第二十七帖 姫様、肉じゃがを作る!
五月も中旬の、とある曜日の四時間目。
神術学科二年壱組の特別科目は調理実習だった。
学生食堂の栄養士が特別講師を引き受けて、肉じゃがと味噌汁を作ることになっていた。
五人から六人が一組になって、共同して料理をすることになっており、調理実習室に六つある調理台にグループごとに集まっていた。
「……何で、みんなが同じ班なのじゃ?」
日和がジト目で見つめる先には、エプロンを掛けた四臣家の四人がいた。
「何だかんだ言って、この四人はいつも同じ班になってるんだよね」と秋土。
「正直に言うと、他の人と一緒になると、変に気を遣われるから逆に疲れてしまうのですよ」と春水。
四臣家という家格と、四人揃ってイケメンということで、他の男子からは憧れ半分、嫉妬半分という目で見られている四人は、幼稚部から、自然とこの四人でつるむことが多かった。
「卑弥埜だって、自分達以外の男子とはそんなに話せないのではないか?」
「それはそうじゃが」
席が隣り合っているこの四人とは、何となく話せるようになっていたが、日和に「落ちこぼれの姫様」というレッテルを貼っている他のクラスメイトは、積極的に日和に話し掛けてくることはなかったし、日和も話し掛けることはなかった。
要するに、四臣家の四人以外のクラスメイトに対しては、日和の人見知りは改善されていないということである。
「それより、日和は、料理はできるのか?」
一番エプロン姿が似合っていない夏火が訊いた。
「一応」
「でも、毎日持って来ている弁当は、真夜が作っているらしいじゃないか?」
「うん。真夜は料理がすごく上手なのじゃ」
「日和は、姫様だから料理なんてしないんじゃないか?」
「しないと言うより、すると怒られるのじゃ」
「姫様だから?」
今度は、秋土が訊いてきた。
「うん。でも、少なくとも、勉強や体育よりは得意なのじゃ」
「それじゃあ、今日は、日和ちゃんが頼りだね」
「やっぱり男の人は料理などせんのじゃろうか?」
「春水が、ちょっとだけ、かじってなかったっけ?」
夏火が春水に訊いた。
「私も姉に少し教わっただけですから」
「春水さんにはお姉さんがおるのか?」
そう言えば、この四人の家族構成について何も知らなかった日和であった。
「ええ、私は末っ子で、上に姉が三人いるのです」
「三人も? 兄弟がいっぱいいて羨ましいのじゃ」
一人っ子の日和の正直な気持ちであった。
「でも、春水さんのお姉さんなら、みんな、美人なんじゃろうな?」
「それは間違いないよ。三人とも僕達みんなの憧れの君だったからね。でも、上二人のお姉さんはもう結婚されたんだっけ?」
秋土が嬉しそうに言った。
「ええ。でも、すぐ上の葵姉さんは、今、恋人募集中ですよ」
「マジか? 葵さんほどの美人が何でだよ?」
「夏火も立候補しますか?」
「いや、葵さんは超美人だけど完璧人間だからなあ。俺はいつも怒られそうだから遠慮しておくわ」
「それは間違いないだろうな」
「冬木に言われたくはねえよ!」
四臣家の四人は、家同士のつきあいもあるようで、お互いの兄弟もよく知っているようだ。
「わらわも、その葵さんとやらに、一度会ってみたいものじゃ」
「耶麻臺学園大学に行けば会えますよ」
日和は、みんなの兄弟姉妹のことに興味が湧いてきた。
「冬木さんは一人っ子と言っておったな?」
「そうだ。今も一人暮らしだ」
「えっ! ご、ご両親は?」
日和は、自分と同じように何か訳があるのかもしれないと思い、少し躊躇しながら訊いた。
「自分の両親はともに科学者で、研究のため、それぞれ別の外国に行っている」
「さ、寂しくはないのか?」
「まあ、昔から両親とも研究で家には滅多に帰って来なくて、小さな頃から鍵っ子だったから、もう慣れている。逆に、たまに親が帰ってくると鬱陶しくていかん」
「そんなものなんじゃろうか? でも、さっき、料理はしないと言っておったが、食事はどうしておるのじゃ?」
「コンビニに行けば、何でも手に入る。カップラーメンでもポテチでも」
「そ、そんな偏った食事をしてたら駄目じゃ!」
「では、卑弥埜が毎日作ってくれるのか?」
「えっ? そ、それは……」
「駄目に決まってるだろ!」
「約束違反ですよ!」
「そうそう。冬木が日和ちゃんの彼氏になったら作ってもらいなよ!」
三人から総スカンを食った冬木は、夏火にどつかれて少し乱れた髪を整えた。
「自分も食事を作ってもらえる姉妹が欲しかった。夏火には妹がいたんじゃないか?」
「ああ、くそ生意気な奴が一匹いるよ。でも、俺も、あいつに手料理なんて作ってもらったことなんてねえぞ!」
「何年生なのじゃ?」
夏火が妹とどんな会話をしているのか、興味津々の日和が訊いた。
「今年、中学生になったんだよ。それで、ちょっと色気が出てきたと思ったら、ますます、俺のことを毛嫌いしだしてよ」
「女子から女性になったのだろう。妹さんの気持ちは痛いほど分かる」
腕組みをした冬木が何度も頷いた。
「どう言う意味だよ?」
「自分だって、こんな、女癖が悪い男が兄だったら、他人のふりをしてもらうはずだ」
「うるせえよ!」
「しかし、夏火は、妹さんがいるからロリではないのかもしれないな」
冬木が真剣な表情のまま言った。
「ああ、まあ、一理あるかもな。 でも、日和はロリはロリでも、ただのロリじゃねえからな」
「な、何を言っておるのか分からないのじゃ!」
話が、変に自分に向かってくるような気がした日和は、夏火の話から軌道修正しようと、秋土に話を振った。
「秋土さんは、確か、次男と言っておったの?」
「そうだよ。五歳上の兄貴がいるんだ」
「やっぱり、耶麻臺学園大学に行っておるのか?」
「兄貴は東大に行ってるんだ」
「東大って、噂に聞く、あの東大か?」
日和の質問に、秋土が楽しそうに笑った。
「日和ちゃんがどんな噂を聞いているのか分からないけど、たぶん間違いないと思うよ」
「秋土も東大に行くつもりなんだろう?」
冬木が訊いた。
「親からは行けって言われてるんだけど、テニスも続けたいしね」
以前、美和から自分の進みたい道を聞いていた日和は、今度は、四人の進みたい道のことを訊きたくなった。
「秋土さんは、東大に行って、将来は何になるつもりなんじゃろう?」
「そうだね。実は、まだ、はっきりとは決めてなくて、大学に入ってから、ゆっくりと考えるつもり、……今のところは、とりあえず、法学部志望で、弁護士になろうかなって、思ってはいるんだけどね」
「難しそうじゃの」
「どうだろう? でも、冬木は、もっと難関を目指しているはずだよ。今も、MIT志望だっけ?」
「な、何なのじゃ、MITって?」
「アメリカにあるマサチューセッツ工科大学ですよ」
日和が秋土に訊いたが、春水が答えた。
「よく分からないけど、何だか、すごいのじゃ!」
「とりあえず、思い切り科学の研究をしたいと思っているからな」
「それじゃあ、将来は、やっぱり科学者に?」
「まあ、蛙の子は蛙ということだ。春水は、東京芸大志望だったな?」
「できればですけどね」
春水も芸術家を職業にするつもりのようだ。
「おめえらは良いよな。頭が良くってよ!」
夏火が拗ねたように言った。
「そう言えば、夏火さんは、わらわと同じように、頭が良くなかったの」
「日和! てめえ、もうちょっとオブラードに包んだ物の言い方を憶えろ!」
「す、すまぬのじゃ!」
日和は、夏火のあまりの剣幕に頭を抱えながら謝った。
「勉強をしていないのだから仕方がないだろう」
「くそ! 反論できねえじゃねえかよ!」
冬木がとどめを刺すような台詞を言ったが、けっして夏火をけなしている訳ではなく、これが四人のコミュニケーションの取り方だと、日和も分かるようになっていた。
「夏火は、プロミュージシャンを目指しているんだよね?」
「ああ! 高校卒業したら、大学には行かず、誰かのボーヤでもしつつ、コンテストに出まくってやるんだ!」
四人それぞれが自分の進むべき道をちゃんと探し出していることに、日和は感心をした。
「みんな、すごいのじゃなあ。わらわは、将来のことなど何も考えておらぬ」
「日和ちゃんは、進むべき道が生まれた時から決まっていたんだよね」
秋土が少し申し訳無さそうに言った。
四人の進むべき道は、四人が自らの意志で決めた道だった。
しかし、日和の進むべき道は、日和の意志には関係無く、日和が生まれた時から決まっていたのだ。
「わ、わらわは、別に、卑弥埜の家に生まれたこと自体は嫌ではなかったぞ」
申し訳ないような、気まずいような四人の顔を見て、日和が思わず言った。
「辛いと思ったこともあったが、真夜がいてくれたし、五年前まではお母様もいてくれた。お婆様だって、何だかんだ言って、わらわを大事にしてくれる。それに、こうやって学校にも行くようになって、みんなや手芸部で友達もできた。わらわの人生、できすぎじゃ!」
照れながらも、ちゃんと自分の考えを言えた日和の言葉に、四人とも優しい笑顔になっていた。
「日和さん! これからもっと幸せなことがありますよ」
「あると良いの」
日和の屈託のない微笑みに、四人とも見とれてしまったようだった。
「お、おい! いつまでも話してないで、早く作ろうぜ」
我に返ったように夏火が言うと、みんなが調理実習中だということを思い出した。
他のグループを見てみると、既に調理を始めていた。
「やべえ、出遅れたぞ」
「大丈夫じゃ」
「何だよ、日和! いつになく余裕じゃないかよ?」
「肉じゃがとお味噌汁なら、良く作っておるから」
「さっき、料理すると怒られるって言ってたじゃねえかよ」
「怒られるけど、料理することは好きなので、よく、隠れて料理をしておるのじゃ」
「そんなに好きなのですか?」
「何かを作り上げていくことが好きなのじゃ」
「なるほど。手芸に通じるところがあるのですね」
「そうなのじゃ!」
「ほれっ! 手がまた止まっているぞ」
冷静に事態を見ていた冬木が忠告をした。
「とりあえず料理を始めよう!」
この中で、リーダーシップを取るのは、やはり、秋土の役目だった。
「とにかく今日は、経験者の日和ちゃんの指示どおりに動こうよ」
「わ、わらわがみんなに指示を?」
「日和さんは、元々、姫様なのですから、姫様らしく命令をしていただければ良いのですよ」
真夜は、厳密に言うと家臣だが、幼馴染みでもあって、真夜に対しても命令を下したという経験はなかったし、どちらかというと、未だに真夜から注意という名の命令を下されているのは日和の方だった。
「わらわは、命令などできぬのじゃ」
「命令と言う言葉が不正確だったかもしれないな。お願いで良いのではないか?」
「そうですね。私の言い方が良くなかったようです」
「で、でも」
「日和! 自分一人で背負い込もうとするなよ」
自分一人で、ちゃっちゃと作ってしまおうと日和は考えていたが、四人にその作戦を封印されてしまった。
「さあさあ、何をすれば良い?」
四人がニコニコしながら日和の指示を待っていた。
日和も諦めて、みんなに単純な作業をお願いすることにした。
「それでは、わらわが味付けをするので、みんなは材料を切ってほしいのじゃ。まずは、ジャガイモの皮剥きなのじゃ」
しかし、一つのグループに皮剥き器は二つしかなかった。
「わらわともう一人で皮剥きをするから、後の人は、牛肉、タマネギ、ニンジン、サヤインゲン、味噌汁用のお豆腐を切ってほしいのじゃ」
「じゃあ、僕が皮剥きをするよ」
「待て、秋土! 俺がする!」
「まあまあ、ここはじゃんけんで決めましょう」
春水の提案で、四人でじゃんけんをすることになり、見事、勝ち抜いたのは、秋土だった。
「日和ちゃん、やり方を教えてよ」
「こうするのじゃ」
日和が皮剥き器を器用に使って、鮮やかにジャガイモの皮を剥くのを、秋土が日和のすぐ隣に立って、じっと見ていた。
「そ、そんなに見つめられると緊張するのじゃ」
「でも、すごく上手いね」
「実は、ほぼ毎日、厨房に立っておるのじゃ」
「本当に好きなんだね?」
「自分の好きなことには蓋はできないのじゃ」
「そっか。でも、日和ちゃんのお婆さんもそんなに怒らなくても良いのにね」
「わらわは、卑弥埜家の次期当主になるのじゃから、使用人のようなことをしてはいけないらしいのじゃ」
「当主だから料理をしちゃいけないっていうのは、やっぱり、何かおかしいよね」
「そ、そうなのじゃ! さすが、秋土さんじゃ! お婆様にも、その台詞をバシッと投げつけてやってほしいのじゃ!」
「いや、さすがにそれは、……まだ他人だし」
少し離れて包丁を使っていた春水、夏火そして冬木がすぐに反応して秋土の近づいた。
「秋土! 今、聞き捨てならないことを口走ったな! 『まだ他人』とはどう言う意味だ?」
「そのうち他人ではなくなるのか?」
「墓穴を掘りましたね、秋土」
「ちょっと待ってよ! とりあえず、みんな包丁を仕舞ってよ!」
「日和もそこは突っ込まないと駄目だろう?」
「な、何と突っ込めば良いのじゃ?」
「あんたなんか永遠に他人よってだよ!」
「そ、そんなことが言える訳ないのじゃ!」
「それも聞き捨てならねえな! 秋土とはそのうち他人じゃなくなるのか?」
「ここにいるみんなはもう他人じゃないのじゃ! わらわは友達じゃと思っておるのじゃが違うのか?」
「そう言う意味かよ」
「それであれば、我々みんな他人ではありませんね」
「じゃろう? どうして、みんな、そんなに反応したのじゃ?」
「えっと、……どうしてだろう?」
秋土のみならず、四人ともとぼけていた。
具材をすべてを切り分けた後、いよいよ調理に入った。
「日和ちゃんは調理に集中してもらって、材料とか調味料は、日和ちゃんの指示に従って、僕達が入れるからね」
「できるだけ貢献しないと、後で食べづらいですからね」
「わ、分かったのじゃ」
日和は、まず、タマネギをサラダオイルで炒め始めた。
タマネギをしんなりとさせると、横に待機していた春水に牛肉投下を指示した。
その後も的確なタイミングで具材と調味料の投入を指示してから、じっくりと煮込みだすと、良い匂いが漂ってきた。
「うひょ~、何だか美味そうな匂いがしてきたぜ」
「本当ですね」
「肉じゃがは、どちらかと言えば、簡単な料理なのじゃ」
適度にかき混ぜている鍋から視線を逸らさずに、日和が言った。
「そうなの? 肉じゃがが作れる女の子は家庭的ってイメージがあるんだけど」
「家庭的な女の子って、どんな女の子なんじゃろ?」
「日和ちゃんがドンピシャじゃない?」
「きょ、今日は、クラスの女の子がみんな、そうなのじゃ!」
四人が他のグループを見てみると、どこも女の子達が鍋の正面にいて、周りを男の子が手持ちぶさたで立っていた。
「なるほど。今日の家庭科は、料理を作ると言うより、二年壱組の女子を持ち上げることが目的だったのだな」
冬木が大真面目な顔で言った。
十五分も煮込むと肉じゃがは完成した。
その間、味噌汁も手早く作ってしまった日和のグループが完成一番乗りだった。
炊きたての御飯に味噌汁、そして肉じゃがを人数分よそうと、ちょうど昼食を兼ねた試食タイムとなった。
「いただきま~す!」
並んで座った日和と四臣家の四人が手を合わせて挨拶をして、早速、食べ始めた。
「うめえ!」
「良い感じにジャガイモがほくほくになってるね」
「このお味噌汁も美味しいですよ」
「うむ。普段は、それほどご飯は食べないが、これなら進むな」
がっついて食べている夏火以外はお行儀良く食べてはいるが、日和が見ていても、みんな、気持ちが良いくらいの食べっぷりであった。
そして、家では、真夜の賄いで、伊与と二人きりで食べている日和は、この四人と一緒に食べるということだけでも、まるでピクニックのような気がしてきて、それだけで楽しくなってきた。
「何だよ、日和! もう、腹いっぱいなのかよ?」
口いっぱいに頬張って、自分の分の御飯と肉じゃがを全て平らげている夏火が、まだ半分以上、御飯と肉じゃがが残っている日和に言った。
「わらわは、もうそろそろお腹がいっぱいなのじゃ」
これは本当のことで、御飯やおかずを単純に五等分した量は、日和が普段、食べている量からすると明らかに多かった。
「じゃあ、俺に分けてくれ!」
「良いのじゃ」
日和が自分の分の肉じゃがが入った皿を、みんなが取れるように机の真ん中に置くと、四方から箸が伸びてきた。
「夏火だけの物じゃないからね!」
「日和さんが作ってくれたレアな肉じゃがですからね」
「しかも卑弥埜の食べかけというプレミアム付きだからな」
冬木の言葉に、一瞬、あとの三人の箸を持った手が止まったが、すぐに動きを再開し、肉じゃがはあっという間に無くなった。




