第二十二帖 姫様、掛け持ちデート(?)をする!(その1)
四臣家の四人と約束していた日曜日がやって来た。
休日であっても、学校の敷地に入るのには制服着用と決められていることから、いつもと同じように、日和と真夜は制服を着込んで学校に向かった。
校門には警備員が立っていたが、二人の制服を見て、そのまま中に入れてくれた。
校庭では、いくつかの運動部が休日練習をしており、吹奏楽部が練習している音も聞こえていた。
「みんな、日曜日も頑張っておるのじゃな」
「そうでございますね」
「わらわも日曜日に頑張ってみようかの?」
「おひい様の場合、伊与様に邪魔されず、集中してできるからでございましょう?」
「てへへ。今度、和歌ちゃんを誘ってみるのじゃ」
などと話しながら、日和と真夜が新校舎に入り、手芸部の隣にある科学部の部室の扉をノックすると、制服の上に白衣を羽織っている冬木が扉を開いた。
「よく来てくれた」
いつもどおり、クールな対応の冬木であったが、心なしか嬉しそうであった。
日和と真夜が部室に入ると、いつもある机が部屋の隅に片付けられ、窓には暗幕のようなカーテンが引かれていて、冬木が引き戸を閉めると、そこにも同じようなカーテンを引いた。
これで電灯を消すと、真っ暗になるはずであった。
「まるで暗室のようですな」
「暗闇にして行う実験なのだ。梨芽はそこに、卑弥埜はそこに座っていてくれ」
真夜が入口に近い場所に、日和が部屋の真ん中に置かれた丸椅子にそれぞれ座った。
「これから行う実験は、卑弥埜にいろんな計測器を当てて、太陽の神術を発動したときの卑弥埜の体の変化を観測するのだ」
「体を観測? な、何だか恥ずかしいのじゃ!」
「か、体を観測するといっても体温とか脈拍とかだ! そ、その身長とか体重とかは観測したりしない!」
さっきまでのクールさを忘れたように、焦り気味に言い訳する冬木が、少しだけ可愛く思えた日和だった。
「これを見てみろ」
日和が、冬木が指差す先を見てみると、高い三脚の上に乗っている四角い機械が三つあり、その全部から、カメラのレンズのような突起が出て、日和を睨んでいた。
冬木が順番に説明していった。
「これは、ハイスピードカメラだ。撮影した動画をスローモーションで再生するもので、卑弥埜が太陽の神術を発動した際のエネルギー発生の様子を映像から解析しようとするものだ」
冬木は一つ横にある機械の側に立った。
「これは、赤外線カメラだ。卑弥埜の体温の変化と、発生した熱の温度を観測する」
冬木は、更に横にある機械を示した。
「これは、光度計に繋がっている。卑弥埜が発生させた太陽の光度を測定するんだ」
「冬木殿。科学部には、こんな備品も備えているのですか?」
さすがの真夜も本格的な機器を使っての実験に驚いていた。
「いや、これは自分の私物だ」
「小遣いで買えるようなものではございませんぞ」
「正確に言うと、これらは、科学者である父親の研究室で廃棄予定だったお古をもらったものだ」
そうであっても、私物で検査用カメラを持っている高校生はかなり珍しいであろう。
冬木は、そのカメラ類から離れ、自分の机の上に置かれていた小さなケースを日和に渡した。
「ここにある穴に卑弥埜の人差し指を差し込んでくれ。これで血圧と脈拍を測ることができる」
日和が左手の人差し指をケースの側面に開いている穴に入れると、ピッと音がして、早速、計測を始めたようだ。
「それを差し込んだまま、太陽の神術を発動させることができるか?」
「大丈夫じゃ」
「では、始めよう」
冬木が、もう一度、検査用カメラの位置とピントを確認して回り、それぞれが正常にスタンバイしていることを確認すると、部室の電灯スイッチの近くに立った。
「もうカメラは回っているから、自分が電灯を消したら勝手に始めてくれ。十秒ほど発動させてもらうが、自分がストップと言うまで続けてほしい」
「分かったのじゃ」
「行くぞ!」
冬木が電灯を消すと、部屋は真っ暗になった。
しかし、ほどなく部屋の中央に小さな光の玉が現れると、徐々に眩しく輝きだした。
電灯が点いている時よりも遙かに明るくなると、部屋の中が急に暑くなってきた。
「ストップ!」
冬木が大声で叫ぶと、日和の胸の前で輝いていた光の玉はしぼんでいき、元の真っ暗な部屋に戻った。
すぐに部屋の灯りが点されると、消灯前と何も変わらずに、日和が椅子に座っていた。
冬木は日和に近づき軽く頭を下げた。
「お疲れ! 卑弥埜! 計測値のばらつきを無くすため、この後も同じことを何回か繰り返す。体は大丈夫か?」
「この程度であれば問題は無いのじゃ」
「実験と実験の間には、ちゃんと休憩を入れるから、すまないが頑張ってくれ」
冬木は、部室の奥に置いている電気ポットの近くに行くと、お茶を入れる準備をしだした。
しかし、すぐに真夜が飛んで行った。
「拙者がやります。冬木殿は、おひい様とお話をされていてください」
「そ、そうか。すまないな」
「いえ、これが拙者の役目でございます」
冬木は、自分の机に座り、ノートパソコンの画面を見た。
「実技演習室よりもはるかに狭い部室だったからか、すぐに気温が上がったな」
「わらわもこんな狭い部屋で発動したのは初めてなのじゃ」
「測定の時よりも気楽にできたのではないか? 卑弥埜の血圧と脈拍は、ほとんど変化が無かったようだ」
「飛拳を飛ばす必要が無かったからの」
真夜が淹れたお茶を飲んだ後、休憩を挟みながら、同じ実験を十回繰り返した。
すべてが終わった後、冬木がスローモーション映像を一つ試しにノートパソコンに映し出した。
真っ暗な画面の真ん中で小さな光点が現れたと思うと、徐々にそれが大きく輝きだし、その光に照らされて、目を閉じて祈っているような日和の顔が映し出された。
自分の写真や映像を撮ることがそんなに無かった日和は、その映像に照れてしまった。
「な、何か恥ずかしいのじゃ」
「いや、暗闇に浮かぶ卑弥埜の顔は神々しいぞ」
「て、照れるのじゃ」
「ふむ。卑弥埜の秘蔵ビデオというところだな」
「冬木さん! 他の人には見せないでたもれ!」
「もちろんだ。こんなお宝映像を人に見せてたまるか」
「お宝映像って何なのじゃ!」
「この学校で卑弥埜の動画を持っているのが自分だけだという優越感にも浸れるな」
満足げな冬木に背中に三日月剣が突きつけられた。
「冬木殿。まさか、最初から、おひい様の動画を撮ることが目的であったのではないでしょうな?」
「そ、そんなことはない! ご、誤解をするな! た、たまたまだ!」
「おひい様の動画を変なことに使うようなことがあれば、いくら冬木殿でも、拙者が許しませんぞ!」
「へ、変なこととはどんなことだ?」
剣を突きつけられている冬木の慌てっぷりから、とても、そんな下心を持っているとは思えなかった日和と真夜は、研究一筋で純粋な冬木の、木訥ではあるが真面目で誠実な人柄を再確認した。
「分かりました。御無礼お許しください」
真夜は剣を仕舞って、冬木に頭を下げた。
「と、とにかく、この動画をコピーしたりしないから信じてくれ」
「わらわは、冬木さんを信じておる」
「ありがとう、卑弥埜。だが、このカメラの映像はじっくりと見て分析をしなければならないからな。かぶりつきでこの映像を見ていても引かないでくれ」
「分かったのじゃ。それは実験に必要なのじゃろう?」
「そうだ! 太陽の神術をじっくり見なければいけないのだ。そ、そのついでに、卑弥埜の顔に少しだけ視線が向いても、そ、それは不可抗力だからな」
言い訳がましい冬木に言葉に、日和も吹き出してしまった。
「ふふふふふ」
「それだ!」
冬木の大きな声に、日和は驚いて、笑いを引っ込めた。
「な、何じゃ?」
「その無邪気な笑い声だ」
「ああ、理科子ちゃんのクリア条件じゃな」
「科学部のOBが女の子の無邪気な笑い声をクリア条件にした理由が分かった」
「えっ?」
「卑弥埜の笑い声を聞くと、自分までも楽しくなってくる。卑弥埜の笑い声はずっと聞いていたいな」
「冬木殿の言うことは、拙者もよく分かります。おひい様の笑顔が見られると、それだけで嬉しくなってしまいますからな」
「であろう? 次の実験は、卑弥埜の笑いの秘密を検証してみようか?」
「冬木殿」
「何だ、梨芽?」
「図に乗りすぎませぬように」
「……すまない」
ニコニコと笑いながら怒っている真夜に、思わず謝ってしまう冬木であった。
午後零時になり、日和と真夜は、冬木に別れを告げて、学校から出ると、電車を乗り継いで、隣区にあるスポーツ施設に行った。
今日は、テニスだけではなく、サッカーやバレーボールなどの高校生の大会が同じ施設であるようで、会場の中は見知らぬ制服の高校生で溢れていた。
「こ、こんなに人がおるのか?」
「大丈夫ですか、おひい様?」
「ちょっと、人に酔ったかもしれないのじゃ」
これまでは、田舎の家でずっと引き籠もっていて、学校に行きだしてからも、歩いて行ける距離まで縮地術を使って行っているので、これほど大勢の人の群れを見たのは初めての日和だった。
「どこかでお休みになられますか?」
「大丈夫じゃ。それに、秋土さんの試合が、もう始まるかもしれないのじゃ」
「とりあえず、秋土殿を探しましょうか?」
テニス大会の会場に行くと、別の人が試合をしているコートサイドで、秋土がウォーミングアップをしていた。
日和と真夜が、テニスコートの周囲を取り囲むようにしてある観覧席に腰を下ろすと、ちょうど試合が終わった。
ラインを引き直すなどの準備の間、秋土は日和達に気がついたようで、笑顔で手を振ってきた。
「おひい様」
手を振り返すことを躊躇していた日和も真夜に促されて、小さく手を振って応えた。
それを見て、一層、笑顔になった秋土だったが、すぐに意識を切り替えたようで、真剣な眼差しとなってコートを見つめた。
準備が終わると、早速、試合が始まった。
日和は、テニスのルールを知らなかったが、真夜の解説と実況で、何とか、どっちが優勢なのかを理解できた。
試合は、終始、秋土が相手を圧倒して、あっという間に二セットを取り勝利した。
「やったのじゃ!」
スポーツにはほとんど興味が無く、特定の選手やチームを応援したこともなかった日和であったが、目の前で秋土が勝利をあげると、素直に嬉しくて、大喜びしてしまった。
「秋土殿にお祝いを述べに参りましょう」
「そうじゃの!」
日和と真夜が選手の控えスペースに行くと、秋土はテニス部員に囲まれて祝福を受けていた。
日和は、その邪魔をしてはいけないと遠巻きに秋土を眺めていたが、秋土の方が日和に気づき、日和に近づいて来た。
「日和ちゃん、応援ありがとう!」
「秋土さんもおめでとうなのじゃ!」
「うん。ありがとう!」
「この後はどうするのじゃ?」
「たぶん二時半くらいから二回戦が始まるはずだね」
「二時半なのか? わらわ達は、三時にはここを立たなくてはならぬのじゃ」
「そうだったね。間に合えば嬉しいけど、約束は約束だからね。それに一回戦で日和ちゃんからいっぱい声援をもらったから、まだまだ、パワーは残っているよ。でも」
「でも?」
「念のため、もう一回だけ応援をお願いして良い?」
「どうすれば良いのじゃろ?」
「ちょっと待ってて!」
秋土がテニス部のマネージャーらしき女生徒の所に行き、マジックペンを受け取ると、日和の所に戻って来た。
「これで、僕の手のひらにメッセージを書いてくれない?」
「えっ?」
「実は、左手にはテニス部員代表にこれを書いてもらってたんだ」
秋土が左の手のひらを開くと、そこには「勝」の一文字が黒マジックペンで書かれており、少し消えかかっていた。
「右手に日和ちゃんが書いてくれないかな?」
「何と書けば良いのじゃろう?」
「日和ちゃんに任せるよ」
「え~と……、それじゃあ」
「待って!」
日和が思わず口をつぐむと、秋土は笑いながら言った。
「目をつぶるから、日和ちゃんの好きな言葉を黙って書いて!」
「でも、変なことを書いて、秋土さんが負けてしまうのは嫌じゃ」
「試合に負けるのは、僕が弱いからだよ。この手のひらの字は、僕自身を奮い立たせるお呪いみたいなものだし、日和ちゃんが書いてくれるのなら、どんな字でも嬉しいよ」
秋土は、黒マジックペンを日和に手渡すと、目を閉じて、右の手のひらを差し出した。
「そ、それでは……」
日和は、秋土の右手に手を添えて、マジックペンで一気に字を書いた。
「か、書けたのじゃ」
秋土が目を開いて、右の手のひらを顔に近づけた。
「ぷっ!」
秋土は思わず吹き出してしまい、その後も笑いが収まらないようで、肩を振るわせていた。
「へ、変じゃったろうか?」
日和は焦ってしまったが、秋土は笑いながら首を振った。
「ううん。ちょっと面白かったけど、すごく嬉しいよ。それに勝てそうな気がしてきた!」
「本当に?」
「本当だよ。ありがとう、日和ちゃん!」
少し下がったところで、二人のやり取りを見ていた真夜が二人の近くにやって来た。
「何を書かれたのですか、おひい様?」
日和の顔を見ながら訊いた真夜に、秋土が自分の右の手のひらを見せた。
それを見た真夜も口に手をやって、くすりと笑った。
「そ、そんなにおかしいじゃろうか?」
「い、いえ、おひい様らしいと思ったのです」
「本当だね」
秋土の右の手のひらには、「笑」と小さく書かれていた。
「勝って笑えるように頑張れってことだよね?」
「……と言うか、た、単に、秋土さんには、いつも微笑んでいてもらいたいって思っただけなんじゃが」
「そ、そうなんだ。……うん! 微笑むことができるように頑張るよ!」
予想どおり午後二時半頃から始まった二回戦の途中で、次に向かう時間となったが、試合は秋土が圧倒していたことから、日和達は勝利を確信して会場を去った。




