第十五帖 姫様、脅迫される!
次の日の昼休み。
日和は、初めて新校舎の二階に上がった。
最近になって、やっと学校にも慣れてきたと思っていたが、新校舎の中では、制服も雰囲気も違っていて、別の学校に来たみたいで、また緊張してしまった日和であった。
日和の明るい金髪は、やはり目立ってしまい、廊下をおずおずと歩く日和に好奇の視線が注がれていた。
普通科一年四組の教室にたどり着いた日和は、開いていた入口から中を覗き見て、和歌を発見したが、友達らしき女生徒とのおしゃべりに夢中になっていて、入口から見つめる日和に気がつく気配がまったく無かった。
誰かに声を掛けたり、上級生なのだから、ずかずかと教室に踏み込んだら良いのだが、日和の人見知りはここでも発揮されて、日和の金髪で気がついた一年生が和歌を呼んでくれるまで、じっと入口近くで待っていた。
「卑弥埜先輩! どうしたんですか?」
「和歌ちゃん、これ、昨日、言ってた本じゃ」
昨日の部活中に、日和が持っている刺繍のハウツー本を和歌が読みたいと言ったことを憶えていた日和が、その本を和歌に届けにやって来たのだ。
「わあ、わざわざ、ありがとうございます! 連絡をいただいたら、私が旧校舎に取りに行ったんですけど。いえ、むしろ行きたかったです!」
「そ、そうじゃったな。すまぬのじゃ。わらわも普通科の教室を見てみたかったから」
日和も、新校舎は一階にある職員室と部室だけに行ったことがあるだけであった。
「そうなんですか?」
「うん。やっぱり綺麗じゃな」
ガラス張りのような外観から想像はしていたが、遮る物がほとんど無く、外の光が入って来ている教室は明るく、昼間でも薄暗い旧校舎の中とは大違いであった。
「トイレも綺麗なんですよ。洗浄機能付きだし」
「な、何じゃ、洗浄機能って?」
「お尻を洗ってくれるんですよ。知らないんですか?」
「お尻を便器が洗ってくれるのか? ど、どうやって?」
「ピューってお湯が出るんですよ」
「お湯が? 綺麗なお湯なのか?」
「当たり前ですよ! 帰りに使ってみたらいかがですか?」
「うっ、……うふふ、……はあ~」
新校舎の二階の女子トイレに入った日和は、その気持ち良さに、つい笑ってしまった。
用を足して個室から出た日和の顔は緩んでいた。
「気持ちが良いものじゃのう。これは早速、真夜にも使ってもらって、家のトイレも洗浄トイレにしてもらえるようにお婆様に頼んでみるのじゃ」
独り言を言いながら、洗面台の前に来て、丁寧に手を洗っていると、日和の背後に誰かが立った気配がした。
顔を上げて鏡を見ると、三人の普通科の女生徒が立って、鏡越しに厳しい視線で日和を睨んでいた。
「卑弥埜さんですね?」
日和は、振り返り、こくりと頷いた。
女生徒達は、日和を取り囲むように、日和との距離を詰めてきた。
「春水様とはどう言う関係なんですか?」
「えっ?」
「昨日の夜、卑弥野さんが春水様と手を繋いでいたのを見た人がいるんです!」
「そ、それは……」
「無理矢理、春水様の手を握ったらしいじゃないですか!」
「は、はあ?」
「春水様は優しい方ですから、手を握られたくらいで怒ったりはしないでしょうけど、そう言うこと、止めていただけますか?」
「あ、あの」
「同じクラスだからって、抜け駆けみたいな真似は止めてください!」
「言いたいことはそれだけです! 私達の忠告を無視するようであれば、覚悟しておいてくださいね!」
そう言うと、三人の女生徒は、ぞろぞろとトイレから出て行った。
集団ですごまれるという経験を初めてした日和は、怖いとは思わなかったが、どうすれば良いのか分からず、ぼーっとしながらトイレから出ると、階段を下り、新校舎一階の廊下を玄関に向かって歩いた。
「日和さん」
呼び掛けられて振り向くと、美術室の方向から春水が微笑みながら歩いて来ていた。
「は、春水さん!」
タイミングの悪さに日和も逃げ出したくなったが、それは春水に対して失礼なことだと考えて思いとどまった。
「手芸部に用事ですか?」
「う、うん。春水さんも?」
「ええ、旧校舎に帰るのであれば、一緒に行きましょうか?」
「えっと、わらわは、これから用事を済ますのじゃ」
「そうですか? 時間が掛からないのであれば、前で待っていますけど?」
「えっと、時間が掛かるかもしれないのじゃ」
「でも、後五分で休み時間は終わりますよ。どうしても、この時間にしなければいけないことなのですか?」
「えっと、……今でなくても良いから、後にしようかの」
「そうですか。では、教室に戻りましょうか」
「う、うん」
新校舎の玄関から出て、春水と並んで歩き出すと、日和は、思わず辺りをキョロキョロと見渡した。
「どうしました?」
「だ、誰かに見られているのではないかと思うて」
「日和さんは、私と一緒に歩いているところを見られると困る方がいらっしゃるのですか?」
「そ、そう言う訳ではなくて、……逆なのじゃ」
「逆?」
「春水さんが一緒に登下校している女の子達は、みんな、春水さんのことが好きなのじゃろうの?」
「何ですか、突然?」
「いや、あの、だから、こうして春水さんと一緒に歩いていると誤解されないじゃろうかと思うて」
「……何か、あったのですか?」
「な、何もないのじゃ!」
「日和さん」
春水は日和の方に体を向けて立ち止まった。日和も立ち止まり、春水の顔を仰ぎ見ると、いつもは見せない厳しい表情をしていた。
「日和さんは、嘘が吐けない方のようですね」
「……」
「何があったのか、教えていただけますか?」
「……」
「暴力は振るわれませんでしたか?」
「何もされておらぬ!」
「では、何か言われたのですね?」
春水が言うとおり、嘘が吐けない日和であった。
「……昨日、春水さんと手を繋いだことを注意されただけじゃ」
「手を繋いだことを? ひょっとして、日和さんの方から私と手を繋いだと言われたのですか?」
少し躊躇しながらも小さく日和は頷いた。
「手を繋いだのは私の方です。日和さんは何も悪くないはずです」
「……」
「実は、以前にも同じようなことがあったのです。ある女の子が私の靴箱に勝手にラブレターを入れたことを、何人にも囲まれて責められたということが」
「……みんな、それだけ春水さんのことが好きなのじゃ」
「私を好いていてくれることが、何をしても許される免罪符になることはありません」
春水が、ふと新校舎の方に顔を向けたことが分かった日和もその視線を追った。
二階の窓から何人かの顔が隠れるのが見えた。
やはり見られていたようだ。
「日和さん」
日和が視線を春水に戻すと、春水もしっかりと日和を見ていた。
「今日の放課後、私から彼女達に注意をしておきます。日和さんにご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした」
「わ、わらわは何にも迷惑など受けてはおらぬ!」
「日和さんは、どうして彼女達を庇うのですか?」
「庇ってなどおらぬ! あの人達の気持ちが分かるからじゃ」
「えっ?」
「わらわだって、真夜がわらわ以外の誰かと仲良く話しているところを見ると、きっとモヤモヤしてしまうと思うのじゃ」
春水は、大きくため息を吐いた。
「真夜さんですか? ……まだまだ、敵いませんね」
「えっ?」
「いえ、……分かりました。日和さんがそう言うのであれば、今回は何もしませんが、また何かされたら、必ず私に伝えてください」
「分かったのじゃ」
放課後。
手芸部の部室で、今日も三年生が来るまで和歌からBL話を聞かされていた日和だったが、ふと、和歌に訊いてみようと思っていたことを思い出した。
「和歌ちゃん」
「何ですか? 今度は、物部先輩と葛城先輩の話にしましょうか?」
「いや、もう、お腹いっぱいなのじゃ。それより、春水さんのファンの女の子のことなんじゃが」
「ああ、スプリングウォーターズのことですね?」
「スプリングウォーターズ?」
「大伴先輩の私設ファンクラブの名前ですよ」
「そのまんまなんじゃな」
「ですよね~。四綺羅星もそうですけど、うちの生徒ってネーミングセンスが無さ過ぎですよね」
「和歌ちゃんなら、何と言う名前にするのじゃ?」
「私なら、四綺羅星は、『お尻愛の王子様たち』と呼びますね」
「よく分からないのじゃ。それより、スプリングウォーターズのことじゃが」
「はい。どんなことですか?」
「会長というか、取りまとめている人っているのじゃろうか?」
「神術学科二年参組の橘さんという方だったと思いますけど」
「えっ!」
橘麗華は、転校初日に日和の写真を撮った女生徒だったが、その後、顔を見ることもなかった。
「普段は、春水さんと一緒に登校しておらぬと思うたが?」
「私のクラスに一人、スプリングウォーターズのメンバーがいるんですけど、彼女が言うには、橘さんは大伴先輩と家同士の取り決めで許嫁になっていて、大学を卒業してから結婚をする約束になっているらしいですよ」
「そ、そうなのか?」
春水や他の三人からも、春水に許嫁がいたなどという話はまったく聞いたことのなかった日和は驚いた。
「だからこそ、スプリングウォーターズのメンバーは、大伴先輩の近くにいることだけを許されていて、それで良いという人だけが入っているんです」
「人の旦那様になることが決まっているのに?」
「何と言うか、手が届かない存在だけど身近に感じていたいっていう、芸能人のアイドルと同じ感覚だと思いますよ」
「そうなんじゃ。春水さんは見つめることだけを許される存在で、それ以上のことをした、わらわが責められるのは仕方がなかったことだったんじゃな」
「何かあったのですか?」
「な、何もないのじゃ」
部活が終わった日和は、真夜と一緒に校門を出た。
「真夜」
「何でございますか?」
「じ、実はの、春水さんには許嫁がいることが分かったのじゃ」
「許嫁が? 春水殿は何もおっしゃっておられませんでしたが?」
「わらわも初耳だったのじゃが、わらわの写真を撮った橘という子がそうらしい」
「橘の? ……それは春水殿を問い詰めなければなりませんな」
「別に、春水さんは悪いことをしている訳ではないのじゃから、問い詰めなくても良いではないか?」
「いいえ、不誠実でございます。そう言うことは、ちゃんと話していただかないと」
「……」
日和と真夜が縮地術の扉がある公園まで来ると、そこに前回同様、穂乃香と美鈴を従者のように従えて、麗華が立って待ち構えていた。
「卑弥埜様、ごきげんよう」
「これは橘殿。こんな所で何をされているのですかな?」
真夜が、一歩、前に出て、いかにも機嫌が悪い顔をして訊いた。
「卑弥埜様に折り入って話がございますの。あなたは控えていただけないかしら」
前回と違い、家来筋の真夜には、上から目線で話す麗華であった。
「できぬ相談でございます! 貴殿を信頼している訳ではありませんからな」
「無礼な! 由緒正しき橘家の娘の言うことが信頼できないですって?」
「ええ、そうです」
真夜が躊躇なく言い切ると、いきなり結界が張られ、空は鉛色の曇り空となり、辺り一面が岩盤むき出しの荒野に変わった。
「いくら卑弥埜家の方でも、我が橘家を侮辱することは許しません!」
「侮辱? 本当のことを言ったことが侮辱になるのですかな?」
「言っても分からないようであれば、少々、痛い目に遭って、目を覚ましていただきましょうか?」
日和と真夜のすぐ後ろに轟音とともに雷が落ちた。
どうやら橘家は雷の神術を伝承しているようだ。
日和は耳を塞ぐように頭を抱えながら、涙目で真夜に訴えた。
「真夜! 喧嘩は止めい!」
「喧嘩を売ってきたのは、あちらでございます!」
「謝罪を求めますわ! 誇り高き橘家を愚弄したことに対して!」
「謝罪をしなければいけないのは、貴殿の方ではないのですかな? あなたが撮った写真がどのような使われ方をしたのかご存じか?」
「さあ? 親に頼まれて、撮った写真データをそのまま親に渡しただけですから分かりかねます」
「まあ、良い! 早くこの結界を解かれよ!」
「謝罪が無ければ、雷があなたの体を射貫きますわよ!」
真夜が三日月剣を取り出した。
「その前に、貴殿の首が胴体から切り離されるでしょう」
「何ですって!」
「喧嘩は止めるのじゃ!」
日和は、オロオロとしながら真夜と麗華の間に立った。
「卑弥埜様! この無礼な家来を下がらせてくださいませ!」
「貴殿の方が無礼というものだ!」
「やはり痛い目に遭わないと、目が覚めないようね!」
麗華が真夜を指差すと、鉛色の空から一筋の雷光が真夜めがけて走った。
しかし、稲妻は、真夜の頭上で、突然、向きを変えると、麗華の足元に落ちた。
そして、同時に、麗華、穂乃香、美鈴の三人に加え、真夜までも、強制的に地面に腹ばいにさせられてしまった。
「な、何なの?」
「これも神術なの?」
「体が動かない!」
真夜は、抵抗することが無駄なことだと知っているようで、大人しく腹ばいになっていた。
「麗華さん! お願いじゃから、馬鹿なことをしないでたもれ!」
「ひ、卑弥埜様が?」
「神術は我が身を守る時だけ発動するものじゃと、わらわはお母様に言われて、それを守っておる。そうじゃと思うからじゃ」
「……」
「麗華さん、話とは春水さんのことじゃろうか?」
「そ、そうです」
「ちゃんと話を聞くから、結界を解いてたもれ」
「わ、分かりました」
次の瞬間には、辺りは公園に戻った。
すぐに、真夜と麗華達も動けるようになったようで、制服を叩きながら、全員が立ち上がった。
「今のも太陽の神術ですの?」
「今のは、お父様から習った西洋魔法じゃ。それより」
日和は麗華の前に立った。
「春水さんと麗華さんは許嫁の仲じゃそうじゃな?」
「ええ、そうです。でも、春水様は、あのルックスでしょう? せめて近くで見たいという女子も大勢いたものですから、ワタクシが約束事を決めて、スプリングウォーターズを結成したんですの」
「そのことは、わらわは知らなかったのじゃ。もし、麗華さんが不快に思うようなことを、わらわがしておったのなら謝るのじゃ」
「おひい様! おひい様が謝るようなことは何もございませんぞ!」
真夜が日和に詰め寄ったが、日和は、にっこりと笑って真夜を見た。
「わらわだって、真夜がわらわの知らぬ誰かと話していたら不安になるのじゃ」
「おひい様」
「卑弥埜様、ワタクシは、スプリングウォーターズの決め事を理解して行動していただけたら良いだけでございます。卑弥埜様に謝罪を求めるようなことはいたしませんわ」
「分かったのじゃ。誤解をされるようなことは、もうしないのじゃ」
「ありがとうございます、さすが卑弥埜様でございます。ワタクシの方こそ、失礼いたしました」
「気にしてはおらぬ」
「卑弥埜様と、ちゃんとお話ができて嬉しゅうございました」
「わらわもじゃ」
「これからもよろしくお願いいたします。では、失礼します」
麗華達は、お行儀よろしくお辞儀をすると、公園から悠然と去って行った。
「おひい様、よろしいのですか?」
「うん。春水さんは確かに素敵な方じゃが、その春水さんを想う人の幸せを壊してまで奪いたいとまでは思わぬのじゃ」
「……そうでございますか。分かりました。拙者は、おひい様のお考えに従います」
「真夜にも魔法を掛けて、すまなかったの」
「いえ、……でも、おひい様」
「何じゃ?」
「今のおひい様は、別人のように凜々しかったですぞ」
「そ、そうかの」
「はい。やはり血筋は争えないですな」
嬉しそうに自分を見る真夜の視線に、日和は照れてしまった。
日和は、真夜と麗華が喧嘩すること、そして、つまらぬことに神術を使おうとしたことが、すごく嫌で、何とかしたいと思っただけであった。




