誰もいないから、いつも独りぼっちで可哀想じゃと思って……。同じ思いをしたわらわが助けてあげるべきではないかと思ったのじゃ」
「つまり、日和ちゃんが菅原君とペアになったのは、菅原君の友達になってあげて、寂しい思いをさせないためであって、それ以上の感情は持っていないということなんだね?」
「それ以上の感情って、何なのじゃ?」
「そ、それはさ、その、菅原君のことが好きになったとか」
「えーっ! そんなことはないのじゃ! わらわには、まだ好きな人はおらぬ!」
「だ、誰も?」
「そうじゃ!」
日和の返事を聞いて、四人全員ががっくりと肩を落とした。
「ど、どうしたのじゃ?」
四人が落ち込む理由が分からなかった日和は、ぽかんとした顔をして四人を見つめた。
「う、ううん。別に良いんだけどさ」
落ち込んでいた秋土も、すぐにいつもの秋土に戻った。
「でも、さっきの菅原君は少し変じゃなかった?」
日和が感じた季風の急変ぶりは四臣家の四人も感じていたようだ。
「昨日の今日で、いくら何でも馴れ馴れしくしすぎだろう?」
「そうですね。体育の時間までは、ずっと何かに怯えているような雰囲気でしたけど、日和さんから優しくされた途端に人が変わった気がしました」
「ひょっとして、あれが菅原の本性なのかもしれないな」
日和と四人が季風を見ると、何事も無かったかのように、いつもどおり、自分の席で文庫本を読んでいた。
「優しくされた日和さんにだけ、心を開いたのかもしれませんね」
「いきなり開きすぎだっての!」
「でも、菅原さんは、これまでずっとアメリカにいた訳で、ニックネームで呼び合ったり、フレンドリーに接することは、アメリカでは普通のことだとは思います。だから、緊張が解けて、アメリカでやっていた行為が自然に出たのかもしれませんね」
「突然、日和ちゃんの手を握られて、日和ちゃん以上に僕達がびっくりしてしまったけど、冷静に考えてみると、春水の言うとおりの気もするね」
秋土も春水の考えに同調した。
そして秋土は他の三人を見渡しながら言った。
「菅原君も昨日から同級生になったばかりで、僕らだって、彼がどんな人なのか、まだ分かってないよね。でも、日和ちゃんのように、僕らからもっと積極的に話し掛ければ、菅原君もいろいろと話をしてくれるかもしれないじゃない? もしかしたら、もっと仲良くなれるかもしれないよ」
クラス委員の秋土も、クラス内で季風が孤立していることが気になっていたようだ。
しかし、夏火と冬木は違う意見を持っていたようだ。
「ここは日本なんだよ! 郷に入れば郷に従えだ! 勝手に日和の手を握ったことは許せねえ!」
「それは同意見だ。卑弥埜が転校して来て三か月経つと言うのに、自分だって、卑弥埜の手はまだ握っていないのだからな。そこいらのアイドルグループの握手券より貴重なんだぞ」
「いや、そもそも日和はCDを出してねえし」
「な、な、何を言っておるのじゃ、二人とも!」
春水と秋土の真面目コンビとは対をなす、夏火と冬木の不真面目コンビは今日も絶好調であった。
「とにかく、俺は、いまいち、あいつの性格がよく分からなくなったんだ。内気かと思っていたけど、そうでもなさそうだし」
「だからさ、その疑問を解くために話をしてみようよ。今日のお昼は、菅原君を誘ってみない?」
「え~! あいつと一緒に飯を食うつもりかよ?」
秋土の提案に、夏火があからさまに嫌な顔をした。
「話してみると、意外と面白い方かもしれませんよ」
春水のフォローに、夏火と冬木も渋々、承知をした。
「日和ちゃんはどうする?」
秋土の問いに日和は首を振った。
「季風さんは男子なのじゃから、まずは、男の子同士で仲良くなった方が良いと思うのじゃ。みんなが仲良くしてくれるのであれば、わらわも安心なのじゃ」
お昼休みが終わる十分前。
今日は天気が良く、いつもの中庭で真夜と一緒にお弁当を食べた日和が教室に戻ると、四臣家の四人は既に席に着いていた。
しかし、その表情は一様に憤慨しているようであった。
「みんな、どうしたのじゃ?」
四人がいつもと違う雰囲気であることもすぐに分かるようになった日和が秋土に訊いた。
普段は温厚な秋土までも憮然としていた。
「ああ、日和ちゃん。いや、何と言うか、……とりあえず、彼は男子の友達はいらないみたいだね」
「えっ?」
「だからよ、あいつは俺達と友達にはなりたくないんだとよ!」
日和は、夏火がまだ冗談要素を残して怒っているのか、マジで噴火しているのかの違いも分かるようになっていたが、今はマジで怒っていた。
「どう言う意味なのじゃ?」
日和が、ふと季風を見ると、季風は何事も無かったように席に着いて、文庫本を読んでいた。
「秋土が一緒に昼飯を食べようと誘ったのだが、菅原は、『季風はヒヨちゃんとしかお付き合いをしたくありません』と言って、自分達の誘いを断ったのだ」
冬木が季風の真似をして、体をナヨナヨとさせながら言った。
「さすがにびっくりしましたね」
温厚な春水でさえも呆れているようであった。
友達になろうと誘ってくれた同級生に言うべき台詞ではないことは、日和にも分かった。四人が驚いたり憤慨したりするのも当然であろう。
「どう言うつもりなんじゃろう?」
「知るかよ!」
「僕が『友達を作らないと学校でも面白くないでしょ』って言ったんだけど、全然、気にしていないみたいなんだ。どうせ、また、すぐに転校することになるからって言って」
怒りが収まらない夏火に代わって、比較的冷静な秋土が話した。
「すぐに転校する?」
「うん。この春に父親が転職をしたとかで、今の仕事が世界を股に掛けての転勤族みたいなんだ。長くても一年くらいで、また外国に行くことになるんだって」
「期間が短くても、その間、友人を作って、楽しく過ごしたら良いと思うのですけどね」
春水も残念そうな顔をしていた。
「いずれにしても、卑弥埜以外には友達になりたい奴はいないようだ」
「ど、どうして、わらわとだけ?」
四人はお互いに顔を見合わせて、口をつぐんでしまった。
「僕らが言うべきことじゃないから、日和ちゃんが直接、本人から訊いてごらんよ」
そう言われて、自分一人で季風に会って、話を訊ける訳のない日和であった。
そして放課後。
部活も終えて、真夜と一緒に帰る道すがら、日和は季風のことを真夜に話した。
「ヒヨちゃんですか?」
「……真夜」
「何でございますか?」
「今、少し笑ったじゃろう?」
「笑っておりません」
「嘘じゃ」
「拙者、これまで嘘など吐いたことなどありません」
「それが嘘じゃ!」
真夜は、くすりと笑った後、すぐに真剣な表情に変わった。
「しかし、四臣家の方が、わざわざ気を遣っていただいているのに、失礼すぎますな」
「わらわも体育の時間に少しだけ話をさせてもらったが、最初は、そんなに変な人だという印象は受けなかったのじゃ。その後、急に人が変わった気はしたのじゃが」
「それで、ヒヨちゃんと呼ばれるようになったと?」
「うん」
「……噂をすれば何とやらですな」
真夜の目線の先を追った日和は、その先に季風を見つけた。
交差点の広い歩道に立っていた季風は、信号を渡って来ている日和を見つけると笑顔になって、日和に近づいて来た。
「ヒヨちゃん、話があるのですが、今、良いですか?」
「い、良いが」
「梨芽さんには外してもらいたいのですが?」
転校初日に見せていたオドオドとした様子は、今は微塵も感じられなかった。
真夜も昨日からのいきなりの変化に、一瞬、戸惑ったようだが、すぐにいつもの真夜に戻った。
「残念ながら、それはできませぬ」
日和に確かめることなく、真夜が言い切った。
「拙者は、おひい様の護衛を仰せつかった者。お側にいることができる時には常に一緒におりまする」
「梨芽さんも季風の邪魔をしようとするのですね?」
「菅原殿の邪魔? 貴殿はいったい何をしようとしているのですかな?」
「告白です」
日和と真夜が目を丸くして見入ってしまった季風の表情は、いつもと変わらないポーカーフェイスであった。
「それだけの決意があるのでしたら、拙者のいる前でなさいませ!」
真夜も負けてなかった。日和を一人にすると、季風に押し切られる可能性が高いと判断したのだろう。
「梨芽さんが外さないというのであれば仕方がありません」
季風は、真夜を無視するように、日和の前に進み出た。
「ヒヨちゃん」
「な、なんじゃろ?」
「季風はヒヨちゃんが好きです」
「……!」
「初めて会った時から胸がときめいてしまったのですけど、体育の時間に話し掛けてくれて、すごく嬉しくて、もう、ヒヨちゃん以外の人は見えなくなりました」
「……」
初めて愛の告白をされて、日和はすっかりと舞い上がってしまい、何も話すことができなかった。




