第十六帖 姫様、ライブで泣いてしまう!
翌朝。
日和が教室に入ると、秋土だけが席に着いていた。
「おはよう、日和ちゃん!」
「おはようなのじゃ、秋土さん。いつも早いのじゃなあ?」
「テニスの朝練しているからね」
「疲れないのじゃろうか?」
「ううん。気持ち良いよ」
「そうなんじゃ」
日和は、少し悩んだが、秋土なら秘密を守ってくれると信じた。
「秋土さん、内々に訊きたいことがあるのじゃが?」
「な、何?」
「春水さんのことなのじゃが」
秋土も何か誤解していたのか、自嘲気味に微笑んだ。
「春水さんのこと? 何だろう?」
「えっと、その……いつも、春水さんの周りにいるスプリングウォーターズの決まりのことは知っておるか?」
「ああ、もちろん。けっして、女の子の方から春水に手を出したらいけないってことでしょ?」
「そのようじゃの。そのスプリングウォーターズのリーダーが誰か、秋土さんは知っておるか?」
「参組の橘でしょ」
「何じゃ、知っておるんじゃ」
「うん。でも、それがどうかしたの?」
「そ、それでは」
麗華が春水の許嫁だということの真偽を尋ねようとした時、春水が教室に入って来たのが見えた。
「えっと、な、何でもないのじゃ! わらわが言ったことは忘れてたもれ!」
秋土が不審な顔をして日和を見ている間に、春水が自分の席に着いた。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようなのじゃ」
秋土と日和に穏やかな笑顔で挨拶をした春水だったが、日和には、少し心配そうな顔を見せた。
「日和さん、あれから何かありましたか?」
「う、ううん、何も無いのじゃ」
「本当ですか?」
「本当なのじゃ!」
「……そうですか。分かりました」
日和が何気なく秋土を見ると、秋土は日和と春水を見つめていたが、約束は守ってくれていた。
そうしているうちに、夏火が教室に入って来て席に着いた。
みんなと挨拶を交わすと、日和に話し掛けた。
「日和! 今朝、あの、和気という女の子に話し掛けられたぞ」
「和歌ちゃんに?」
「おう! 面白い子だな」
「可愛い女の子なのじゃ」
「確かに、ロリ好きな春水や秋土には、ストライクだろうな?」
「背の低い方の女の子ですか?」
欧州魔法協会の刺客に襲われた時、四臣家の四人も美和と和歌とは面識ができていたが、まだ、二人の区別ができていなかった春水が日和に訊いた。
「そうじゃ」
「残念ながら、私は、日和さんほど感じるものはありませんでしたね」
「同じロリなのにか?」
「別に、小柄で幼い雰囲気の女の子なら誰でも良いという訳ではありませんよ。私的には一緒にいて騒がしい女の子は苦手ですね」
さり気なく、和歌のキャピキャピと弾けているところが苦手と言っている春水であった。
「その点、日和さんは、やはり姫様らしく、おしとやかで優しい方ですから、日和さんの方こそ、私にとってストライクなんですよ」
「わらわは、おしとやかでも優しくもないぞ」
「そうやって謙遜されるところも奥ゆかしいですね」
「春水は、最初から日和のことを気に入っているみたいだもんな」
「ええ、そうですよ。もっと親しくさせていただいて、日和さんがどんな女性なのかをもっと知りたいですね」
麗華が聞いたら怒りそうな台詞だったが、春水はもとより、秋土や夏火も麗華のことを口にしなかった。
もし、秋土と夏火が、春水に許嫁がいることを知っていれば、日和に好意を寄せているという春水の台詞に突っ込んでくるはずだ。
本当に麗華は春水の許嫁なのだろうかと疑問に思えてきたが、面と向かって、春水に問い質すことはできなかった。
「まあ、俺も日和を弄くることは面白いからな」
「……わらわは夏火さんの玩具なのか?」
「同じようなもんだな。それで、さっきの話の続きなんだけど、今日の放課後、和気と一緒に軽音楽部の部室に来いよ」
「えっ? 和歌ちゃんと一緒に?」
「実はさ、今度の日曜日、商店街のイベントでライブをやるんだけど、その公開練習を、今日、するんだよ。和気に話すと絶対見に来るって言ってたから、日和も一緒にどうだ?」
「公開練習って?」
「何人かに見学をしてもらいながら、本番とまったく同じようにやるんだよ。時間にして二十分程度だ」
日和は、最初に軽音楽部の見学に行った時のことを思い出した。
あの時、部室の中に入ることが躊躇われて、扉の外から演奏を聴いていたが、本当は直に聴いてみたいと思っていた。もし、和歌が一緒に行くのなら、今度は、部室の中に入ることもできる気がした。
「和歌ちゃんと話をしてみるのじゃ」
放課後、日和が手芸部の部室に行くと、笑顔の和歌が扉の前で待っていた。
「卑弥埜先輩! 軽音楽部の見学に行くんですよね?」
「そうじゃな。でも、部長にまだ言ってないのじゃが」
「三年生の皆さんは、今日、進路相談の三者面談があってお休みですよ」
「そうなのか?」
「昨日、部長が言っていたじゃないですか? 憶えてないんですか?」
「……そう言えば、そんな気がしてきたのじゃ」
「卑弥埜先輩って、可愛いですよね。時々、抜けているところが」
「そ、それは、褒められているのじゃろうか?」
「そうですよ! 部長は、すごく綺麗ですけど、隙が無いから男の人が寄って来ないんですよ」
「と言うより、部長の方が寄せ付けてないような気がするのじゃが?」
「まあ、そうとも言いますね。とりあえず、今日、時間もありますし、蘇我先輩からのお誘いにも応えてあげるべきですから、一緒に行きましょうよ」
「そうじゃな」
新校舎一階の端にある軽音楽部の部室に入ると、部屋の奥に作られた臨時ステージに楽器がセッティングされており、その前に十脚ほど並べられたパイプ椅子には、既に四人の普通科の男子生徒が座っていた。
「よっ! 来てくれたのか?」
ステージの上で、ギターのチューニングをしていた夏火が、日和と和歌に気がついて、声を掛けた。
「蘇我先輩! 頑張ってください!」
「おう! 任せとけ!」
和歌に言った後、夏火は日和を手招きした。
少しびくびくしながら近くに寄った日和に夏火が照れくさそうな顔をした。
「日和、来てくれたんだな」
「う、うん」
いつもの夏火ではない雰囲気に日和も戸惑ってしまった。
「前回は置き手紙だけだったからさ。日和に、目の前で、俺の歌と演奏を聴かせて感想を聞きたいって、ずっと思っていたんだ」
「……」
「まあ、気軽な気持ちで聴いててくれよ」
チューニング作業を再開した夏火から離れて、日和は、和歌と一緒にパイプ椅子に座った。
五分ほどして、準備が整ったようで、ギターを持った夏火がステージのメインに立ち、マイクに向かって話した。
「今日は公開練習に来てくれてありがとう! 本番は次の日曜日にあるんだけど、まったく同じ内容でやるので、今日は楽しんでいってくれ!」
夏火がバンドメンバーに頷くと、ドラムのカウントから曲が始まった。
最初の曲は、アップテンポのロックナンバーだった。
初めてバンドの生演奏を聴いた日和は、音が波であることを実感して、その迫力に圧倒された。そして、体の中にリズムが飛び込んで来て、体が自然に揺れている感覚を覚えた。
三曲目にバラード曲の演奏が始まった。
アップテンポの曲と違って、歌詞も自然に頭に入って来た。
遠く離れている所にいる大好きな人をずっと待っているという内容の詞に、日和の脳裏に、自分の両親のことや真夜のことが浮かんで来た。
ただの言葉として聴けば、何の変哲も無い、ありふれた詞だったが、旋律に乗って耳に入ってくると、夏火の情感溢れる歌い方と相まって、日和の心を揺さぶった。
日和の目から自然と涙が出てきた。
ふと、隣の和歌を見ると、船を漕いでいた。
和歌に涙を見られると恥ずかしいと思っていたが、その心配が無くなった日和の目からは、止めどなく大粒の涙がぽろぽろと溢れてきた。
そして、その涙を拭うことも忘れさせるほど、夏火の歌声が心に響いていた。
ステージに目をやると、夏火と目が合った。夏火の目も潤んでいるような気がした。
バラードが終わると、そのまま四曲目に突入した。
一転してアップテンポの曲で、客席の男子生徒四人が立ち上がり、手拍子を打ちながら飛び跳ねだした。
その音で、目が覚めた和歌も立ち上がり、男子と同じように、頭の上で手拍子を鳴らしながら飛び跳ねだした。
一人、椅子に座っている状態になった日和も座りづらくなり、立ち上がってはみたが、さすがに他の生徒みたいに弾けることはできなかった。
しかし、汗を飛び散らせながらシャウトする夏火のパワーに自然と体を揺り動かされて、目立たなく小さくではあったが、自然と胸の前で手拍子を鳴らし始めた。
曲の最後は、「いくぜ! せーの!」の合図で、バンドメンバーと観客が一体となってジャンプして終えた。日和も小さくジャンプした。
「ありがとう、みんな! 本番より気持ち良かったかもだぜ!」
汗まみれの夏火が叫ぶと、六人の観客から拍手が起きた。
男子生徒達がメンバーに近づき、ハイタッチやグータッチをしているのを横目に、夏火は、日和と和歌に近づいて来た。
「ありがとうな!」
「蘇我先輩! 格好よかったです!」
「そうでもねえよ」
「本当ですよ! 今度は、ギターを使ったプレイで大伴先輩と!」
「何だ?」
「あっ、いえ、何でもありません」
「日和もサンキューな」
生のライブを初めて経験した日和も、気分がかなり高揚していて、夏火にどんな言葉を掛けたら良いのか思いつかず、頷くことしかできなかった。
「どうだった?」
「えっ?」
「だからよ、た、楽しかったか?」
「うん」
「本当か?」
「うん」
「……あっ、和気! すまないけど飲み物を買って来てくれないか?」
「はい! 何にしますか?」
「ポッカリ・スウェットだ。日和は?」
「わ、わらわは、喉は渇いておらぬ」
「遠慮するなって! 和気が飲みたい奴を二つ買って来て、一つを日和にあげてくれ」
夏火はズボンのポケットから五百円玉を出して、和歌に渡した。
「では、行って来ます!」
敬礼をした和歌がいなくなり、バンドの他のメンバーは男子生徒達が取り囲んでいたことから、夏火と日和が二人きりのような感じとなった。
「日和」
「うん」
「お前、三曲目の時、泣いてただろ?」
「えっと、……何だか分からないけど、自然と涙が出てきたのじゃ」
「……そうか。俺の歌を聴いて、泣かれたの初めてだったからさ」
「バ、バンドの前では、泣いてはいけなかったのか?」
「ぷっ、はははは、何を言ってるんだよ、お前」
夏火が嬉しそうに笑ったが、すぐに真剣な顔になった。
「あの曲は、俺が作ったオリジナル曲なんだけど、最初に歌った時、自分でもちょっと泣けたんだよ」
「……」
「ナルシストと言えばそうなのかもしれないけど、あの曲を歌っていると、そんな気分になるんだ」
「……」
「日和もそんな気持ちに、つまり、俺と同じ気持ちになってくれたんだなって、作者としては、結構、嬉しかったんだぜ」
「う、うん」
「……日和。本番も見に来てくれよ」
「本番も?」
「そうだよ。お前が聴いてくれていたら、何かパワーもらえるっていうか、観客の中に最低一人は、俺の歌を聴いて泣いてくれた奴がいるって思えると、きっと全力を出し切れると思うんだよ」
「いつ、やるのじゃ?」
「次の日曜日の夜七時からだよ」
「たぶん、一人で行けないから、真夜と相談してみるのじゃ」
「どうして一人で行けないんだよ?」
「……初めての所に行くと迷子になるのじゃ」
「じゃあ、学校で落ち合えば、俺が連れて行ってやるよ」
「でも、夏火さんも準備とか、いろいろあるのじゃろう?」
「まあ、それはそうだが」
「ま、真夜が行けるのであれば、真夜と一緒に行くのじゃ」
「そ、そうか」
二人の会話が少し途切れたタイミングで和歌が部室に戻って来た。
「蘇我先輩! ジュース買って来ました!」
「早っ! そんなに急いで買ってこなくても良かったのに」
「いや~、蘇我先輩も喉が渇いているのだろうなと思うと思わず」
「ああ、……ありがとうな」
和歌が夏火にポッカリ・スウェットを渡し、残り二つの同じ缶の一つを日和に渡した。
「……和歌ちゃん、このジュースが好きなのか?」
「ホモビタンC! という名前でつい……」
「あっ、和気!」
「はい。何ですか? 蘇我先輩もホモビタンが良かったですか? ぐへへ」
「いや、そうじゃなくて、次の日曜日にやるライブ本番に、和気も来てくれるか?」
「もちろんですよ!」
「おお! サンキュー! 良かったら、日和を連れて来てやってくれよ」
「分かりました!」
「いや、わらわは、まだ行くと決めた訳ではないのじゃ」
「だから、真夜が行けなかったら、和気と一緒に来たら良いってことだよ」
「う、うん。……和歌ちゃん、そろそろ部室に戻ろうかの?」
日和は、和歌と一緒に軽音楽部の部室を出て、手芸部の部室に戻った。
部室に入ると、和歌は日和に自分のスマホを示した。
「卑弥埜先輩! これ見てください」
日和が和歌のスマホの画面を見てみると、そこには夏火の写真が表示されていた。
まだ記憶も新しい、先ほどの公開練習のシーンだった。
「いつの間に撮ったのじゃ?」
「うぇへっへっへ。隠し撮りは私の特技なんですよ」
一歩、間違うと犯罪を自供しているような和歌であった。
「それで、この顔の部分をですね、こうして……」
器用に指先を動かしていた和歌が、ニマニマとした笑顔を見せながら、スマホの画面を日和に向けた。
そこには裸の夏火と春水がベッドで抱き合っていた。
「こ、ここ、これは何なのじゃ?」
日和は、頭から湯気を出しながら焦って訊いた。
「うひひひ。卑弥埜先輩のお陰で良い写真が撮れました」
「えっ、えー! この写真は、まさか本当に?」
「あはは、違いますよぉ~。これはフォトレタッチというソフトを使って合成させた写真ですよ」
「合成?」
「ええ、でも、お二人だと絵になりますよね」
「絵に? な、なってるかの?」
「なってますよ! やっぱり、蘇我先輩と大伴先輩は鉄板ですよね」
「な、何を言っておるのじゃ!」
オーバーヒート気味の日和は、顔を真っ赤にさせて困ってしまった。
「ちょっと、外の空気を吸って来るのじゃ!」
焦りすぎて息が苦しくなった日和は、部室を出て、廊下の窓に寄り掛かり校庭を眺めながら、火照った体をクールダウンしようとした。
夏火の歌声が頭の中に再生されてきた。
家でテレビもそれほど見ない日和は、最新のヒットチャートにも疎く、歌が頭の中でリピートされるという現象も初めての経験であった。
(歌とは良いものじゃのう)
日和の脳裏に、突然、母親の歌声が夏火の声を押しのけて響いてきた。
すっかり忘れていたが、小さな頃、母親がいつも耳元で歌ってくれた歌だと気づいた。
父親は、欧州魔法協会理事長の職務をこなして、暇ができると母親の元にやって来るという、欧州と日本を月に何度も行き来する生活をしていた。だから、いつも日和の側にいたのは母親だけであった。
(……お母様)
日和の目に、また涙が溢れてきた。
両手でごしごしと顔を洗うようにこすって涙を拭った。
「卑弥埜ではないか?」
突然、呼ばれて、首をすくめた。
振り向くと、白衣姿の冬木が立っていた。
「手芸部は、もう終わったのか?」
「ちょ、ちょっと、休憩しておるのじゃ」
「そうか」
「冬木さんは、どうしているのじゃ?」
まだ白衣を着ているということは、科学部はまだ終わっていないということだ。
「卑弥埜に用事があって、手芸部の部室に行こうとしたのだ。ちょうど良かった」
「えっ?」
「科学部の部室にちょっと来てくれないか?」




