第十四帖 姫様、居残り部活をする!
日和が、欧州魔法協会の刺客を全滅させた日の翌日。
日和が普段どおりに学校に行き、教室に入ると、春水と秋土が既に席に着いていた。
「日和ちゃん、体は大丈夫?」
心配そうな顔の秋土が訊いてきた。
「昨日、真夜と一緒に夜遅くまで宿題をやっていたら疲れてしまって、お陰でぐっすりと眠れたのじゃ」
「あのレポートをやって来たんだ」
「やらずに寝ることは、真夜が許してくれなかったのじゃ」
「真夜さんは、主人である日和さんを甘やかしてくれないのですね?」
春水は、いつもの見とれる微笑を湛えていた。
「そうなのじゃ! 真夜は、わらわにいつも厳しいのじゃ!」
日和は、少し口を尖らせたが、すぐに笑顔になった。
「でも、大好きなのじゃ」
真夜の日和に対する大きな愛を知っている春水と秋土も優しく日和を見つめた。
そこに夏火と冬木が一緒に教室に入って来た。
「日和! 体は大丈夫か?」
日和の姿を見て、夏火がすぐに声を掛けてきた。
まさか、夏火も自分の体を心配してくれるとは思わなかった日和は、夏火らしくない心配そうな顔を見つめて頷いた。
「そうか。それなら良いけど」
「しかし、太陽の神術はすごかったな。あれでは『見た者は死ぬ』と言われて当然だ」
席に着いた冬木も体を後ろに向けて話した。
「調べてみたいかい?」
「もちろんだ。卑弥埜の小さな体のどこから、あれだけのエネルギーが出るのか不思議でたまらん」
秋土の問いに冬木は大きく頷きながら答えた。
「卑弥埜」
日和は、冬木の顔を見つめた。
「自分は、神術測定の時に、卑弥埜が見せた飛拳のエネルギーの抑制具合から計算して、欧州の連中を消し去った時も、実は、力を押さえていたのではないかと思っているのだが?」
「……どうじゃろ? 必死じゃったから、よく憶えておらぬ」
「あの結界の中に、卑弥埜だけではなく、手芸部の女子も入り込んでいた。彼女達に被害が及ばないように抑制しつつ、敵を一掃するために必要なエネルギー量を一瞬のうちに計算して放ったのではないのか?」
「け、計算も苦手じゃ!」
「いや、意図的ではなく、無意識のうちにやったのではないか?」
「よ、よく分からぬ」
日和は、本当に分からなかった。
冬木が言うとおり、美和と和歌に被害が及ばないように抑制して太陽の神術を発動したという意識はあるが、力の入れ具合を計算した記憶は無かった。
「冬木! それは、今日、訊かなくても良いんじゃないのか? 日和ちゃんだって大変な目に遭ったんだからさ!」
秋土が少し怒ったような口調で言った。
「ああ、そうだったな。……卑弥埜、すまない。自分も疑問に思うことがあると問い質さないとおられない性分なものだから」
「き、気にはしておらぬ」
日和は首を左右に振りながら言った。
「日和! 冬木にがつんと言ってやれよ! 女の子の気持ちも分からないような奴なんて大嫌いだってよ!」
「女の子の気持ちが分からないのは、夏火も同じだろう?」
冬木が日和を飛び越えて、夏火に反論した。
「俺は分かっているぜ。そうじゃなきゃ、女はくどけないからな」
「ことごとく失敗しているのではないか?」
「馬鹿野郎! 失敗もあるが、そこそこの成功率は誇ってるんだよ!」
「しかし、彼女がいるという噂は聞いたことがないが?」
「いつも声を掛けて友達にはなるが、彼女にしたいという女は今までいなかったな」
「酷い男だな」
冬木は、軽蔑するような目で夏火を見た。
「な、何だよ! つき合ってみないと彼女にしたいかどうか分からねえだろ?」
「と言うことは、今まで、つき合ってきた女の子は、みんな彼女にしたいと思って、つき合い始めたの?」
秋土も夏火と違う考えを持っているようで、不思議そうな顔をして訊いた。
「そりゃあそうさ! この世界中の半分は女なんだ。その中で、俺の彼女になる、たった一人の女を見つけなきゃいけないんだから、できるだけ多くの女とつき合った方が良いに決まってるだろ!」
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるか?」
「微妙に違う! つき合ってる時は、真剣につき合ってるさ!」
冬木の辛辣な一言に、顔を真っ赤にして反論する夏火だった。
お互いに愛情を確かめ合ってから「つき合う」のか、それとも愛情を確かめるために「つき合う」のか、夏火とあとの三人との考え方の違いだが、日和は、夏火の考えが必ずしも間違っているとは思えなかった。
「それはそうと、日和は彼氏がいるのかよ?」
戦線が不利と判断したのか、夏火が話を日和に振ってきた。
「えっ! い、いる訳がないのじゃ!」
「今まで好きになった男はいないのか?」
夏火のこの質問に後の三人も興味を持っていたようで、身を乗り出して、日和の答えを待っていた。
「い、いる訳がないのじゃ! だって、わらわは学校にも行ってなかったし、家には男の人はいなかったから」
真夜のことを知っている四人は、そこには突っ込むことをしなかった。
「じゃあ、もし僕が日和ちゃんの彼氏になったら、日和ちゃんの初めての彼氏になれるんだね?」
彼氏になると立候補しているかのような秋土の言葉に、日和も顔を真っ赤にさせて頷いた。
「秋土は、日和さんの彼氏になりたいのですか?」
春水もいつになく真剣な顔付きで秋土に訊いた。
「まだ、分からない。日和ちゃんは可愛いと思うし、話していると面白いけど、テニスやクラスのみんなよりも、日和ちゃんのことを優先して考えることができるかと言われると、まだ、そこまで自分の気持ちが決まり切っていないって感じかな」
「そうですね。命を狙われるようなことがあったり、いろいろとありましたけど、考えてみれば、日和さんが転校してきて、まだ一か月も経っていないのですからね」
「俺は、日和とつき合ってみたいとは思っているぜ」
「夏火の考え方から言うと、彼女にしてみたいという前提だな?」
冬木が冷静に夏火に突っ込む。
「ああ、さっきも言っただろう。いろんな女とつき合って、自分のベストパートナーを探さなきゃいけないってさ。そう言う冬木はどうなんだよ?」
「自分も以前に言ったとおり、卑弥埜には興味を持っていて、もっと、いろいろと知りたいと思っている」
「と言うことは、今のところ、日和ちゃんは、みんなのアイドルってところかな?」
「あ、秋土さん! 何じゃ、それは?」
アイドルからは一番遠い存在だと思っていた日和は焦ってしまった。
「とりあえず、みんな、日和ちゃんとは、今よりは、もっと仲良くなりたいと思ってるってことだよ。日和ちゃんは迷惑かい?」
「そ、そんなことはないのじゃが……」
教室でも、この四人に囲まれて、否応なしにその話の輪の中に放り込まれている日和は、この四人に対して、自分をすべてさらけ出すことまではできなかったが、ちゃんと受け答えはできるようになっていた。そして何より、自分を守ると誓ってくれたこの四人には、他の男子には無い親近感を覚えていた。
「そうだとすれば、みんな!」
冬木が後の三人を見渡した。
「本気で、卑弥埜の彼氏になりたいと思うようになったのなら、ちゃんと宣言をするようにな!」
みんなが冬木の顔を見た。
「我々は卑弥埜を守ると誓った仲間で、全員が連帯して、その責任を負っているのだからな」
「彼氏になるのであれば、その責任の割り合いも変わってくるということだよね?」
「そうだ」
「冬木の言うとおりだね。僕は了承するよ」
「私も異存はありません」
「俺もだ! みんな、抜け駆けは止めろよ」
日和の意見は訊かれず、自分のことが決められていったが、何も言えない日和であった。
その日の放課後。
日和は手芸部の扉を元気よく開いた。
「こんにちはなのじゃ!」
「こんにちは! 卑弥埜先輩!」
今日も、日和より先に部室に来ていた和歌が元気な声で挨拶を返した。
日和が席に着くと、早速、和歌が椅子を寄せて来て、すぐ隣に来た。
「先輩! 昨日はどうもすみませんでした」
「えっ?」
「いつの間にか眠ってしまって。スターパックスを出てから、全然、記憶が無いんですよね。目が覚めたら公園にいて、しかも四綺羅星の皆さんもいて、びっくりしましたよ」
「あ、ああ……」
「あの、いつも、しゃきっとしている部長まで一緒に眠ってしまうなんて、スターパックスのコーヒーに睡眠薬でも盛られていたのでしょうか?」
「そんなことはないと思うのじゃが?」
「でも、そのお陰で、四綺羅星の皆さんともお話ができて、私の妄想の範囲が広がりました。うへへへへへ」
「そ、それは良かったの」
「はい。それで、せっかく顔見知りになれたのですから、もっと普通に話ができるようになりたいです」
「和歌ちゃんなら、わらわと違って、すぐに話ができるような気がするのじゃが?」
「駄目なんです! 皆さんの前に出ると、皆さんの淫らな姿が瞼の裏に浮かんでしまって、話をするどころじゃないんですよ」
「そ、そっちなんじゃ」
「でも、卑弥埜先輩は良いですよね。同じクラスで」
「と言うか、四人に囲まれているので、嫌でも話をしなければいけないのじゃ」
「えええええ! よ、四人に囲まれてるですって?」
「そ、そんなにびっくりしなくても……。話してなかったかの?」
「初耳ですよ! すると、前後左右どちらを向いても四綺羅星の皆さんが……。うっ、いけない! 鼻血が!」
ポケットから取り出したティッシュを鼻に詰めると、和歌は日和に体をすり寄せた。
「卑弥埜せんぱ~い。今度、卑弥埜先輩を訪ねて、二年壱組の教室に行っても良いですかあ?」
「い、良いが? でも、わらわの教室に来てどうするのじゃ?」
「四人一緒にいるところを激写するに決まってるじゃないですか!」
「写真を撮ってどうするのじゃ?」
「パソコンを使ってですね、皆さんの顔の写真をムキムキマッチョの男性の写真に合成でくっつけて……。ぐへへへへへ」
「和歌ちゃん、よだれが垂れているのじゃ」
和歌がよだれを拭き取っていると、部室のドアがノックされ、美和と稲葉姉妹が入って来た。
「こんにちは~!」
「こんにちはなのじゃ!」
日和と和歌が挨拶をしたが、美和は一直線に日和の席の後ろにやって来ると、立ったまま日和を軽く抱きしめた。
「日和ちゃん、こんにちは。昨日は、ごめんなさいね」
「えっと、何のことじゃろう?」
「不覚にも眠ってしまって。でも、眠ってる間に、日和ちゃん、変なことしなかった?」
「す、する訳ないのじゃ」
「そうなの? 日和ちゃんになら、どうされても良かったのに」
「わらわがどうなるか分からないのじゃ」
「それはそうと、四綺羅星の皆さんがいらっしゃったけど、日和ちゃん、あの四人とは親しい間柄なの?」
「部長! 今、卑弥埜先輩から聞いたところなんですけど、卑弥埜先輩は、四綺羅星の皆さんに囲まれた席らしいですよ!」
嬉しそうに和歌が話すと、美和は心配そうな顔をした。
「そうなの、日和ちゃん?」
こくりと頷く日和。
「日和ちゃんが心配だわ」
「ですよね~。全校女生徒のアイドルである四綺羅星の誰に食べられてもおかしくないですよね~?」
少し悪戯っ子のような表情を浮かべて和歌が言うと、美和の顔はますます心配そうな表情となった。
「日和ちゃん! 男の言うことなんか信じちゃ駄目よ! あいつらは体だけを欲しがっていて、一度でもエッチをすると、ポイって捨てられるのがオチなんだから!」
「か、過激な発言なのじゃ。でも、あの四人については、そんな心配はいらないと思うのじゃが」
「ちょっとイケメンだからって、考えていることは同じよ!」
美和は日和を抱きしめている腕に少し力を込めた。
「でも、私は、日和ちゃんにずっと優しくあげる」
「ど、どうもなのじゃ」
その日の部活も、いつもどおり、美和のGL攻撃と和歌のBL攻撃に耐えながら、日和は、黙々とパッチワークの製作に取り組みんだ。
「そろそろ終わりましょうか?」
午後六時になり、美和が声を掛けたが、もう少しで完成しそうな日和は、もっと続けたと思った。
「部長。もう少しでできそうなのじゃ。できたら今日仕上げたいと思うのじゃが、続けても良いじゃろうか?」
「日和ちゃんに付き添って残りたいのは山山だけど、今日、私は帰らなきゃいけない用事があって……」
美和が稲葉姉妹を見ると、二人は同じタイミングで首を横に振った。
「私も今日は七時までに家に帰らなきゃいけないんです」
和歌もどうしても残れないようであった。
「あ、あの、部室の鍵の閉め方を教えてもらったら、わらわが一人で残っておるのじゃ」
三十分ほど夢中で作業をして、パッチワークを仕上げた日和は、今まで家で作ってきた物と比べると、格段にレベルが上がっていることを感じて、得も言われぬ達成感を味わいながら、後始末をして部室の鍵を閉めた。
「日和さん」
「ひっ!」
呼ばれるとは思ってもなかった日和がびっくりして声の主を見ると、春水が美術室の方向から廊下を歩いて来ていた。
「春水さん、びっくりしたのじゃ」
「ふふふふ、すみません。突然、お呼びする前に、これから声をお掛けしますよと声を掛けたら良かったのでしょうか?」
胸を押さえている日和に、嬉しそうな顔でボケる春水だった。
「結局、びっくりするのじゃ」
「ふふふふ。今、お帰りですか? 遅いのですね?」
「どうしても今日仕上げたいと思うて。そう言う春水さんも遅いのじゃな?」
「私も切りの良いところまで仕上げようと思っていたら、こんな時間になってしまいました」
手芸と美術は、何かを作り上げるという過程は共通しており、それに夢中になれる仲間がまた一人増えた気がして、嬉しくなった日和であった。
「今日も真夜さんとご一緒に帰られるのですか?」
「真夜が校門で待っているはずなのじゃ」
「そうですか。それでは残念ですが、校門までご一緒しましょうか?」
「う、うん」
日和は、背が高い春水の胸の所までしか身長が無く、当然、歩幅も短かったはずだが、日和が普段どおりに歩いても、春水は日和を急かすことはなかった。
「春水さん、ゆっくり歩いてくれているのか?」
「えっ? そう言う訳でもないですけど」
いつも女性に囲まれて登校している春水は、その女性達を置いていかないように、ゆっくり歩いていくことが身についているのかもしれなかった。
一方の日和は、男性と並んで歩くことも初めてで、校門までと言いながらも緊張してきて、無口になってしまった。
「日和さん」
呼ばれて春水の顔を仰ぎ見た日和は、美しすぎる春水に見つめられているのに気がつくと、更に恥ずかしくなって、赤を赤らめながら俯いてしまった。
「今日、居残りをしてでも仕上げたいと思ったのは、調子が良かったのでしょうか?」
そんな日和を見て、春水もより優しい声で尋ねた。
「そ、そうじゃの。珍しく……」
「ふふふふ、そうですか。いつもそうだと良いのですけど、日によって違いますよね」
「春水さんも?」
「ええ。いつも平穏な心を保って、絵を描いているつもりでも、ほんの僅かなことが指先に出てしまうのですよ。それが筆にもダイレクトに伝わり、自分の思い描いているイメージどおりに描いてくれないのです。おそらく手芸も同じでしょう?」
日和は、思わず自分の両手の先を顔の前に持って来て見つめた。
「何なんじゃろうの? 同じ自分の指なのに」
「そうですね。……日和さん」
日和が、また、春水を見上げるようにして見ると、春水が手を差し伸べてきた。
「ちょっと、日和さんの手を見せてください」
「えっ!」
思わず立ち止まった日和だったが、春水は手を差し伸ばしたままだった。
「わらわの手が何か?」
「見てみたいのです」
「何も変わったところはない普通の手じゃが?」
春水は優しい表情のまま、日和の手を握ると、自分の目の前に持ち上げた。
そして、じっと日和の手を見つめた。
「小さくて柔らかい手です」
「……」
「しかし、この小さな手から太陽が出てくるのですね」
「……」
「私の父親からも言われました。卑弥埜の姫様は絶対に守るべきだと」
「……」
日和は恥ずかしくて、手を握られたまま、ずっと俯いて廊下の床を見ていた。
「でも、父親に言われるまでもなく、私も日和さんを守ると誓いましたから」
日和が顔を上げると、春水が真剣な顔をして、真っ直ぐと日和を見つめていた。
「真夜が言っておった。みんなに迷惑を掛けるみたいで、すまぬのじゃ」
「日和さんは、日本で唯一の神術使いの姫様なのですよ。神術使いであれば、守るべき存在なのです」
「……守ってもらうだけでは申し訳ないのじゃ。何か、春水さんのお役に立てることがあれば、わらわもしたいのじゃ」
「ありがとうございます。……そうですね、私は、日和さんをモデルにして絵を描いてみたいですね」
「わらわをモデルに?」
「ええ、きっと素晴らしい絵になると確信してます」
「そ、それは、さすがに恥ずかしいのじゃ」
「はははは、……名残惜しいですが、そろそろ参りましょうか?」
持っていた日和の手を離すと、春水は、また、ゆっくりと校門に向かって歩き出した。
日和もその横を並んで歩いた。
校門では、真夜が待っていた。
「これは春水殿。今、お帰りですか?」
「ええ。部室の前で、たまたま、日和さんにお会いしたものですから。残念ですが、ここからは、日和さんをお任せいたします」
「分かりました」
「では、日和さん、今日はお疲れ様でした。明日、またお会いしましょう」
「うん。春水さんもお疲れ様なのじゃ」
「では、さよなら」
春水は、日和と真夜の二人に向かって笑顔を向けて手を振ると、先に校門を出て行った。
校門の先には、四、五人の女生徒がいて、春水を待ち構えていたようであった。
そして、彼女達の険しい視線が自分に向けられていることまでは気がつかない日和であった。




