第二十八帖 姫様、お披露目される!
五月最後の日曜日。
卑弥埜家次期当主お披露目の日がやって来た。
東京都高天原村にある卑弥埜家に、日本中から五百人からの招待客が集った。
日和達が普段、生活をしている寝殿造りの屋敷の前に、通称「大極殿」と呼ばれる、卑弥埜家歴代当主の位牌が納められた拝殿があり、その前に広がる、綺麗に整備された広大な日本庭園に、園遊会方式で軽食や飲み物をサービスするワゴンがいくつも出されており、招待客は思い思いの場所で歓談をしていた。
晴れ着を着た日和は、巫女装束の真夜と一緒に会場を回り、招待客一人一人と挨拶をした。
もっとも、真夜が日和を紹介すると、日和は黙って頭を下げるだけであったが、それはそれで、姫である日和の尊厳を高めているようであった。
日和は、四臣家の四人が揃っている所に来た。
出席者は、当主クラスとその夫人と指定されている訳ではなかったが、実際には、そのレベルの人物のみが出席していた。
しかし、四臣家の四人は、日和の友人枠ということで、特別に招待状が出されていた。
四人とも、普段の制服ではなく、黒の蝶ネクタイとタキシードを見事に着こなしており、少し眩しく見えた。
四人に初めて会った時には考えられなかったことだが、この四人を見て、ほっとした自分に気づく日和であった。
「日和ちゃん、今日はおめでとう」
「おめでとう」
四人が一斉にジュースが入ったグラスを掲げた。
「あ、ありがとうなのじゃ」
「しかし、日和。まるで七五三だな」
「夏火さんには、きっと言われると思ったのじゃ」
「ははははは、予想されてたか」
この四人に対する人見知りの垣根は、ほとんど無くなりつつあった。
「でも、素敵ですよ、日和さん」
「あ、ありがとうなのじゃ、春水さん」
「写真を撮っても良い?」
秋土は、既にスマホを取り出していた。
「秋土! せっかくだから、全員で撮ろうではないか?」
「もちろんだよ」
冬木の提案に、全員、異論がある訳がなく、四臣家の四人が日和を取り囲むようにして立つと、真夜がシャッターを押した。
「卑弥埜。この後、挨拶か何かをするのか?」
「せっかく考えないようにしていたのに思い出させないでほしいのじゃ」
「そうだったのか? それはすまないことはしたな」
「でも、これだけの人数を前に挨拶するなんて、誰だって緊張しちゃうよ」
「そ、そうなのじゃ! それを真夜は、五人も五百人も変わりませんなどと言うのじゃ!」
日和が頬を膨らませて真夜を見た。
「四臣家の皆様にこれだけタメ口を言えるようになったのですから、何の問題もありますまい?」
「はははは、違いねえや」
真夜の反論に夏火も同意し、他の三人も納得しているようだった。
「全然、違うのじゃ!」
「まあまあ、日和ちゃん、もう始まっちゃてるんだから腹をくくるしかないでしょ」
「俺だって、ステージに立って、音を出すまでは緊張しまっくてるけど、一旦、音が出ると、緊張なんてどっかに吹っ飛んでるぜ」
「そうですね。始まってしまえば、あっという間に終わってしまいますよ」
「頑張れよ、卑弥埜!」
「う、うん」
今まで、四人の声援に何度も助けられてきた日和は、少しだけ心が軽くなった。
「卑弥埜様!」
日和を呼ぶ声に振り返ると、膝丈でカットされて若さが演出されている白いローブデコルテと長手袋を身に纏った麗華がいた。
「麗華さん!」
「本日はご招待ありがとうございます。そして、おめでとうございます」
麗華は深々とお辞儀をした。
「来てくれて嬉しいのじゃ!」
日和は、麗華に近づき、その両手を握って笑顔を見せた。
「春水さん」
日和が春水をニコニコと笑いながら見た。
「今日、麗華さんは、わらわの友人として招待をしたのじゃ」
「そうですか」
麗華との間に何のわだかまりもなくなった春水もいつもの笑顔で答えた。
麗華の後ろから、背の高い男性と、以前に会った橘夫人が並んで近づいて来た。
「橘家当主、橘道長様でございます」
招待客全員の顔と名前を覚え込んだ真夜が日和の耳元で囁いた。
「こちらが卑弥埜家次期当主、卑弥埜日和様でございます」
真夜が道長に日和を紹介した。
道長は、日和の手を取ると、膝を折り、頭を深く下げた。そして、顔を上げると、にこやかな笑顔で日和を見た。
「橘道長でございます。本日はまことにおめでとうございます。そして、娘ともどもお招きいただき、ありがとうございます」
日和は、他の招待客と同様に黙って頷いた。
「おじさま、お久しぶりです」
他の三人から離れて、近づいて来た春水が丁寧にお辞儀をした。
「ああ、春水君か。久しぶりだな」
「その節にはご迷惑をお掛けしました」
「いや、実は、娘からいろいろと話を聞いた。君の方にこそ、迷惑を掛けていたようですまない」
「その話は、麗華さんとも、ちゃんと話をさせていただきました。そして、その話を持ちかけてくれたのが、日和さんなのです」
「その話も聞いている」
道長は、春水から日和に視線を移した。
「卑弥埜様にもご迷惑を掛けていたそうですね」
「そ、そんなことはないのじゃ」
「いえ、どうか、お許しください」
道長は深々と頭を下げた。
「橘さん、頭を上げてたもれ。麗華さんとも友達になってもらったのじゃ。それでもうチャラじゃ」
道長が顔を上げた。
「ありがとうございます。卑弥埜様、娘とこれからも仲良くしてやってくださいませ」
「もちろんじゃ! こちらこそよろしくお願いするのじゃ」
日和と道長のやり取りを少し離れて聞いていた真夜が、探るような目をしながら、道長に言った。
「橘殿。よもや、麗華殿の友達を無くすようなことはされますまいな?」
「もちろんです。私が、何故、そんなことをいたしましょうや?」
道長は、穏やかな表情のまま、真夜に言った。
「そうですな。少しご無礼な物言いだったかもしれません。お許しください」
頭を下げた真夜は、一つも反省していないように見えた。
「おひい様、そろそろ」
真夜が腕時計を見ながら、日和を急かした。
「それでは、失礼するのじゃ」
日和は、道長に会釈をすると、真夜とともに、次の招待客のところに向かった。
日和の背に向けて、道長の険しい視線が一瞬、送られたが、道長は夫人と麗華を連れて、談笑の中に入って行った。
「皆様方、お歓談中ではございますが、ここで、卑弥埜家現当主、卑弥埜伊与より御挨拶をさせていただきます」
すべての招待客と挨拶の交換を終えた日和が舞台の袖に引っ込むと、真夜が拝殿横にセットされたスタンドマイクで会場に呼び掛けた。
招待客は、おしゃべりを止め、一斉に拝殿前に作られている舞台に注目した。
伊与が進み出て、舞台中央にセットされたスタンドマイクの前に立った。
「本日は、我が卑弥埜家の跡取りである卑弥埜日和の襲名披露宴に、これほどまでも多数ご参集いただき感謝申し上げる」
伊与は、滑らかな弁舌で長々と挨拶を述べると、舞台の袖に下がった。
それを確認して、真夜がマイクに向けて話し出した。
「それでは、卑弥埜家次期当主、卑弥埜日和から御挨拶をさせていただきます」
大極殿の正面の扉が開くと、中から、日和がしずしずと出て来て、センターのマイクスタンドの前に立った。
五百人の招待客が日和を注目していた。
(や、やっぱり、五人と五百人は全然、違うのじゃ!)
日和は緊張して、足がガクガクと震え、心は粉々に砕けそうになった。
マイクを前にして、口を開いたが、声が出なかった。
(だ、駄目じゃ。声が出ないのじゃ)
マイクが入っていないのかと、会場がざわつき始めた。
それが、一層、日和を舞い上がらせた。
(わ、わらわにはできないのじゃ)
耐えられなくなって、俯いてしまった日和に、聞き覚えのある声が届いた。
「日和ちゃん! 頑張れ!」
「日和! しっかりしろ!」
「大丈夫ですよ!」
「一回、深呼吸をしてみろ!」
四臣家の四人の言葉が会場に響いた。
日和が頭を上げると、会場の後ろの方にいた四人が、一斉に親指を高く突き立てた。
(みんな……)
日和の目から涙が溢れてきた。
泣き顔を見られないように、日和は、また顔を伏せたが、みんなの声援を無駄にしてはいけないという気持ちがわき上がってきて、必死で涙を止めてから、顔を上げた。
会場をもう一度、見渡した後、目を閉じた。
(体育祭のリレーの時のように、四人が応援してくれておるのじゃ! リレーも最後まで走れたではないか!)
日和は、ぱっちりと目を開けると、真っ直ぐ前を向き、マイクに口を近づけた。
「卑弥埜日和です」
小さな声であったが、日和はしっかりとした声で話し出した。
会場のざわつきがピタッと止まった。
もう一度大きく息を吸って、日和は再び口を開いた。
「本日は、わらわの披露宴に……」
その時!
会場の後ろから、巨大な火の玉と、大きな岩と、二十本ほどの短剣が、日和に向かって飛んで来た!
そして、同時に、上空から稲妻が日和に向かって走り、少し遅れて、空気を切り裂くような雷の音が轟いた!
舞台は、一瞬、眩しい光で満たされ、何が起きたのか分からなかった。
「きゃー!」
会場は騒然となったが、招待客達は、光と砂埃が収まった舞台に、何事も無かったように立っている日和の姿を見た。
直撃したはずの稲妻と火の玉はどこかに消え去り、大岩と短剣は、日和の頭上で浮かんだまま止まっていた。
日和が右手でその大岩と短剣を指差し、そのまま腕を振り下ろすと、大岩と短剣は舞台のすぐ下に落ちて、大岩は粉々に砕け散り、短剣もカラカラと甲高い音を立てた。
舞台の袖にいた真夜は、すぐに、客をかき分けながら、会場の後ろに走った。
そこに四臣家の四人も駆けつけて来た。
「皆様方は、今、神術を発動した者を見ましたか?」
真夜が四人に尋ねた。
「残念ながら」
「私達のまだ後ろから放たれたようです」
秋土と春水の言葉に、夏火と冬木も頷いた。
「皆の者! 落ち着かれよ!」
いつの間にか、日和の隣に立っていた伊与の声が、マイクを通じて、会場に響いた。
会場はざわつきながらも、伊与に注目した。
「ご覧になったであろう? 未だに卑弥埜家に刃を向ける者がいることを!」
伊与は、ゆっくりと会場を見渡した。
「残念ながら、刺客どもは既に逃亡しているようじゃな」
伊与は、舞台の下に落ちて転がっている大岩の欠片と短剣を指差した。
「それにしても無節操な攻撃じゃ! じゃが!」
言葉を切った伊与は、再度、会場をゆっくりと見渡した。
「卑弥埜の家の者、特に、この次期当主に対しては、どのような攻撃を仕掛けようと無駄じゃということが、はっきりと分かったであろう? 次期当主である卑弥埜日和は、名実ともに神術使いの頂点に立つ姫じゃぞ! それに刃を向ける者には死を持って償っていただく!」
招待客の中に、日和を襲わせた黒幕がいると言わんがばかりの伊与であった。
しかし、明らかに命を狙っていたとしか思えないほどの強力な、雷、土、火、そして刃物という複数の攻撃を、やすやすと防いだ日和の力を見せつけられた招待客にとって、日和を襲撃することは無駄なことだという認識の刷り込みは成功したはずであった。
披露宴が終わり、お風呂に入った後、日和はパジャマ姿のまま、自室の前の縁側に足を投げ出して座って、月を眺めていた。
足音もさせずに真夜が近くまでやって来た。
足音が聞こえなくとも、日和は、気配だけで真夜が後ろに姿勢良く座ったことが分かった。
「真夜」
「何でございますか?」
「家にまで刺客が来るとはのう」
「いつも防御のために張っている結界を、今日は招待客を入れなければいけませんから張っておりませんでした。まさか、そこを突いてくるとは思いも寄りませんでした」
「……そうか」
「しかし、日本中の神術使いの当主達が、おひい様の力を目の当たりにして、おひい様を襲うことの愚かさを思い知らされたはずでございます」
「だから、もう、わらわを襲ってくる者はいなくなると?」
「そうなればよろしいですね」
「それにしても、真夜が追い掛けても、賊を逃すとは珍しいの」
「逃げ足の速い奴でございました」
「真夜は、今日の刺客を知っておるのではないのか?」
「いいえ。知っておれば、あらかじめ対策を取っておきます。拙者がおひい様を危険な目に遭わせるとお思いですか?」
「あんな攻撃、危険じゃと思うてもおらぬくせに」
「まあ、おひい様ですからな」
日和は、夜空に浮かぶ三日月をしばらく見つめた。
「おひい様は何も心配をなさる必要はございません。平穏に学校生活をお送りくださいませ」
「そうじゃな」
「これからは、手芸部の皆さんに迷惑を掛けることもなく、思う存分、手芸部の活動もできますぞ」
日和は、すぐに反応して後ろを向いた。
「そうじゃな! そうじゃ! そうじゃ!」
日和の笑顔を見て、真夜は座ったまま日和ににじり寄り、日和を抱きしめた。
「おひい様。学校に行き始めの時からは想像ができないほど、学校に行く時のおひい様は楽しそうなお顔をなさるようになりました。拙者は、おひい様の笑った顔をもっともっと見たいのです。明日からも元気に学校に行きましょうぞ」
「もちろんじゃ! 真夜と一緒に行くのじゃ!」
「はい! ……それはそうと、壱組は宿題が出ていたのではないのですか? 秋土殿に訊いておりますが」
「えっと、……やらなくちゃ駄目なのか?」
「当たり前です」
「披露宴の準備とかで時間が無かったことは、真夜も知っておろう?」
「そのことは、お疲れ様でした。しかし、それはそれ! これはこれでございます!」
「そ、そんなあ~」
「さあ! これから、やりましょうか?」
「こ、これから?」
「これからやらなくて、いつやるのですか?」
「あ、明日の朝、早く起きるのじゃ!」
「早く起きると言って、早く起きたためしがありませんぞ」
「もう~! 真夜の鬼! 悪魔! 人でなし!」
「何とでもおっしゃいませ。さあ、やりますぞ!」




