第二十三帖 姫様、掛け持ちデート(?)をする!(その2)
電車に乗って学校まで戻った日和と真夜は、午後三時前には、新校舎一階の美術室の前にいた。
ノックをすると、春水が扉を開けた。
「日和さん、真夜さん、わざわざ申し訳ありません」
中に通されると、部屋の真ん中に背もたれの無い丸椅子が置かれており、その前に真っ白なキャンパスが掛けられたイーゼルが一つ置かれていた。
「お疲れでしょう? 今、お茶を入れますね」
春水が部室の隅にある流し台に向かうと、ここでも真夜が先回りした。
「拙者がいたします。時間もあまりありませんから、春水殿は準備をどうぞ」
「すみません。では、お言葉に甘えさせていただきます」
春水は、日和を部屋の真ん中の丸椅子に案内して座らせると、あちこちと場所を変えながら、日和を見た。
そして、自分のキャンパスの前に座ると、しばらくの間、日和を見つめてから、また、日和に近づいた。
「日和さん、体を少し右に向けていただけますか? ……ちょっと戻っていただいて」
座る方向を決めると、今度は、足の出し方や手の置き方を細かく指示をした。
「日和さん、細かいことを言って申し訳ありません」
「い、いや、わらわもモデルをやるのは初めてじゃから、ちょっとワクワクしておるのじゃ」
日和は、今しているポーズを崩さないように、前を向いたまま左側にいる春水に答えた。
「そう言っていただけると助かります」
最終的にポーズが決まり、春水がキャンパスにデッサンを始めると、美術室に木炭でキャンパスを擦る音だけが響いた。
日和も最初は春水にずっと見つめられていると気になって、表情が引きつっていたが、一切の雑念を感じさせないくらいに集中してデッサンをしている春水の気迫のようなものが伝わってきて、その真剣な姿勢に応えなければと、自身も自然と集中してきた。
「日和さん、ありがとうございます。少し休憩しましょうか?」
春水の声で、時計を見てみると、開始から三十分も経っていた。集中力が切れると、やはり体に力が入っていたことが分かり、少し疲労感が感じられた。
「どうぞ」
そのタイミングを逃さず、真夜がお茶を入れて、春水と日和に差し出した。
「真夜さん、ありがとうございます」
「春水さん、絵を見ても良いか?」
「はい。結構ですよ」
お茶を一口飲んでから、春水のキャンパスの前に立つと、まだ、椅子に座った人物としか分からない最低限の線しか描かれていなかったが、もう、それだけで作品だと言われても納得できるほど、力強いタッチで描かれていた。
「あと一時間ほどおつき合いください。今日は、デッサンを完成させますので」
「分かったのじゃ」
「今、日和さんの左半分の顔をずっと眺めていたのですが、日和さんは不思議な顔をされていますね」
「そんなことは初めて言われたのじゃ! そんなに人間離れしておるのじゃろうか?」
「ふふふふ、そうですね。私にとっては、未知との遭遇だったかもしれません」
「わらわは、宇宙人と同じなのか?」
「もちろん良い意味でですよ」
本当に焦ってしまった日和を慰めるように春水が優しく言った。
「やはり、姫様ならではの気品というか、連綿と過去から受け継がれてきている歴史の重みというか、……そんな、言葉にできない何かを感じるのです」
「きっと、気のせいなのじゃ。たぶん、卑弥埜の人間というだけで、そんな気がしているだけじゃと思う」
「そうでしょうか?」
「そうなのじゃ!」
「ふふふふ、分かりました」
十五分ほど休憩すると、デッサンが再開された。
春水に横顔を見せるようにポーズを取って座っている日和は、直接、春水の顔を見ることはできなかったが、優しさと厳しさが同居する真剣な視線をずっと感じていた。
その後、何回か休憩しながら、黙々と春水がデッサンを続けて、午後六時の十五分前に終わった。
できあがったデッサンは太いラフな線だけで描かれていたが、日和は、一瞬、色彩が施された鮮やかな絵に見えた。
「絵が……」
ぽつりと日和が呟くと、春水は、にこやかな顔を見せた。
「完成形が見えましたか?」
「見えたのじゃ」
「日和さんに見えた絵のイメージは、私の頭の中に出来上がっているイメージとは違うと思います。絵の見え方は、人によって千差万別ですから」
「春水さんのイメージとはどんなものなのじゃろう?」
「それは出来上がりをお持ちください。なぜなら、今、私が思い描いているイメージが最終形ではありません。実際に描いていると、どんどんとイメージが膨らんでいって、自分でも思いも寄らなかった絵になることがありますから」
「それは出来上がりが楽しみなのじゃ」
「日和さんの期待を裏切らないように頑張ります」
「無理はしないでたもれ」
「これまで、絵を描いていて辛いと思ったことがないので、無理をしているなと思ったこともありません」
「春水さんは、本当に、絵を描くことが好きなんじゃな」
「今のところ、私の中では優先順位一位ですね」
「今のところ?」
「ひょっとしたら、日和さんが第一順位に躍り出るかもしれませんから」
「えっ! そ、それはどう言うことじゃろう?」
「未来は誰にも分からないということです」
「そ、それはそうじゃの」
「日和さん」
「うん?」
「そのうち、日和さんとは、じっくりと創作談義をしたいものですね。二人きりで」
「えっと、……そ、そのうちにの」
春水の美しい顔で見つめられると、日和の胸の鼓動は速まった。
その姿を見つめるだけで幸せになれると言うスプリングウォーターズの気持ちも少し分かった気がした。
その後、他愛のない話をしていると、あっという間に午後六時を五分ほど過ぎていた。
「夏火に怒られてしまいますね」
「春水殿。あの時計は少し遅れているようです。拙者の時計では、ちょうど六時です」
「真夜さん、ありがとうございます。では、日和さん、どうもお疲れ様でした。そして、ありがとうございました」
「こちらこそ! ……わらわも楽しかったのじゃ」
春水の微笑みに見送られながら、日和と真夜は学校から出ると、駅に向かう途中にある商店街に歩いて向かった。
いつもより通行客が多い商店街の通りの両側には、いくつか夜店が出ており、良い匂いが漂っていた。
小さな時以来、お祭りに行ってなかった日和は、その賑やかな雰囲気に気分まで浮かれてきた。
「真夜! ちょっと、お腹が空かないか?」
「そうですね。確かに、いつもなら晩ご飯を食べている時間でございますね。おひい様は何か食べたいものでもあるのでしょうか?」
「あそこには、たこ焼きがあるの! あっちには綿飴も! あれは林檎飴じゃ!」
「おひい様、そんなに食べるおつもりですか?」
「久しぶりに食べてみたいのじゃ! 今日は、お婆様は一人で食べるのじゃろう?」
「はい。侍女に支度を頼んでおきました」
「ならば、わらわ達は、ここで食べていっても良いのじゃな?」
「そうでございますが、そのようなジャンクフードばかりでは栄養が偏ってしまいますぞ」
「また、真夜は、そんな母親のようなことを言うて!」
頬を膨らませて睨む日和の顔に、真夜も思わず、くすりと笑った。
「そうでございましたね。分かりました。今日は特別でございますよ」
「やったのじゃ! な、何を食べようかの?」
「おひい様、まず、ライブ会場を確認しておきましょう」
「それもそうじゃな」
ちょっと残念に思ったが、夏火に、ちゃんと見に来たことを知らせておいてから、心置きなく食事をする方が美味しく食べることはできると考え直した。
別のバンドが既にライブをしているようで、聞こえてくるその音を頼りに進むと、ライブ会場はすぐに見つかった。
そこは、商店街の中にある児童公園で、その奥に櫓が建てられ、即席のステージが作られていた。
PAシステムと、ある程度の照明設備も備え付けられており、煌びやかなステージでは、年配の男性達のバンドが懐かしい雰囲気の音楽を演奏していた。
ステージの横に立てられた商店街の名前がプリントされたテントの下に、何組かのバンドがたむろしており、その中に夏火のバンドもいた。
日和と真夜に気がついた夏火が、一人、近づいて来た。
「おう! 約束どおり来てくれたな」
「夏火さん、頑張ってたもれ」
「日和が来てくれたから、公開練習の時と同じくらい、やりきることができるぜ!」
「う、うん」
「夏火殿のバンドは何時からスタートになりそうですか?」
「ほぼスケジュールどおりに進行しているから、予定どおり七時頃からかな?」
「まだ三十分ほど時間がありますので、少し腹ごしらえをしてまいります」
「そ、そうか? ちゃんと来てくれよな」
「拙者が常に時間を確認しております」
「真夜がそう言うのなら安心だな」
「わ、わらわだけじゃと信用できないのか?」
「まあ、日和は物忘れが酷いからな」
「そ、そんなことはないのじゃ! 忘れるのはたまになのじゃ!」
「日和の『たまに』は二日に一回か?」
「ち、違うのじゃ!」
頬を膨らませて怒る日和を、夏火が笑顔で見ていた。
「日和も俺に言い返すことはできるようになったな」
「あっ……」
最初に夏火に会った時、その乱暴な言葉遣いが怖くて、口を利くことすらできなかったのに、あれから一か月ほど経った今、夏火の言うとおり、ちゃんと言い返すことができていることに自分でも驚いた。
「ちょ、ちょっと食べて来るのじゃ。行こうぞ、真夜!」
何故だか少し照れくさくなった日和は、真夜の手を取ると、夜店に向かって走って行った。
日和と真夜は、一番美味しそうな匂いをさせていた夜店で買った焼きそばを、通りの中に設けられた無料休憩所で食べた。
「美味しいのじゃ! お祭りで何かを食べたのは久しぶりじゃ。確か、お母様に連れられて、お祭りに行った時以来じゃな?」
「……そうでございますね」
日和にとっては悲しい思い出だと思った真夜は表情を少し沈ませたが、当の日和は笑顔であった。
「真夜」
「はい?」
「今度は、浴衣を着て来ようの」
「拙者は浴衣を持っておりませぬ」
「わらわが真夜に似合う浴衣を選んであげるのじゃ」
「……ありがとうございます。楽しみにしております」
日和は、心の奥底では、まだ母親の死を受け入れることを拒否していた。
自分の目の前で息絶えた父母の姿が、まだ鮮明に記憶に残っていた。
しかし、自らの身体を傷付けてまで、自分に尽くしてくれる道を選んだ真夜のためにも、いつも笑って過ごしたいと思っていた。
そんな日和の気持ちが伝わったのか、真夜も優しく微笑みながら、日和を見ていた。
「おひい様」
「何じゃ?」
「歯に青のりがいっぱい付いていますよ」
「そう言う真夜だって付いておるぞ」
「本当でございますか? 焼きそばなど食べたのも久しぶりでしたので油断しておりました」
「そうじゃな。夏火さんの所に戻る前に、どこぞでうがいでもして行こうぞ」
日和と真夜が午後七時になる前にステージ前に戻ると、ちょうど、夏火のバンドが、照明の落とされたステージでセッティングをしているところだった。
立ち見の観客席には三十人ほどいたが、そのうち半分くらいは耶麻臺学園の生徒だと思われた。日和は、その中に和歌がいるのを見つけたが、和歌も日和に気がついたようで、日和に近づいて来た。
「卑弥埜先輩! 梨芽先輩! こんばんは!」
「こんばんはなのじゃ」
真夜も笑顔で会釈した。
「先輩方はどうして制服なんですか?」
「学校にも行く用事があったのじゃ」
「そうなんですか?」
「和歌ちゃん、秋土さんの試合には行ったのか?」
「でへへへ。目が覚めなくて行けませんでした」
「試合は午後からじゃったぞ。いつまで寝てたのじゃ?」
「起きたら午後三時でした。卑弥埜先輩のお陰で撮れた四綺羅星の皆さんの写真でいろいろと楽しんでいたら、朝になっちゃって」
「どれだけ好きなのじゃ?」
「もう三度の飯より好きです!」
「ぶれないところは、さすが、和歌ちゃんじゃな」
「どうもありがとうございます!」
褒められたと勘違いしている和歌であった。
「でも、今日の和歌ちゃんの服はすごく可愛いの。どこで買っておるのじゃ?」
可愛いファッションにも興味があって、家で通販カタログを眺めることが好きな日和は、自分の好みに一致している和歌の着ている服が気になった。
「私は、駅前のデパートの中にある『ピンク・サブマリン』というお店で、いつも買っていますよ。私、中学の時からこのブランドの服が大好きなんです。それに、そんなに高くもないですよ」
「そうなのか。わらわも行って、いろいろと見てみたいのじゃ」
「今度、一緒に行ってみますか?」
「うん! 行ってみたいのじゃ!」
「じゃあ、次の日曜日とか?」
「うんうん! 明日、部室で詳しく話をしようぞ」
和歌を呼ぶ声が聞こえた。どうやら一緒に来ている友達のようだった。
「卑弥埜先輩! それじゃあ失礼します」
「うん、またの」
「はい!」
和歌は、ステージの最前列に陣取っている女友達の所に小走りに去って行った。
「おひい様、また、お出掛けの約束ができましたな」
「あっ、そうじゃな」
物おじしないで夏火に言い返せたこととか、積極的に外出の約束をしていることから、自分が変わってきていることが実感できた日和であった。
「おひい様、どこでお聴きになりますか?」
「ゆっくりと聴きたいから後ろの方が良いかの」
日和と真夜は観客席の後ろの方に立った。
ステージが始まると、部室での公開練習よりは、ずっと良い音響システムで、バンドの音も夏火の声もパワフルで魅力的な響きを夜空に広げていった。
また、ライブハウスほど本格的ではないが、色とりどりの照明は、ステージを華やかに見せていた。
最前列に陣取った和歌や耶麻臺学園の生徒と思われる一団は、最初からノリノリで飛び跳ねていた。
「真夜、いかがじゃ? 真夜もライブなど初めてであろう?」
「はい。最初は耳が痛いほど大きな音だと思いましたが、今は、それが心地良いです」
「自分で音楽ができたら気持ちが良いじゃろうの?」
日和と真夜も体でリズムを取りながらステージを食い入るように見つめていた。
ライブは、公開練習と同じ曲目で、三曲目には、夏火オリジナルのバラードが演奏された。
今日は泣くまいと思っていたが、パワーアップされた音響と照明で更に感動してしまって、日和は、また涙ぐんでしまった。
真夜に涙を見られるのが恥ずかしくて、真夜から少し顔をそむけた日和であった。
ライブは生徒達の盛り上げもあって、大盛況で終わった。
ただ、出演バンドがこの後にも控えていたことから、アンコール演奏はされなかった。
ステージを降りてきた夏火とバンドメンバーは、最前列に陣取り盛り上げてくれた生徒達とハイタッチや抱き合ったりして、ライブの成功を祝っていた。
その中から、夏火が一人抜け出てきて、日和の方に近づいて来た。
「ど、どうだった?」
「良かったのじゃ!」
「本当か?」
「夏火さんは満足できる出来ではなかったのか?」
「こう見えて、最初は、けっこう緊張してたんだぜ。一曲目が終わる頃には、もうぶっ飛んでしまっていたけどな」
「夏火さんでも緊張することがあるんじゃな?」
「お前なあ! 俺のことロボットとでも思ってるのかよ!」
「すまぬ! すまぬのじゃ!」
本当に怒っているような夏火の言葉に、日和は、頭を抱えて謝った。
「ったく!」
そう言いながらも、夏火は嬉しそうだった。




