第十八帖 姫様、怪我を治す!
科学部の部室から出て、手芸部の部室に戻った日和と和歌だったが、結局、下校時間までそれほど時間が無かったことから、今日はもう帰宅することにした。
新校舎の玄関から外に出ると、体育系のクラブの中には、まだ練習をしているところもあった。
「そうだ! 卑弥埜先輩! テニス部もまだ練習しているみたいですから、ちょっと見に行ってみませんか?」
「どうしたのじゃ?」
「卑弥埜先輩つながりで、蘇我先輩と物部先輩といっぱい話ができたから、この流れで、葛城先輩とも話ができるかもって思ったんですよ」
「秋土さんと何か話したいことでもあるのか?」
「四綺羅星の皆さんのイケメンボイスを、いろんなバリエーションで再生できるように、実際に声を聴いて、できるだけ多く記憶にインプットしておきたいんです!」
「バリエーション?」
「葛城先輩は、絶対、後輩思いだと思うので、男子の後輩テニス部員に『疲れたのかい?』と声を掛けるところから始まって、『いえ、大丈夫です! 葛城先輩!』、『無理するなよ。僕がマッサージをしてあげるよ』、『せ、先輩。マ、マッサージって、そ、そんな所もするんですか?』、『ここはお前の大事な所だろう? 優しくしてあげるから』と親密になっていくシチュエーションを、リアル葛城先輩の声で再生したいじゃないですか」
手芸部より演劇部の方が向いているのではないかと思われる和歌の一人芝居をジト目で眺めていた日和だった。
「でも、和歌ちゃんは、春水さんの方が好きじゃなかったのか?」
和歌がまだ話をしていない春水と秋土のうち、なぜ、秋土を選んだのかが、日和は気になった。
「やっぱり、四人の中では一番の美形ですから、最後かなって思ったんですよ。同じように堪能するのであれば、味が薄い方から味わえば美味しくいただけるじゃないですか」
「まあ、話は何となく分かるのじゃが……」
「それと、卑弥埜先輩もおっしゃってましたスプリングウォーターズのチェックも怖いですからね」
「そ、そうじゃの」
日和が和歌と一緒にテニスコートに行くと、秋土を含む二年生部員が、サーブを一回打つたびに順番に交替していくという練習をしていた。
「葛城先輩のあのキュッと上がったお尻も捨てがたいですよねえ」
「……ひょっとして、秋土さんは冬木さんとペアなのか?」
「ああ、そうですね。大伴先輩と蘇我先輩ほど鉄板ではないですけど、そのカップルも捨てがたいですね。ちなみに物部先輩が攻めで、葛城先輩が受けです」
秋土と冬木のペアも、補欠的な位置づけであったが、ちゃんとカップリングされていたようであった。
日和達が見始めてから、そんなに時間が経たないうちに、テニス部の練習が終わった。
部員全員が輪になって「お疲れ様でした!」の挨拶を交わすと解散となった。
秋土は、他の部員について更衣室に行こうとしていたが、テニスコートの端に日和達が立っているのを見つけると、小走りに近づいて来た。
「日和ちゃん! どうしたの? ひょっとして僕に用事?」
「い、いえ、そ、そう言う訳ではないのじゃ」
「そ、そうなんだ」
「葛城先輩、こんにちは!」
申し訳なさそうな顔をした日和の横から和歌が満面の笑みで挨拶をした。
「え~と、手芸部の和気さんだっけ?」
「はい! この前は知らない間に眠ってしまって、どうもすみませんでした」
「ああ、全然、気にしてないよ。今日は、和気さんの用事だったのかな?」
「はい!」
「ははは……、そうなんだ」
嬉しそうな和歌とは対照的に、少し落ち込んだような秋土だった。
「秋土さん、お邪魔だったじゃろうか?」
秋土がどうして落ち込んだのか分からなかった日和は、自分達が秋土の邪魔をしてしまったのではないかと思った。
「いや、全然! 日和ちゃんに話し掛けられるのを邪魔に思ったことなんて一度もないから!」
「そ、それなら良いのじゃが」
「うん。心配しないで」
「葛城先輩!」
日和との話を中断させるように、和歌が秋土に話し掛けた。
「今度の日曜日には都大会があるんですよね?」
「うん。地区予選だけどね。でも、よく知ってるね?」
「うちのクラスの女子の中で話題になってましたから! みんなで応援に行こうかって話になってるんです!」
「そ、そうなんだ。えっと、……日和ちゃんも来てくれるのかな?」
「わらわは、都大会の話は、今、初めて聞いたのじゃ」
「日和ちゃんを誘うのは、四人の中で抜け駆けしてるみたいに思えて、ちょっと言い出しづらかったんだ。でも、和気さんが言い出してくれたことだし、日和ちゃんも気が向いたら、試合を見に来てくれないかな?」
「こ、今度の日曜日は……」
夏火のライブ本番の日だった。
「何か用事があるの?」
「えっと、……真夜とも相談してみるのじゃ」
「卑弥埜先輩! 私も行こうと思ってるので、一緒に行きましょうよ!」
夏火のライブに行くと約束したことは、和歌の頭のどこにも残っていないようだった。
「少し考えてみるのじゃ」
真夜は、今日も第二図書室で暇を潰してから、午後六時前には校門の近くに立っていた。
真夜は、その美貌に、学力優秀、運動神経抜群である上、明るく積極的な性格で、神術学科二年弐組でも人気者になっていたが、日和と一緒に行き帰りしていることも知れ渡っていたことから、毎夕、校門で待っている真夜をナンパしてくる男子もいなかった。
もっとも、男子生徒達も、真夜の凜とした表情と雰囲気から、気安く声を掛けることはできないようで、チラチラと見つめながら、前を通り過ぎるだけであった。
真夜は、突然、怪しい気配を感じて振り向き、校門の外の通りを注意深く眺めた。
真夜が感じたのは、確かに殺気であった。
ゆっくりと校門の外に出て、左右を見渡すと、縮地術の扉がある公園に向かう方向に何人かの怪しい人影を認めた。
そこに、ちょうど、日和が和歌と一緒にやって来た。
「真夜! 待たせたの」
「い、いえ。和気殿もご一緒か?」
電車通学をしている和歌の帰り道は途中まで一緒だった。日和と和歌は、そこまで一緒に帰るつもりなのだろうが、刺客の存在を確認している真夜としては、一般人である和歌を巻き込むことを避けたかった。
「おひい様」
「何じゃ?」
「今日、帰り道の途中に変質者が出没しているという噂を聞きました。拙者が先に行って、少し確認してまいりますから、しばらく、ここで待っていていただけませんか?」
「やだ~、こわ~い。梨芽先輩、一人で行くと危ないですよ」
「ご心配痛み入る。拙者なら大丈夫でござる」
「和歌ちゃん、真夜は強いから心配いらぬのじゃ。ここで待っていようぞ」
ここ最近の出来事から、真夜が言っている変質者が刺客であることの想像がついた日和は、やはり和歌を巻き込みたくなかったことから、素直に真夜の言葉に従うことにした。
「では、行ってまいります」
真夜は、笑顔で言うと、そのまま夜の街に駆けだして行った。
校門の近くで二人が待っていると間もなく、制服に着替えた秋土がテニス部の仲間数人と連れだってやって来た。
「あれっ、まだ帰ってなかったの?」
「帰り道に変質者がいるって、今、梨芽先輩が一人で確認に行ってます」
「真夜さんが?」
秋土は日和の顔を見た。
秋土も、帰り道にいるのが、変質者ではなく、日和を狙って来ている刺客であると、すぐに理解したようだ。
「そうなんだ」
「私、帰りの電車の時間が迫っているんですけど」
和歌が腕時計を見ながら言った。真夜が帰って来るまで、思ったより時間が掛かっていた。
「じゃあ、僕が送って行こうか?」
「えっ、良いんですか、葛城先輩?」
好きな対象としては歪んでいたが、和歌も四綺羅星の一人である秋土と一緒に帰ることができると興奮しているのか、鼻息が荒いような気がした。
「じゃあ、和歌ちゃんを頼むのじゃ」
「えっ、日和ちゃんも一緒に帰ろうよ」
「でも、真夜がまだ帰って来ないのじゃ」
その時、ちょうど、日和のリュックの中から着信音が響いた。
日和は、慌てて、リュックからスマホを取り出すと耳に付け、しばらく通話を聴いた後、秋土達を見た。
「真夜からじゃ。もう変質者はいなくなったそうなのじゃ」
「じゃあ、もう安心ですね」
「これから、ここに戻るそうなので、わらわは待っているのじゃ」
「わざわざ戻ることはないよ」
秋土はそう言うと、日和からスマホを受け取った。
「もしもし、秋土だけど。……うん。真夜さんがまた学校まで戻らなくても、僕が日和ちゃんを真夜さんの近くまで送り届けるよ。……うん。大丈夫! 約束は守るから!」
秋土の嬉しそうな顔からすると、秋土の申出を真夜が承諾したのであろう。
秋土は、嫌な顔一つもせずに、嬉しそうに話し掛けてくる和歌の相手をしながらも、日和をニコニコと見守るように、一緒に歩いた。
駅に向かう和歌との分かれ道まで来ると、和歌は寂しそうに手を振って、駅の方向に歩いて行った。
あとには、日和と秋土だけが残った。
「真夜さんは、向こうのコンビニの前で待っているはずだよ」
秋土が指差す先に、コンビニの看板が小さく輝いていた。
「もうちょっとコンビニが遠かったら良かったのにね」
二人並んで歩きだすと、秋土がニコニコと笑いながら言った。
しかし、日和は緊張してしまって、教室にいる時のように、秋土と話すことができず、うつむき加減になって、黙って秋土の隣を歩いて行った。
もう、日和の性格を分かっている秋土も無理に話し掛けたりしないで、日和に優しい笑顔を見せながら歩いてくれた。
コンビニまでの途中にビルの建設現場があった。
既に今日の工事が終わっているようで、灯りは点いておらず、巨大なクレーンも動いていなかった。
――ガラン! ガラン!
突然、金属がぶつかり合う音が上空で響いた。
日和が空を見上げた時には、五本の鉄骨が落ちて来ていた。
「日和ちゃん! 危ない!」
日和は、背中を強く押されて、足をもつれさせながら、五メートルほど先に座り込むようにして手を付いた。
日和の後ろでけたたましい音がした。
座ったまま振り向くと、積み重なった鉄骨の前に、秋土が跪いていた。
鉄骨の下敷きにはならなかったようだが、左手で掴んでいる右腕から血が流れて、制服を真っ赤に染めていた。
「秋土さん!」
日和はすぐに立ち上がり、秋土に駆け寄った。
「血が出ておるではないか!」
「……避け損ねちゃったみたいだ」
秋土の顔は歪んでいて、その声も苦しそうだった。
「早く病院に!」
日和が誰か助けを呼ぼうと辺りを見渡すと、周りの景色がいきなり一面の荒野に変わった。
そして、日和と秋土の前に、三人の黒い影が近づいて来た。
黒いスーツにサングラスという格好からは、前回、日和を襲って来た刺客の仲間だと思われた。
「すぐに楽にさせてやる!」
男達はそう言うと、突き出した指の先から、日和と秋土に向かって、一斉に炎を放った。
しかし、その炎は、日和の目の前に、突然、現れた土の壁によって遮られた。
「秋土さん!」
秋土が発動させた土の神術だと分かった日和は、振り向いて秋土を見た。
秋土は、相変わらず跪いたままだったが、顔を上げて、苦しそうに笑った。
「日和ちゃんを守るって、真夜さんと約束したから……」
「秋土さん……」
しかし、秋土の意識も薄らいできたのか、土の壁は、すぐに消えてしまった。
また、目の前に現れた三人の男に対して、日和に押さえようのない怒りがわき上がった。
「そなたら! 許さぬぞ!」
そんな日和の怒りの言葉も聞こえていないように、男達は、また炎を日和に向かって放ってきた。
しかし、日和が右手を横に一振りすると、猛烈な風が吹き、炎のみならず男達も全員が、紙切れのように吹き飛ばされた。
二十メートルほど飛ばされた男達は慌てて起き上がったが、その真ん中にいた男達の首筋に、後ろから刃物が突きつけられた。
「全員、動くな! 動くと、この男の首と胴体が離ればなれになるぞ!」
真夜が三日月剣を突きつけていた。
「先ほどの男は捨て駒の囮だったようだな。不覚を取ったわ」
剣を突きつけられている男以外の男は、その男の命など、まったく気にしていないように、振り向きざまに、どこからか剣を出して、二人一斉に真夜に斬り掛かった。
しかし、真夜が、三日月剣を二回振っただけで、その二人の男の首が宙を舞った。
その隙に、首筋に三日月剣を突きつけられていた男が剣を出して、真夜に向かって剣を振り下ろしてきたが、真夜は、その剣をあっさりと弾き落とした。
そして、真夜は、その男の正面から三日月剣を鼻先に突きつけた。
「貴様の口はしゃべることができるか?」
「……」
「できなければ切るしかないが良いのか?」
男は無言のままだった。
「良い覚悟だ」
真夜は、三日月剣を仕舞うと、男の腹に強烈なパンチをお見舞いした。
思わず腹を抱えてうずくまった男の顔を、真夜が蹴り上げると、男は回転しながら後ろに倒れた。
「その覚悟を見込んで、命は許してやる! そのまま雇い主の元に戻り、卑弥埜の姫を襲うことは不可能なことだと伝えるが良い!」
そして、真夜は、汚物を見るような目で、仰向けで倒れている男の顔を踏みつけた。
「結界を解け! 下郎!」
すぐに風景が揺らぎ始め、景色は元のビル建設現場の前の道路に戻り、横たわっていた二体の死体も消えていった。
一人残った男は、あまりの痛みに起き上がることができずに呻いていた。
「真夜! 秋土さんを早く病院に!」
秋土は、跪いているままであったが、意識が遠のいているようだった。
「やむを得ませんな! いきなり、現れると驚かしてしまいそうですが、縮地術を使いましょう」
真夜が秋土の肩を抱くようにして立たせると、日和が印を切り、地面に現れた魔方陣に三人は飛び込んだ。
秋土が目を覚ますと、白い天井が見えた。
病室のベッドに横になっているとすぐに分かった。
「秋土殿、目が醒められましたか?」
秋土が枕に乗った頭を声のした方に向けると、ベッドから少し離れた所にある丸椅子に座った真夜が笑顔を見せた。
「真夜さん、……僕は、どうして、ここに?」
「右腕に大怪我をされたので、おひい様と拙者とでお連れいたしました」
秋土が右腕を見ようと視線を足元に向けると、包帯が巻かれた右腕に被さるように、日和が突っ伏していた。
「日和ちゃん!」
日和は眠っているようだった。
「日和ちゃんは大丈夫なの?」
秋土は少し声を潜めて、真夜に訊いた。
「先ほどの襲撃の際には何もありませんでした。おひい様は、少しお疲れになっただけです」
秋土が枕元にあった時計を見ると、四時過ぎを指しており、カーテンの隙間から見える窓の外は、まだ真っ暗だった。
「ずっと付き添っていてくれたの?」
部活が終わってからの帰宅途中であったから、襲われたのは、遅くとも午後七時前だったはずで、既に九時間が経過していた。
「と言うより、おひい様は、つい先ほどまで、秋土殿の怪我を治していらっしゃいました」
「怪我を治す?」
「はい。医者からは全治一か月と言われたのですが、秋土殿のテニスの試合が近いから、どうしても朝までに治すと言い張られて……」
「治すって、どうやって?」
「太陽の神術をお使いになられたのです」
「太陽の神術って、あの巨大な太陽で燃やし尽くすだけじゃないんだ?」
「はい。太陽の光は、この地上のすべての生命の源であり、生物を成育させたり、殺菌をしたりしてくれます。おひい様は一晩中、掌から出る太陽の光を秋土殿の右腕に当てて、秋土殿が元々持っている怪我の治癒力を極限にまで高めて、治癒に掛かる時間を縮めたのです」
下手にギブスなどを入れられると、日和の治療の邪魔になることから、催眠魔法で医師に止血だけをしてもらい、この病室に運ばせたのだ。
「秋土殿。包帯をはずして、腕を動かしてご覧なさいませ」
秋土は 日和を起こさないようにゆっくりと右腕を抜いて包帯をはずすと、肘を曲げ、目の前で右手を握ったり開いたりした。
「ちゃんと指も動くし、痛くもない。傷跡もまったく残っていない」
秋土は、笑顔で真夜に言ったが、すぐに沈んだ顔になった。
「日和ちゃんに太陽の神術を発動させないようにしなければいけないのに、結局、使わせてしまったんだね」
「いえ、今回のことは、拙者の落ち度でござる。まんまと囮に引きつけられてしまったのですからな」
「僕だって、日和ちゃんを守るって約束したのに、約束を守れなくて申し訳ないよ」
秋土は、真夜からベッドに突っ伏したままの日和に視線を移すと、日和の頭を優しく撫でた。
「ありがとう。日和ちゃん」
「うっ、……う~ん」
日和が目を覚ましたようで、両手で目を擦りながら上半身を起こし、しばらく寝ぼけていたみたいに、ボーっとしていたが、秋土に気がつくと、目を見開いた。
「秋土さん!」
「日和ちゃん。おはよう」
「お、おはようなのじゃ。腕は?」
秋土は、ニコニコしながら右腕を上げて、日和に見せた。
「本当に治ったみたいだよ」
「良かったのじゃ」
ホッとした顔を見せた日和に、秋土は笑顔を見せた。
「日和ちゃんが治してくれたんだってね」
「秋土さんは、わらわを助けようとして怪我をしてしまったのじゃ。わらわのせいで秋土さんがテニスをできなくなるのは嫌なのじゃ」
「うん。……じゃあ、今度の試合は、日和ちゃんに勝利をプレゼントしないとね」




