第十一帖 姫様、守ってもらえることになる!
翌日のお昼休み。
いつもどおり、中庭で一緒にお弁当を食べ終えた真夜が、日和に言った。
「おひい様、申し訳ありませんが、拙者、これから少し用事がございます。おひい様は、先に教室にお戻りになっておいてくださいませ」
「何の用事じゃ?」
「おひい様の制服を普通科の制服に変えることができないか、理事長にお頼みしてくるのです」
「本当か?」
「はい」
「真夜! 頑張ってたもれ!」
「あ、あまり期待はしないでくださいませ」
相変わらず、人を疑うことを知らない日和であった。
旧校舎四階にあるテラスに、真夜が一人で立っていた。
春の太陽が眩しく輝いていたが、真夜の長い黒髪をなびかせる風が涼やかであった。
校庭を眺めていた真夜が、扉が開く音で振り向くと、春水、夏火、秋土、冬木がテラスに出て来ていた。
「真夜さん、約束どおり、四人で来たよ」
秋土が言うと、真夜は四人に頭を下げた。
「お忙しいところ、ご足労いただきありがとうございます」
頭を上げた真夜は、四人の顔をゆっくりと見渡した。
「今日、皆様にお集まりいただいたのは、皆様にお願いしたいことがあるからです」
「何だい?」
秋土が代表して尋ねたが、真夜はその問いには答えなかった。
「御免!」
真夜が素早く印を結ぶと結界が張られ、真夜と四人は一面の荒野にいた。
そして、真夜の右手には、三日月剣が握られていた。
「何だ、いったい?」
夏火が怒りの声を上げた。
「申し訳ありませんが、皆様方の力、試させていただきます」
真夜が、手に持った剣を円を描くように体の前で振ると、直径三十センチほどの三日月の形をした光が四つ現れた。
「月の神術が飛拳術である月飛剣! 防いでごらんなさいませ!」
三日月形の光が、四人に向かって、手裏剣のように飛び掛かって行った。
春水が印を結ぶと、その体の前に小さな滝が現れ、飛んで来た月飛剣がその中に飛び込むと、光が屈折するように、その形が歪み、水の中で粉々になるように小さくなり消え去った。
夏火が印を結び、右手を前に突き出すと、その先から紅蓮の炎が噴射され、その炎に飲み込まれた月飛剣は、燃え尽きるように消え去った。
秋土が印を結ぶと、その体の前に土の壁が現れ、飛んで来た月飛剣がそれに突き刺さると、まるで飲み込まれるように土の壁に包み込まれ、土の壁とともに消え去った。
冬木が印を結び、右手を前に突き出すと、その先から無数の葉が飛び出てきて、舞うように螺旋を描きながら月飛剣を包み込むと、月飛剣は腐敗したかのようにどす黒く変色して、ボロボロと崩れ落ちていってしまった。
満足げな顔をした真夜は、深々と頭を下げた。
「突然の御無礼、お許しくださいませ」
「おい! どういうことなんだ?」
夏火が、今にも飛び掛かって来そうな勢いで怒った。
「皆様がお頼りできる方々なのかどうかを確かめさせていただきました」
「僕達に頼る?」
秋土は、怒るというより戸惑っているようだった。
「はい。皆様方におひい様を守っていただきたいのです」
「どう言うことだ? 卑弥埜は、誰かから狙われているのか?」
「はい。昨日、実際に襲われました」
冬木の問いに答えた真夜は、剣を仕舞って、四人を見渡した。
「それは、おひい様が持って生まれた宿命なのです」
宿命という言葉の重みに、四人とも無言で、真夜の次の言葉を待った。
「卑弥埜家がどういう家なのかは、皆様方も既にご存じのとおりです。その昔、権力と結びついていた頃は、まさしく、この国の支配者であり、時代とともに、神術が世間から隠匿されていくに従って、権力者から権威者と立場を変え、今でも日本の神術使いの最高の家格を誇る名家であります。つまり、卑弥埜家は、日本の神術使いの歴史そのものであり、卑弥埜家が断絶することは、日本の神術の終わりなのです」
「日和さんが、その一員なのですよね?」
「一員というより、一人です」
「どう言う意味ですか?」
「おひい様は、卑弥埜宗家の血を継ぐたった一人の方なのです」
「そうなのか? 日和の親は? それに兄弟は?」
「まず、おひい様は一人っ子です。兄弟姉妹はいらっしゃいません。それから、ご両親も五年前にお亡くなりになっています」
「両親が揃ってか?」
夏火の問いに、すぐに答えず、真夜は、四人を見渡してから、重々しく口を開いた。
「おひい様のご両親は殺されたのです」
「……!」
今のご時世、神術使いも実際にその力を使って、生死を掛けてまで戦うことは、よほどのことがない限りあり得ず、四人もしばらく言葉を継ぐことができなかったが、春水がやっと言葉を絞り出した。
「誰に殺されたのですか?」
「分かりません。しかし、なぜ殺されたのかは分かっています」
「……」
「おひい様のお母上は、卑弥埜百々様という、現当主の卑弥埜伊与様の一人娘でございました。そして、お父上は、アラン・ルキフェル様という欧州の魔法使いでした」
「やっぱり、日和はハーフだったのか?」
「はい。おひい様の金色の髪と漆黒の瞳はその証なのです」
「しかし、西洋の魔法使いということは、……欧州魔法協会の?」
冬木が独り言のようにぽつりと呟いた。
「おひい様の父上であるアラン・ルキフェル様は、当時、欧州魔法協会の理事長を務められていた方です。冬木殿は、欧州魔法協会をご存じのようですね?」
「それほど詳しい訳ではないが、西洋の魔法使いがほぼ全員所属している巨大な組織だと聞いている」
「そうです。日本には、神術使いの組織というものは存在しませんが、欧州の魔法使い達は、ほぼ全員が協会に所属して忠誠を誓っているのです。そして、その協会のトップたる理事長は、世襲ではなく、実力で選ばれます」
「実力? 魔法のか?」
「はい。四年に一度行われる理事長戦に立候補した者達の中の最終勝者が理事長に就任します」
「つまり、その時に一番強い魔法使いが理事長になるということだな?」
「そう言うことです。そして、その理事長戦に参加できる資格が、欧州魔法協会に所属している魔法使い及びその子ということなのです」
「その子……。卑弥埜もその理事長戦に出る資格があるということだな?」
「はい。だからこそ、欧州で最強の魔法使いであったアラン様の血と、日本では突出した威力を持つ太陽の神術を伝承する卑弥埜の血の両方を受け継いでおられるおひい様は、欧州の魔法使い達からすれば、脅威以外の何者でもないのです」
「脅威?」
「これまで二千年以上、欧州人が座ってきた玉座に、東洋の少女が座るかもしれないことを恐れているのです」
「日和には、そんな気は無いんだろ?」
「もちろんです。おひい様がそんな野望を抱くような方ではないことは、皆様方ももうお分かりだと思いますが?」
「まあ、そうだな」
「しかし、欧州魔法協会のお偉い方々は、不安で夜も眠れないのでしょう」
「なるほど」
「それから、敵は身内にもいます」
風ではためいた黒髪を手で押さえながら、真夜は四人の顔を改めて見つめた。
「皆様方は、日本の神術使いの家には、開明派と守旧派という二つの大きな派閥があることはご存じですか?」
「さすがに、そこまでは知らないよ」
秋土の言葉に、他の三人も頷いた。
「開明派とは、日本の神術も世界に向けて門戸を開くべきであるという立場であり、守旧派は、従来どおり、日本においてのみ神術を発展させるべきという立場です。その守旧派の中には、穢れてしまった卑弥埜家を断絶させようという動きがあるのです」
「穢れ?」
「おひい様の体に流れている西洋の血のことです」
「馬鹿馬鹿しい!」
「しかし、日本の神術は、古来からずっと純血を守って来ており、それは欧州も同じでした。そうすることで、欧州の魔法使いと日本の神術使いは、お互いに干渉することなく、現代まで存続してきているのです」
「頭が固い連中は、どこにでもいるものだ」
「そうですね。しかし、そう言う連中にとって、おひい様の誕生は、とんでもない裏切り行為でしかなかったのです」
「すると、日和さんのご両親は、その守旧派に?」
「欧州魔法協会の刺客が同時期に日本に来ていたという噂もあります。アラン様と百々様を同時に亡き者としたのですから、かなりの腕利きを揃えてきていたはずです。おそらく利害が一致した欧州魔法協会と守旧派の連中が手を組んで襲って来たのでしょう」
「二人が亡くなられてしまったから、犯人は分からないということなんだね?」
「そうです。しかし、おひい様は、その時、ご両親とご一緒でした」
「えっ!」
「おひい様は、目の前でご両親を亡くされているのです」
「……」
「その時、おひい様にも刺客の刃が向けられたようですが、刺客達は、おひい様まで討つことはできなかったのです」
「どうして?」
「おひい様が返り討ちにしたのです。おひい様は無意識だったようですが」
「五年前というと、日和がまだ小学生の時だな?」
「はい。おひい様の太陽の神術が、おひい様を守ってくれたのです」
「日和一人が?」
「そうです。おひい様の太陽の神術は、卑弥埜家歴代当主の中でも比類無きほどに強力なのです」
「それは、神術測定の時間に僕達も実感したよ」
「おひい様から話はお伺いしています。とても、あんな狭い場所で発動できるものではなかったとおっしゃっていました」
「そうだろうな。でもよ、そんなに強力な太陽の神術を使えるのなら、俺達が日和を守る必要も無いんじゃないか?」
「おひい様が太陽の神術を発動すると、その体は、かなりのエネルギーを消耗します。我々がそれぞれの属性神術を発動する際の百万倍とも言われています」
「そ、そんなに?」
「でも、測定の時、そんな風には見えなかったけどな」
「発動に伴うダメージは、おひい様の体に蓄積されていくのです」
「それじゃあ……」
「太陽の神術を発動すればするほど、おひい様の体はボロボロになってしまうのです。おひい様の身長が、前回、刺客達を全滅させた時の十一歳の頃から伸びないのは、そのためだという可能性もあるのです」
「だから使わせたくないと?」
「そうです。だから、いつも拙者がお近くにいて守って差し上げるつもりですが、拙者一人では、目が届かない場合もあるでしょう。そんな時、同じクラスにいる皆様方にお守りしていただけると嬉しいのです」
「梨芽とやら」
冬木がクールな表情のまま尋ねた。
「一つ疑問がある。卑弥埜家が断絶した場合、その跡を継げるのは、卑弥埜家に次ぐ家格の四臣家になると考えるのが普通だ。そうすると、我々、四臣家が卑弥埜家に取って代わるという野心を抱いて、守旧派に協力するという恐れがあるとは考えなかったのか?」
「冬木殿は、理論的な方とおひい様から聞いておりますが、さすがでございますね。しかし、残念ながら、四臣家は、卑弥埜家があってこその名家であって、卑弥埜家が無くなってしまった後の四臣家は何の価値も無い家でございます」
「お前もはっきりと物を言うんだな」
夏火も呆れた顔で言った。
「申し上げるべきことははっきりと申し上げます。しかし、拙者の口の利き方が気に入らないということであれば謝罪いたします」
真夜は深々と頭を下げた。
「そして、皆様方に、おひい様を守っていただけるためであれば、土下座でも何でもいたします」
「そんな必要は無いよ」
顔を上げた真夜に、秋土が優しく微笑んでいた。
「僕は協力しますよ」
「本当ですか、秋土殿?」
「ええ! でも、それは、恩とか家格とかじゃなくて、友達として日和ちゃんを守ると言うことだよ」
「……秋土殿」
「そう言う理由であれば、私も賛同します。大切な友人の危機に知らんぷりを決め込むことなどはできません」
いつもの穏やかな表情であったが、春水の表情には決意めいたものが表れていた。
「俺は、真夜のために引き受けるぜ」
夏火は、真夜を見つめながら言った。
「後に待っているのは落胆しかないはずだが、拙者としても目的が達せられるのであれば異存は無い」
真夜は、一人残った冬木を見つめた。
「心配するな。卑弥埜の近くにいる以上、微力ながらも力になろう」
冬木も少し面倒臭そうであったが、しっかりと約束してくれた。
「皆様方、ありがとうございます」
また深々とお辞儀をした真夜が頭を上げると、夏火と目が合った。
「でも、真夜さ。さっき、いきなり、俺達を攻撃してきたけど、俺達が避けられなかったらどうするつもりだったんだよ?」
「皆様方の髪と瞳の色は、それぞれの属性神術を極められた証と見ました。そんな皆様方であれば、さきほどの月飛剣など何ほどのものでもなかったでしょう?」
同じ頃。
英国は倫敦の郊外。
煉瓦造りの小さな教会の祭壇の前に、黒い司祭服を着た三人の男がお互いに向き合って立ち、小さな声で話をしていた。
「これまで、ずっと、自宅に引きこもっていた、日本の『幼女』が学校に通い出したそうだ」
「学校に? これはチャンスだ! あの自宅には強力な結界が張られており、近づくことすらできなかったが、学校の行き帰りであれば、襲撃を掛ける機会はいくらでもあろう」
「まさしく! しかし、『幼女』も一人ではあるまい?」
「当然、護衛が付いているでしょう。それも強力な奴が」
「だからと言って、チャンスであることには違いない! しかし、一度、失敗すると、それ以降は、向こうも護衛を厚くするはずであるし、もしかすれば、通学を辞めるかもしれない。作戦は、一撃必殺に行う必要がある」
「二度と無いチャンスを確実にものにするのだな?」
「そうだ。そこでだ、ベリアルに二百人を預けて、日本に向かわせようと思っているのだが」
「ベリアルといえば、前回の理事長戦にも出ていた猛者ではないか」
「さよう。今回の計画を見事成功させると、次期理事長戦のシード権も確実に手に入れることができるはずで、本人は既にその気になっております」
「うむ。しかし、たかだか『幼女』一人に二百人など」
「前回は、三十人からの魔法使いを一瞬で消されているのだぞ! 相手はアランの子供だ! 今度こそ失敗は許されない! 確実に屠らなければならないのだ!」
「やむを得まい。とにかく、あの『幼女』の存在は、我が協会の驚異なのだ。いなくなってもらわなくてはならぬ」
「ベリアルと二百人の魔法使い派遣の件、了承した。直ちに日本に向かわせる」




