第二十五帖 姫様、ショッピングを楽しむ!
伊与に呼ばれた日和は、真夜と一緒に伊与の部屋に入った。
部屋の奥には、伊与が正座し、その前に敷かれた座布団に日和が座り、少し下がって真夜が座った。
「お婆様、何でございましょう?」
「日和。五月の最終の日曜日、そなたの披露宴をすることとする」
「披露宴? わらわの何を披露すると言うのですか?」
「日和自身じゃ!」
「わらわ自身?」
「そうじゃ。卑弥埜家の次期当主だと、日本中の神術使いの前でお披露目するのじゃ」
「お、お婆様!」
「何じゃ?」
「日本中の神術使いと言うことは、人がいっぱい来るのでしょうの?」
「当たり前じゃ!」
「ど、どれくらい?」
「五百人は来るじゃろうの」
「そ、そんなに! でも、なぜ今頃、突然、披露宴をやることになったのですか?」
「おひい様」
日和の質問に、斜め後ろに正座していた真夜が声を掛けた。
「最近の度重なる守旧派と思われる奴らの襲撃を止めさせるためでございますよ」
「披露宴をすると襲撃が止まるのか?」
日和は、真夜の方に首を曲げ、訊いた。
「はい。正式に跡取りとなったおひい様に刃を向けることは、日本の神術使いの家すべてを敵に回すようなものだということを知らしめるのです」
日和は、真夜が言った理屈はまったく理解できなかったが、真夜の自信満々な態度から、自分の頭が悪いから理解できないのだと勝手に解釈した。
そうなると、日和の心配事は、披露宴がどのように開かれるのかになった。
「わ、わらわは座っておるだけで良いのじゃろうか?」
「主役が無言の披露宴がどこにあるのじゃ?」
「招待客に対してお礼を述べなければなりませんよ」
伊与と真夜の双方から突っ込まれてしまった日和であった。
「ご、五百人に向けて?」
「そうでございます」
「き、緊張してしまって、声など出ぬわ!」
「おひい様、せっかく、学校でも、ちゃんと話ができるようになったのです。伊与様もいつポックリと逝かれるのかもしれないのですから、ご健在なうちから挨拶の練習をしておくべきですぞ」
「こらっ、真夜! 儂を勝手に逝かせるでない!」
真夜の毒舌にもすっかりと慣らされている伊与は、特段、気にすることなく、日和に視線を戻した。
「日和! 学校でもう十分練習もできたであろう? 五人の前で話すのも、五百人の前で話すのも同じじゃ」
「違いまする!」
「とにかく、これは決定事項じゃ! 明日には各家に招待状を送る。分かったの?」
「……はい」
卑弥埜家のたった一人の跡取り娘として逃れられない宿命なのだと、自分に言い聞かせるしかなかった日和であった。
掛け持ちデートの日から一週間が過ぎ、また、日曜日がやって来た。
部屋の姿見の前に座った日和の髪を、後ろに立った真夜が丁寧にブラシで解いていた。
「本日、拙者は、影からお守りはいたしますが、命の危険が無い以上、しゃしゃり出て行ってまで手助けいたしませぬぞ」
「迷子になって家に帰れないと、御飯が食べられずに空腹で死んでしまうかもしれないのじゃ」
真夜から、今日は一人で出掛けるようにと言われて、日和は不安であった。
「コンビニでパンでも買われませ」
「コンビニでだって、まだ買い物したことないのじゃ」
「そうでしたな。良い機会ではありませぬか」
「……季節は暖かくなってきたのに、真夜は真冬のままじゃな」
「暖かくなってきておりますから、道に迷って野宿をしても命を落とすことはありませんな」
「……また、墓穴を掘ったのじゃ」
真夜は、真っ赤なリボンで日和の髪をポニーテールにまとめると、日和の背中をぽんと叩いた。
「できました。今日のおひい様はすごく可愛いですぞ」
「そ、そうかの?」
「ええ、男どもが言い寄って来そうですが、三輪殿がいらっしゃるから大丈夫でしょう」
「そ、それもそうじゃな」
日和は、立ち上がって、姿見で全身を見た。
ピンクのブラウスの上に、春らしい薄萌葱色のカーデガンを羽織り、白くふわっとしたミディ丈のスカートに、足元は素足にフリルが着いたソックスを履いていた。
通販で揃えた服も、やっと日の目を見る時がやって来たのだ。
待ち合わせは、方向音痴の日和を思いやってくれて、学校の門の前にしてくれたが、学校にも初めて一人で行く日和は、縮地術の扉がある公園から、あちこちと迷いながら、やっと学校に着いた。
迷うことを前提に十分前には出たが、着いた時には約束の時間を十分ほど過ぎており、美和と和歌は既に門の前で待っていた。
美和は、シックな色合いのワンピースの上に淡い色合いのジャケットを羽織り、足元は黒のストッキングにヒールパンプスを履いており、女子大生と言ってもおかしくないほど大人びていた。
和歌は、長袖のダンガリーシャツの下にブラウンのミニスカートを履いて、素足にブラウンのソックスとスニーカーで、いつも以上に溌剌としたイメージであった。
「待たせてすまぬのじゃ」
日和は、二人に頭を下げながら小走りに近づいた。
「良いのよ、日和ちゃん。和歌ちゃんもついさっき来たばかりだから」
和歌は、決まりが悪そうに頭をポリポリ掻いていた。
「でも、今日の日和ちゃんは、血圧が上がるくらい可愛いわね」
「ど、どうもなのじゃ」
「ポニテも可愛いし、服も可愛い!」
「部長と和歌ちゃんの服も可愛いのじゃ」
「日和ちゃんの方が絶対可愛いわよ! もう吐血しそうよ」
「部長、それは一度、病院に行った方が良いのではないか?」
「お医者様には治せないわよ。さあ、この前みたいに変な男が迫って来るかもしれないから、私が手を繋いで行ってあげる」
日和の返事も待たずに、美和は日和の手を握った。
二十センチくらいの身長差がある日和と美和が手を繋いだ姿は、姉が幼い妹の手を引いてあげているような絵面であった。
「さあ、行きましょう!」
美和には、和歌の姿は見えていないようで、日和の手を引いて、とっとと駅まで歩き出した。
学校最寄りの駅から二駅行くと都心の大きなターミナル駅に着いた。
日和達は、和歌の案内で、駅に隣接しているデパートに入り、和歌御用達の「ピンク・サブマリン」というブランドの店に行った。
そこは、Sサイズの可愛い洋服の品揃えが充実していた。
「可愛いお洋服がいっぱいじゃ!」
「確かに、日和ちゃんに似合いそうね」
「卑弥埜先輩、今日は、お洋服を買うんですか?」
「うん。お小遣いも持って来たのじゃ」
「じゃあ、私も気合いを入れて、日和ちゃんに着てほしい服を選ぶわね」
「着てほしい服って?」
「良いから遠慮しないで。日和ちゃんには、お人形さんが着ているような服を着せたいわね」
「わ、わらわは着せ替え人形ではないのじゃが」
「あっ、日和ちゃん! あの服なんかどう?」
テンションマックスの美和には、日和の言葉さえも聞こえていないようだった。
「これが絶対良いわ! 日和ちゃん、試着してみて!」
美和が差し出したのは、フリルが付いた白いドレス風ワンピースで、確かに可愛かった。
「う、うん。分かったのじゃ」
日和が靴を脱いで試着室に入ろうとすると、美和も靴を脱いで一緒に入って来た。
「ちょっ! 部長! 何をしておるのじゃ?」
「何をって、試着を手伝ってあげるのに決まってるじゃない!」
「わ、わらわは一人で着替えることができるのじゃ!」
「遠慮しないで、日和ちゃん。和歌ちゃんは外をちゃんと見張っててね!」
「へ~い」
和歌の気のない返事を聞くと、美和は試着室のカーテンを閉めた。
「さあ、まずはお洋服を脱ぎ脱ぎしましょうね」
美和は日和の背後に密着して、背中越しに日和のブラウスのボタンをはずし始めた。
「ぶ、部長! は、恥ずかしいのじゃ!」
「女同士なんだから、恥ずかしいことなんて無いでしょ? 何なら私も脱ごうか?」
「い、いや、その必要はないが……、あっ! いつの間に?」
気がつくと下着姿になっていた日和を、美和が後ろからぎゅっと抱き締めた。
「日和ちゃんはハーフって言ってたけど、本当に肌が真っ白ね。それにすべすべしてて……」
美和の手が、ゴムゴム~と伸びて、日和の体のあちこちを撫でた。
「ぶ、部長! は、早く着替えを」
「大丈夫。服は逃げたりしないわよ」
「わ、わらわが逃げたいのじゃ!」
「ああ、逃げないで! もう! 日和ちゃんたら我が儘なんだから!」
美和は、渋々、日和にワンピースを着せると、日和を自分の方に向けて、上から下まで舐めるように見た。
「うんっ! やっぱり可愛い! でも、他の服も試してみる?」
「そ、そうじゃの」
「そうだよね! じゃあ、また脱いでくれる! あと十着くらいは試してみようか?」
「あっ! こ、これが良いのじゃ! これ、すごく気に入ったのじゃ!」
これ以上、美和の試着プレイに耐えられるとは思えなかった日和は、最初に試着した白のワンピースをそのまま買った。少し子供っぽい服だとは思ったが、嫌いなデザインでもなかったから、身の安全のため妥当な判断と言えよう。
不完全燃焼気味の美和が、夏に備えて、水着も見に行こうと提案してきたが、貞操の危機を感じた日和は丁寧に断った。
「そろそろ、どこかでお昼にしませんか?」
日和と美和との貞操を懸けた攻防戦の陰で、空気と化していた和歌が言った。
「あらっ、もうこんな時間! そうね、食べましょうか?」
「そうじゃの」
この二人とは、以前にコーヒーショップには一緒に行っていたが、外食をするのは初めてだった。日和にとっては、真夜以外の人との初めての外食であった。
初めてファミレスに入った日和は、そのメニューの多さに驚いた。
「こ、こんなに多くの種類の料理が作れるなんて、ここの料理人は天才じゃのう!」
「日和ちゃんって、何か、本当にずれているわね」
「えっ! そ、そうか?」
「そこが可愛いんだけどね」
しっかりと日和の隣に座った美和が、体を密着させ、頬をすりすりしてきた。
「とりあえずおーだーきまりましたか~?」
正面に一人座っている和歌の棒読み台詞で我に返った美和がドリアを頼んだ。
「日和ちゃんは何にする?」
「え~と」
家では伊与の趣味もあり和食が多い日和は、洋食から選ぼうとしたが、少食な日和は、そのボリュームに食べきれるか不安になった。
「全部、量が多いような気がするのじゃ」
「食べきれなかったら、残せば良いじゃないですか」
「食べ物を粗末にしてはいけないのじゃ! お百姓さんに申し訳ないのじゃ!」
まるで幼稚園の先生のように、和歌に説教をする日和であった。
「日和ちゃんの言うとおりよ! でも、日和ちゃんが食べきれなかったら、私が食べてあげるから、何でも頼みなさい」
「部長、大丈夫なのか?」
「こう見えて大食いなのよ」
「そんなに見えないのじゃが……」
日和と和歌は、美和のたわわな胸を見て納得してしまった。
「本当に何を頼んでも良いのじゃろうか?」
「ええ、心配しないで」
「じゃあ、このスペシャルランチAセットにするのじゃ!」
「えっ…………」
美和のドリア、和歌のグラタンと一緒に、ハンバーグ、カレー、オムライス、スパゲッティといったファミレスの定番メニューがてんこ盛りにされたスペシャルランチAセットが運ばれてきた。
「いろんな料理を少しずつ食べたかったのじゃ。でも、部長、自分のドリアも食べて、これも食べるなんて、すごいんじゃな。胃袋が四つあるのではないのか?」
「は、ははは……」
「部長! お残しは許されないんですよね?」
和歌も悪戯っ子ぽい微笑みを浮かべていた。
「そ、そうね。ひ、日和ちゃんも頑張って食べてね」
「うん! いただきま~す!」
「そう言えば、明日から、もう五月ですね」
遠くを眺めるような目をして、和歌がぽつりと呟くと、お腹をさすりながら、少し青い顔をしている美和も切なげな表情を見せた。
「そうね。最後の高校生活だと思うと、何だか時が経つのが早いわ」
「部長も進学されるんですよね?」
「ええ、一応、都内の大学を受けるつもりよ」
「部長は、何か目指している道はあるのじゃろうか?」
「私は、ファッション関係の道に進みたいの。デザイナーとかになれたら最高なんだけどね」
「部長なら絶対なれると思うのじゃ!」
美和の縫製技術の高さや美的感覚の素晴らしさを知っている日和は、本気でそう思った。
「ありがとう。世の中、そんなに甘くはないとは思うけど、自分なりに夢は追いかけていくつもりよ。日和ちゃんは神術学科だから、お家の伝統芸能か何かを伝承するのかしら?」
普通科の生徒の神術学科に対する認識は、美和が持っているようなものであった。
「そ、そうじゃな。そう決まっておるのじゃ。和歌ちゃんは何になるのか決めておるのか?」
「まったくですね。まだ一年だし」
「今のうちから考えていた方が良いわよ。時間なんてあっという間に経ってしまうから。五月には体育祭があって、六月と七月にはテストがあって、もう夏休みが目の前よ」
「目の前すぎますよ! でも、体育祭ですかあ」
「体育祭って何なのじゃ?」
学校に初めて通い出した日和が知るわけもなかった。
「全校生徒が一緒にいろんな競技をするんですよ」
「そ、そんなのがあるのか?」
「日和ちゃんは運動はどうなの?」
「全然、駄目なのじゃ! さかあがりもできたことがないのじゃ」
「私も空手はしてたけど、走るのは遅いのよね」
美和の胸を見て、また納得してしまった日和と和歌であった。
「和歌ちゃんは、すばしっこそうね」
「任せてください! シャッターを押した後、人混みに紛れること風のごとしですから!」
「……」




