第十七帖 姫様、大好きと言われる!
五分後。
日和は和歌と一緒に科学部の部室にいた。
「どうして和気が一緒なのだ?」
冬木が機嫌悪く訊いた。
「私は来ちゃいけなかったんですか?」
和歌が困ったような顔をして日和に訊いた。
「いや、そんなことは訊いておらぬ」
今度は、日和が冬木を見つめた。
「確かに言ってはいないが……。まあ、むしろ好都合ではある。二人ともそこに座ってくれ」
科学部の部室には、冬木の他に普通科の制服の上に白衣を着ている、いかにも勉強が好きそうな眼鏡男子が四人いた。
部室の一番奥に冬木が入口の方に向いて座り、後の四人が冬木に横顔を見せるように、お互いに向かい合って座っていたが、冬木に近い席で向かい合っている二人が席を立つと、日和と和歌に、そこに座るように指示した。
「二人ともパソコンを使ったことはあるか?」
「任せてください!」
ホモ合成写真もすらすらと作成する和歌はパソコンに詳しかった。
しかし、学校に行くようになってから初めてスマホを知ったくらいで、パソコンなど触ったこともなかった日和は、ブルブルと首を横に振った。
「卑弥埜、心配しなくても良い。実は、これからやることはパソコンが使えなくても、まったく問題は無いんだ」
「何をしようと言うのじゃ?」
「机の上にあるノートパソコンの画面を見てくれ」
日和と和歌が、それぞれのパソコン画面に注目していると、黒一色からアニメ絵のような部屋の風景の画面に切り替わった。どうやら、二人のパソコンには同じ画面が表示されているようであった。
日和と和歌が、何が始まるのかと画面を注目していると、三頭身アニメキャラのような女の子が登場してきた。
『こんにちは! 私、科学部のアイドル! 耶麻臺理科子ちゃんで~す!』
台詞の吹き出しとともに、女の子の声で挨拶をした理科子は大きくウィンクをした。
一体何が始まるのかと神妙な気持ちで待っていた日和と和歌は、目を点にして画面を見つめた。
一方、冬木は真剣な表情のままであった。
「このキャラは、我が部のOBが作った科学部のアイドル『耶麻臺理科子ちゃん』だ」
「OBというと、どれくらい前なんですか?」
和歌が興味津々という表情で訊いた。
「十年ほど前だと言われているが、詳しくは分からない」
「でも、アイドルと言うことは、歌ったり踊ったりするんですか?」
「残念ながら、そこまで器用ではないが、AI機能が組み込まれていて、自然な会話ができるのだ」
「本当ですか?」
「ああ、話し掛けてみろ」
冬木のお許しを得た和歌が画面に向かって話し掛けた。
「こんにちは!」
『こんにちは!』
理科子は、ニコニコしながらお辞儀をした。部員の誰かが操作をしているようではなかった。
「私は和気和歌だよ」
『私は耶麻臺理科子で~す!』
「しゅご~い!」
手芸部では絶対に見せないのに、男子生徒の前では、ロリぶりっ子の仕草を見せる和歌であった。
「この理科子のプログラムは、ずっと、科学部で引き継がれてきたのだが、誰も攻略ができていないのだ」
「攻略って?」
「会話を重ねていき、最終的に、理科子ちゃんに名前を呼んでもらった上で『大好き』と言わせるとクリアなのだ」
「誰も言ってもらったことがないんですね?」
「そういうことだ。今の部員も、私を含めチャレンジしてみたが駄目だった。そこで、今まで科学部には女性部員がいたことがなかったから、女子にトライしてもらったらどうだろうかという意見が出て、卑弥埜に声を掛けたのだ」
「あの、皆さんの妹さんとかにチャレンジしてもらったら良いんじゃないのですか?」
誰しもが思う疑問を和歌が訊いた。
「自分は一人っ子で姉妹はいない。他の部員には姉妹がいる部員もいるが、どうやら、姉妹から無視されているらしい」
「ああ~」
部員の顔を見ながら思い切り納得した顔の和歌が頷いた。
「兄弟姉妹なのに無視されるのか?」
一方、兄弟姉妹のいない日和は理解できなかった。
「卑弥埜先輩。兄弟なんて他人の始まりですよ」
「そうなのか? 和歌ちゃんも?」
「はい。私には弟がいるんですけど、毎日、喧嘩してますから」
「どうして?」
「可愛くないのですよ。やっぱり、お兄ちゃん系のカップリングが良いのです」
「何のことを話しているんだ?」
和歌の話が分からなかった冬木が日和に訊いた。
「わ、わらわも分からぬのじゃ!」
毎日、和歌からBL話を聞かされ、否が応でも、その手の話に少し詳しくなっていた日和は、汗をかきながら、とぼけた。
「そんなことより、話を元に戻すと、この理科子への質問をしてみてくれなどと頼める女子は、卑弥埜くらいしかいないのだ」
「わらわが?」
「うむ。席が後ろと言うこともあるが、今、自分の中では、卑弥埜が、一番、話しやすい女子だからな」
冬木も、普通科の女子からは四綺羅星と呼ばれているイケメンの一人なのだが、日和は、今まで、冬木が女子とおしゃべりしているところを見たことが無かった。
いつも本を読んでいて、たまに振り向いて、日和とともに、春水、夏火そして秋土と話しているというのが冬木のイメージであった。
しかし、考えてみれば、冬木にとって、日和が特別な存在の女の子だと言われたことに気づいた日和は、一人、照れてしまった。
もっとも、当の冬木は、そんな意味のことを言ったとは理解していないようだった。
「やはり、女性ならではの会話の進め方もあるだろうから、もしかしたら、理科子ちゃんを攻略できるかもしれないからな。まずは、卑弥埜から理科子ちゃんに好きな質問をしてみてくれ」
「わらわから?」
「そうだ」
「何を訊けば良いんじゃろう?」
「本当に何でも良い。できれば、普通の人が考えつかないような質問がありがたい」
「普通の人が考えつく質問も考えつかないのじゃ。和歌ちゃんから先にしてもらって、お手本を見せてほしいのじゃ」
「物部先輩。私から先にやって良いですか?」
既にやる気満々の和歌が訊いた。
「うむ。では、和気から頼む」
「分かりました。じゃあ、行きまーす!」
和歌は、パソコンの画面に向かって話し掛けた。
「理科子ちゃんは、手芸は好き?」
『ゲイですか? ゲイは好きです』
「手芸」という単語は認識できなくて「ゲイ」を認識することから考えると、理科子を作ったのは、相当、偏った考え方のプログラマーだったようだ。
「ぐへへ、理科子ちゃんとは良い友達になれそうだよ。他には何が好き?」
『理科子は、科学が好きです』
「科学のどこが好きなの?」
『世界の理や真理を解明することが楽しいのです』
「難しい言葉を知ってるんだね? もっと簡単に話してよ」
『この世界を規律する普遍的な法則を発見することです』
「もっと難しくなってるから! もっと簡単な言葉で話してもらわないと、私、分からないよ」
『あなたは小学生ですか?』
「ちが~う!」
『でも見た目、小学生ですけど?』
「何ですって!」
『ふえぇ~、怒らないで~』
理科子は頭を抱えて、タジタジしていた。
「……怒ってないよ」
『怒ってるんでしょ? そんなに怒ったら、チョメチョメしちゃうぞ』
「何かイラついてきた。そんな、ぶりっ子しても可愛くないんだからね!」
『ブリは、スズキ目アジ科に分類される海水魚で、広く食用に供されています』
「あんたは刺身にして食べられるのか? 理科子になる前はハマチだったのか?」
『ハマチ……。ああ! ハウマッチ? 答えはCMの後で!』
「てめえ! ウィルスに感染させてやろうか!」
「わ、和歌ちゃん! キャラが変わってるのじゃ!」
「あっ! こ、こほん。……やだ~、理科子ちゃんたら~。てへっ」
「和気。今更、遅いぞ。見ろ! 部員全員が引いている」
見た目はロリ少女である和歌の本当の姿は、科学部男子部員の新たなトラウマになったようだ。
「しかし、感情的に話すと、どうしても早口になるから、和気が話した意味を正確に理解できなかったようだ。和気、良い検討材料が取れた。ありがとう」
「え、えへへ。まあ、物部先輩のお役に立てるために、普段の私と違う私を演じていると、女優魂に火が着いてしまって、ちょっとオーバーに演技をしてしまいました。私って、何て女優なのかしらん。おほほほ」
さすがの日和も、冬木と同じく、ジト目で和歌を眺めるしかなかった。
「それでは、次は卑弥埜がやってみてくれ」
「やっぱり、わらわもやるのか?」
「和気とは違う方向性の会話も試してみたいからな」
「物部先輩ぃ~。同じ手芸を愛する女子ですから、私と卑弥埜先輩の方向性は、そんなに変わらないと思いますよぉ」
「和気。今、見たことは誰にもしゃべったりしないから心配するな」
精一杯のぶりっ子演技が空振りに終わった和歌が落ち込んでいた。
「では、卑弥埜、頼む」
日和も観念して、パソコンの画面に話し掛けた。
「こんにちはなのじゃ」
『こんにちは』
「わらわは、日和と言うのじゃ」
『わらわとは何ですか?』
「えっと、……私と言う意味じゃ」
『わらわとは私。憶えましたし』
「もう憶えたのか?」
『とっても可愛い言葉なのです』
「ありがとうなのじゃ。理科子ちゃんも可愛いのじゃ」
『理科子、可愛い?』
「うん。可愛いのじゃ」
『わーい! ありがとう! 日和ちゃん』
「どういたしましてなのじゃ」
『日和ちゃんも可愛いよ』
「わ、わらわは、そんなに可愛くないのじゃ」
『どうして?』
「背も低いし、胸だってないし」
『理科子もぺったんこだよ!』
日和は横に立っていた冬木をジト目で見つめた。
「だから、これは自分が作ったのではない! 自分は『ぺったんこ』なんて言葉は使ったことはない!」
「今、使いましたよ」
和歌に突っ込まれて、冬木は、顔を赤くした。
「卑弥埜! 続けてくれ」
「じゃあ、わらわと理科子ちゃんは仲間じゃな」
冬木に促され、日和は、またパソコンに向かって話し出した。
『仲間! 仲間!』
「そうじゃの。ぺったんこ仲間じゃの」
『理科子ね、ぺったんこ、大好きだよ』
「大好き」というキーワードが飛び出てきて、冬木や科学部員全員が日和のパソコンの周りに集まって来た。
「ぺったんこのどこが好きなのじゃ?」
『だって、これから大きくなるんだよ。どれだけ大きくなるか、楽しみじゃない!』
「ぷっ、ふふふふふふ」
ドヤ顔で話す理科子の顔が面白くて、日和は、両手で口を塞ぎながらも、声を上げて笑ってしまった。
「そうじゃな。理科子ちゃん、お互いに頑張ろうの!」
『うん! ぺったんこ仲間の日和ちゃん! 大好き!』
画面に紙吹雪が舞い、理科子が飛び跳ねながら「大好き」と連呼した。
「クリアしただと……、やったな、卑弥埜!」
冬木の嬉しそうな笑顔を初めて見た日和は、意外と無邪気な少年のような顔だと思った。
画面上では、飛び跳ねている理科子の足元から、見知らぬ男性の顔が生首のようにせり上がって来た。
『伝統ある私立耶麻臺学園高等部の科学部の諸君! ついに理科子の謎を解き明かしたな。まずは、おめでとうと言おう』
芝居がかった演出に一同はぽかんとしていた。
『クリア条件は「可愛い」、「仲間」という二つのキーワードに、女の子の無邪気な笑い声だ。今、このクリア画面を見ている諸君の近くには女の子がいるのだろう? 羨ましいぞ!』
「……」
『科学部の女子部員が誕生した今、もう理科子は不要であろう。諸君! 女子部員を大切にするのだぞ! 入部三日目に女子部員に逃げられた我々の二の舞にならないことを祈る!』
画面では、そのOBらしき人の生首が沈んでいき、理科子もバイバイをすると、フェードアウトして行った。
「な、何なのじゃ、これは?」
今日、ずっと、ジト目をしているかもと思った日和であった。
「OBの戯れだったのだな。それにしても、女の子の笑い声がクリア条件だったとは思いも寄らなかった。……卑弥埜!」
日和が見上げるように冬木を見ると、日和を見つめる冬木の視線と合わさった。
「卑弥埜は、やはり面白いな」
「へっ? そんな面白いこと言うたか?」
「いや、過去には、たぶんだが、知り合いの女子にも試してもらったことがあると思うんだ。しかし、理科子はクリアできなかった」
「……」
「画面に向かって、無邪気に笑うことなど誰が思いつくだろう?」
「いや、わらわは、別に何かを狙って笑ったのではないのじゃ」
「分かっている。おそらく、狙った笑い声では、理科子は反応しなかったのではないかと思う」
「そうなんじゃろうか?」
「うむ。卑弥埜のお陰だ」
冬木は、日和の顔をマジマジと見つめていた。
「ふ、冬木さん! そ、そんなに見られると、緊張するのじゃ」
「あっ、ああ、すまない。やはり、卑弥埜は、姫様ゆえに、他の女子とも考え方がずれているのかもしれないな?」
「やっぱり、ずれておるのじゃろうか?」
心配げな顔をした日和を慰めるように、冬木は優しい顔をした。
「心配することはないぞ。ずれているとしても良い方向にずれていると思うのだ」
「良い方向に?」
「うむ」
「あの~、物部先輩」
「どうした、和気?」
「私はどうですか?」
「和気は、ずれているというより、道を踏み外しているな」
「あうっ」
更に落ち込んでしまった和歌を放っておいて、冬木は日和に視線を戻した。
「卑弥埜。今日はありがとう」
「い、いや、わらわも面白かったのじゃ。のう! 和歌ちゃん?」
「そ、そうですね」
「わ、和歌ちゃん、部室に戻ろうかの?」
「そ、そうですね」
しばらく再起不能な様子の和歌を連れて、日和は科学部の部室を出ようとした。
「あっ、卑弥埜!」
振り向くと、少し困った顔をした冬木が日和を見ていた。
「卑弥埜には、これからもいろいろと頼んで良いか?」
「うん!」
日和は笑顔で答えた。
「わらわは、四人にお礼をしたいのじゃ! だから、わらわが役に立つことはあれば、何でも言うてたもれ!」
「卑弥埜。……分かった。ありがとう。何かあれば遠慮無く言わせてもらう」
日和は、笑顔の冬木に大きく頷いた。




