第二十九帖 姫様、転校生を気に掛ける!
暦は七月。
しとしとと雨が降りしきる中、先月から夏服に衣替えして、白色脛丈セーラー服姿の日和は、お気に入りの傘を差して、真夜と一緒に登校していた。
「蒸せるのう、真夜」
「そうでございますね」
「こんな日は外で出たくないの」
「除湿の効いた部屋にこもっていたいのではないですか?」
「本当じゃ! と言いたいところじゃが、部活もしたいしの」
「最近、おひい様も前向きな発言が多くなってきて、拙者も嬉しい限りです」
「そ、そうかの?」
「この勢いで、『勉強も楽しいのじゃ!』という台詞もそろそろ飛び出して来ると期待しておるのですが?」
「……どうしても聞きたいか?」
「聞きとうございます」
「……秋に学園祭という催しがあるのじゃが、そこに手芸部として展示する作品を全員が協力して作製することにしておるのじゃ。今日は、それを何にするか決めることにしておるのじゃ」
「そうですか。それは楽しみですな。まあ、それはそれとして」
「わらわも他の人と協力して一つの作品を作ることは初めてじゃから、何を作ることになっても、きっと楽しいと思うのじゃ! 真夜もそう思うじゃろ?」
「はい。そう思います。それで」
「これから部活が忙しくなるはずなのじゃ。充実した高校生活を送れそうじゃの。うんうん」
「おひい様」
「な、何じゃ?」
「見事な切り返しでございます。しかし、そのエネルギーを勉強の方に有効利用できないのでしょうか?」
「わらわのエネルギーは使用目的が限定されているみたいなのじゃ」
真夜も根負けして苦笑するしかなかったようだ。
しばらくして、真夜の視線が前に向いたことに気づいた日和がその視線を追うと、自分達の通り道の先に、神術学科の制服を着ている見慣れぬ男子生徒の背中が見えた。
どうやら、何かを探しているようで、差している傘が体とともにあちこちに揺れていた。
日和達がその男子に近づいて行くと、足音で分かったのか、その男子がゆっくりと傘を回しながら、日和の方に振り向いた。
目にかぶさるほど長く伸ばされた灰色の前髪の間から日和を見つめる灰色の瞳は何かに怯えているように思えた。
身長は、男子としては平均的な高さだが、みんな長身の四臣家の四人を見慣れていると低く感じられ、その整った顔立ちは、マッシュルームカットの髪型と相まって、まるで女の子のように可愛く見えた。
「す、すみません」
「はい。何でしょう?」
オドオドとした態度で話し掛けてきた男子に、真夜が優しく答えた。
「耶麻臺学園高等部に行くには、この道で良いのでしょうか?」
「ええ、この道で良いですよ。あなたは転校されてきた方ですか?」
「はい。今日、初めて通るものですから」
「拙者らもそこの生徒ですから、拙者らについて来ていただければ結構です」
「分かりました。申し訳ありません」
日和と真夜が並んで歩き出すと、ついて来た男の子が後ろから話し掛けてきた。
「あの~、話し掛けてもよろしいですか?」
「どうぞ」
真夜が引き続き話し相手を引き受けた。
「あなた方は神術学科の生徒さんですか?」
「そうです。あなたの制服もそうですね?」
「はい。二年生で編入します」
「では、拙者らと同じですね。あなたのお名前は何と申されるですか?」
「あ、あの、菅原季風と言います」
「菅原ですか? ……あまり聞かない家名ですな。どちらから転校されて来たのですか?」
真夜が少し首を捻った。
日和の次期当主襲名披露宴を開催する際に日本中の主な神術使いの家に招待状を郵送しており、真夜は、その家名をすべて頭の中に入れていたが、菅原という家名に心当たりがなかったようだ。
「アメリカです」
「アメリカから? 留学でもされていたのですか?」
「い、いえ、親の転勤です」
父親は外国人なのに、日和自身は外国に行ったことがなく、外国から来たということだけで、何だかすごい人のような気がしてしまい、日和も後ろを振り向き、再度、季風を見た。
季風は、頬を少し染めて、日和を見つめ返したが、その目には落ち着きがなかった。
季風も人見知りなのかもと思った日和は、今でも初対面の人と話をする時にすごく緊張してしまう自分と重ね合わせて、何となく親近感が湧いてきた。
そんな日和の様子に気がついたのか、真夜が立ち止まり、季風の方に向いた。
日和もすぐに立ち止まると、日和の前に立った真夜が季風に会釈をした。
「拙者は梨芽真夜と申します。こちらは拙者の主人筋に当たります卑弥埜日和様です」
日和も季風に会釈をしたが、顔を上げて見た季風の顔は、先ほどまでのオドオドとした雰囲気が消えて、驚きと喜びが混在しているような顔をしていた。
「卑弥埜様って、あの卑弥埜様ですかあ?」
「卑弥埜家は日本に一つしかありませんぞ」
過去、卑弥埜家に複数の跡取りが生まれた場合には、より強い太陽の神術を発動できる者のみが「卑弥埜」姓を名乗り、それ以外の者は他家に養子に出されるなどしており、卑弥埜家宗家のみが「卑弥埜」姓を受け継いできていた。したがって、日本に「卑弥埜」家は一つしかないことは、神術使いの家では常識であった。
神術使いの家の者であっても最近の若者は、そう言ったことも知らないのかと、自分の年齢も忘れて、憤慨していた真夜の口調は少しきつくなっていた。
「うわぁ~、感激ですぅ~」
しかし、そんな真夜の口調もまったく気にすることなく、季風は体をクネらせて喜んでいた。
憧れの芸能人を見るかのような目をして喜ぶ季風は、本当に女の子のようだった。
「まさか、卑弥埜の姫様が学校に通われているとは思いませんでした! 光栄です!」
姫様と言っても、王族のように宮殿に住み、家来を何人もかしづかせて生活している訳ではない日和は、持ち上げられることに慣れておらず、恥ずかしさの方が先に立った。
「わ、わらわは、そんなに感激されるような者ではないぞ」
顔を赤くしながら日和が言ったが、季風の目のキラキラが消えることはなかった。
「でも、アメリカでも卑弥埜様のお名前は聞いていましたから」
「菅原殿は、いつからアメリカにおられたのですか?」
真夜が再び季風に尋ねた。
「季風は、アメリカで生まれて、ずっと向こうで生活していたのですが、親が転職して、日本に転勤になったんです」
「そ、そうですか」
女の子であればまだしも、男子である季風が自分のことを自分の名前で呼ぶことに、日和と真夜は少し唖然としてしまった。
学校に着くと、自分達が転校してきた時と同じように、季風を新校舎一階の職員室に案内してから、日和と真夜はそれぞれの教室に入った。
日和は、いつも日和より先に来ている春水と秋土と笑顔で挨拶を交わしながら、自分の席に着いた。
間もなく、夏火と冬木が相次いでやって来ると、朝のホームルームが始まるまで恒例のおしゃべりタイムとなった。
日和は、その中心にいるのに一番口数が少なく、ほとんど四人の話を聞く側であったが、その中にいることで安心感のようなものを感じるようになっていた。
日和は、季風のことを四人はまだ知らないと思い、自分から話を振った。
「そう言えば、また、転校生が来るみたいなのじゃ」
「転校生? 女か?」
夏火がすぐに食いついてきた。
「女だったらどうするのだ? 早速、デートに誘うのか?」
「あのなあ、俺だって、女だったら誰でも良いって訳じゃねえんだからな! それでどうなんだよ、日和?」
冬木に突っ込んでから、夏火が日和に訊いた。
「男子じゃ」
「ちっ! 何だよ」
「分かりやすい奴だな」
「おめえらだって、心の中で舌打ちしただろうが!」
「夏火だけだろう」
最近は、夏火への専任突っ込み役が定着してきた冬木であった。
「そもそも日和が、『男の転校生』とはっきり言わないから、また、俺が弄られるんだよ」
形勢不利と見た夏火が、今度は、日和をターゲットにした。
「わ、わらわが悪いのか?」
「他に誰が悪いんだよ?」
「まあ、夏火だろうな」
春水と秋土も冬木の言葉に頷いた。
「くそ! また孤立無援かよ!」
「な、夏火さんが言うとおり、わらわもちょっと悪かったの。変な期待をさせてしもうて」
「日和さんは優しいですね。夏火が困っていると思って、自分が悪いことにしようとしたのでしょう?」
「そ、そう言う訳ではないが」
「でも、この時期に転校生なんて珍しいね」
春水の言葉に照れていた日和を助けるように、秋土が話題を変えた。
「日和さん効果じゃないでしょうか?」
「わ、わらわの効果って何じゃ?」
また、春水の言葉に照れてしまった日和だった。
「卑弥埜の姫様も通い出したというのが大きいと思いますよ。何と言っても、卑弥埜家は、日本の神術使いのトップブランドですからね」
「学校のパンフレットにも載せてくれと頼まれたのじゃが断ったのじゃ」
「別に秘密にしている訳ではないから、口コミで広がっているんじゃないかな?」
「秋土が言うとおりだろう。そうすると、これからも転校生が増えるかもしれないな。女子の転校生も増えて、夏火の顔がにやけっぱなしになりそうだ」
「だから、冬木は、一言多いっての!」
などと盛り上がっていると、担任の土師が教室に入って来た。
日直の「起立! 礼!」で挨拶が終わると、土師は転校生がいることを告げた。
全員が注目する中、季風がオドオドしながら入って来た。
「では、菅原、自己紹介してくれ」
土師に振られて、季風は一歩前に出てお辞儀をした。
相変わらず目が泳いでいた。
「す、菅原季風と言います。アメリカにずっと住んでいたのですが、親の転勤で日本にやって来ました。よ、よろしくお願いします」
季風がちょこんと頭を下げてから顔を上げると、クラスの女子の何人かの瞳に星が輝いていた。可愛い女の子のような容姿は、綺麗系の春水とも違って、四臣家の四人にはいないルックスであった。
一方の男子は、何でうちのクラスにだけ、こうもイケメンが揃って来るんだと、諦めとも嫉妬ともつかない表情でため息を吐いた。
「では、そこに座ってくれ」
土師が指差したのは、窓際の一番後ろで、春水の左斜め後ろという位置にある席だった。
季風は、指定された席に向かって歩きながら、日和に気がついたようで、会釈をしながら自分の席に着いた。
ホームルームが終わると、季風は日和の近くに来た。
「卑弥埜様、どうかよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いするのじゃ」
季風は、朝と同じようにオドオドとした雰囲気で日和に挨拶をしたが、他人事だと思えなかった日和は立ち上がり、できるだけ優しい笑顔で挨拶を返した。
そして、そんな雰囲気の季風を、この男が放っておくはずがなかった。
「菅原君! 僕は、このクラスのクラス委員の葛城秋土と言います」
秋土も立ち上がりながら、季風に自己紹介をした。
「何か分からないことがあったら、何でも遠慮せずに僕に訊いてね」
「は、はい。あ、あの、……分かりました」
言葉に詰まりながらも、季風は秋土に頭を下げると、すごすごと自分の席まで帰って行った。
「何だ、あいつ?」
「物怖じという言葉は俺の辞書には無い」と豪語しそうな夏火が言った。
「緊張しているのですよ。特に、アメリカから帰ったばかりでは、右も左も分からないでしょうしね」
春水は季風を庇ったが、夏火は納得いかないようであった。
「それにしてもびびりすぎだろ? まあ、日和よりはマシだけどよ」
「言われると思ったのじゃ」
「日和なんか挨拶もできなかったじゃねえか。菅原は、とりあえず挨拶はできたけど、男なんだからさ。もっと、シャッキとしろってんだよ」
「菅原さんはアメリカで学校に行っていたはずですけど、日和さんはそれまで学校に行ってもなかったのですから、日和さんの方がプレッシャーが大きかったと思いますよ」
春水が日和を援護した。
「春水、そうやって日和に取り入ろうとしてんじゃねえだろうな?」
「自分の正直な意見ですけど、そう言う一面もありますね」
春水は下心の存在を否定しなかった。
「じゃあ、春水は、日和の彼氏に立候補するのかよ?」
夏火が真剣な顔付きで春水に訊いた。
「まだ踏み切れてないですけど、前向きに検討しています」
「何だよそれ? どこぞの政治家の答弁みたいに曖昧だな」
「だから、自分の中に、まだ少し迷いがあるのです。迷いがある状態で、日和さんの彼氏になろうとすること自体が、日和さんに対して失礼じゃないかと思うのです」
「相変わらず、春水は真面目だな」
「夏火が不真面目すぎるのですよ」
「不真面目じゃあねえし! 俺だって真面目に考えてるし!」
「何を考えているのだ?」
「日和のことに決まってるだろ!」
「そうか。もちろん、自分もだ」
夏火も冬木も日和の彼氏として立候補を真剣に考えていると宣言をしたようなものであった。
春水と夏火、そして冬木は、一人態度を明らかにしていない秋土を見た。
「心配することはないよ。僕だって、みんなと同じさ」
秋土もニコニコと笑いながら答えた。
「何だよ、秋土? 何か余裕かましてないか?」
「抜け駆けしてるのではないだろうな?」
夏火と冬木が疑いの眼差しを秋土に向けた。
「してないよ! 日和ちゃんの彼氏になると本気で思った時には、みんなの前で宣言するって約束は忘れてないから!」
その日は、昼休みになっても、雨が降り続いていた。
いつもは中庭でお弁当を食べる日和と真夜も、こんな雨の日は、新校舎の中にある学生食堂に行き、持参のお弁当箱を広げていた。
中庭のベンチは二人並んで座ると一杯であったが、四人が座れる学生食堂のテーブルは、当然に二人分が余る訳で、それを狙って、美和が半強制的に和歌を従えて、同じテーブルに座っていた。
「しかし、三輪殿」
「何ですか、真夜さん?」
日和と並んで座っている真夜の問い掛けに、日和の正面に座っている美和が笑顔で答えた。
「一緒にお昼を食べる友達はクラスにいないのですか?」
「失礼ですわね! 友人は掃いて捨てるほどいますけど、日和ちゃんが私と一緒にお昼を食べたいと言うものですから、友人達には申し訳ないけれど、可愛い後輩のためだと言って、こちらに駆けつけているのですわ」
「わらわは、そんなこと言った憶えはないのじゃが」
「日和ちゃん! それは健忘症の始まりよ! でも心配しないで! 日和ちゃんがボケてしまっても、私がシモの世話から入浴まで、ちゃんと介護をしてあげるからね!」
「部長、さりげなく恐ろしいこと言ってないですか?」
「何ですって?」
「い、いえ、何でもありません」
暗闇で下から懐中電灯を当てたような影を浮かべた美和の超笑顔に、和歌も恐怖におののくしかなかった。
「あれっ、あれは」
日和は、少し離れたテーブルで、日和の方に向いて、一人でお弁当を食べている季風に気がついた。季風はうつむき加減でお弁当を食べていて、日和の視線には気がつかないようであった。
日和と同じように人見知りと思われる季風は、クラスメイトに声を掛けることができなかったのだろう。
転校初日からは難しいかもしれなかったが、日和には真夜がいて、学校の友人がすぐにできなくても、一人で食事をすることはなかった。
周りの生徒のことを誰も知らない所で、独りぼっちで食事をするのは、すごく寂しいし悲しいことだと思った日和は、季風が可哀想になって来た。
「誰ですか、卑弥埜先輩?」
美形男子に目が無い和歌が早速食いついてきた。
「今日、うちのクラスに転校して来た人じゃ」
「そうなんですか? 卑弥埜先輩、ずるいですよ!」
「な、何でじゃ?」
「四綺羅星の皆さんのみならず、あんなに可愛い男子を側に侍らすなんて!」
「侍らしてなどおらぬ! 席も離れておるのじゃ!」
「それはちと残念ですなあ。先輩を通じて、私もお友達になりたいと思ったんですけど」
「あの手の男子が和気殿の好みのタイプであろうか?」
真夜が和歌に訊いた。
「今まで見たことのないタイプの男子じゃないですか! やっぱり、野獣系の蘇我先輩と二人が……、いや! ここは意外性を追求して、物部先輩と実験室ラブでも……うえへへへ」
入部以来、隠していたBL趣味も正式にカミングアウトしていた訳ではないが、美和にもバレバレであった。
もっとも、和歌のようなBL趣味は、男性同士の絡みを脳内で再生させるにとどまり、実際に和歌が男性とイチャイチャする訳ではなく、身近に男性が寄って来ることもないから、美和も黙認しているようだ。
「何だか可哀想なのじゃ」
日和が季風の寂しそうな顔を見て、ぽつりと呟いた。
「では、おひい様が一緒に食べて差し上げますか?」
真夜が少し意地悪げな顔をして言った。
「わらわと一緒じゃと、きっと話が弾まないのじゃ」
「日和ちゃん、二人で一緒にいることが大事なのよ。話なんてしなくても誰かが近くにいるだけで安心することってあるでしょ?」
「何か感動したのじゃ。さすが上級生なのじゃ」
裏返せば、これまで上級生らしい言動が無かったと言われている美和であったが、日和に褒められて素直に嬉しかったようだ。
「でしょ! だから、これからは私と二人きりでお昼を食べましょう! ねっ! 日和ちゃん!」
そんな提案を真夜が許す訳がなかった。
「三輪殿。素晴らしい心掛けでございますな。三輪殿のそのお優しい心をあの転校生にも注いで差し上げてくださいませ」
「男はいつも孤独と戦わないといけないの! 一人でお昼をすることも、あいつにとっては修行なのよ!」
日和に対する対応と、季風への対応の差の余りの酷さに、ジト目で美和を見つめる日和達であった。




