第十帖 姫様、何者かに襲われる!
次の日の朝。
日和が真夜と一緒に校門をくぐると、日和の担任の土師が仁王立ちで待ち構えていた。
「卑弥埜と梨芽! 理事長がお呼びだ。ついて来い!」
二人は、土師について行き、旧校舎四階の理事長室に入った。
「理事長。連れて参りました」
日和と真夜が進み出ると、豪華な机に座っていた男性が顔を上げた。
頭髪が薄くて老けて見える上、小柄で風体の上がらない容姿は、廊下で会っても理事長だとは気づかず、そのまま、すれ違ってしまいそうだ。
「これはどうも」
理事長は、愛想笑いを浮かべながら立ち上がり、前に進み出てきて、日和と真夜を応接セットに案内した。
「どうぞ、お座りください」
「では、理事長、私はこれで」
「ああ、ごくろうさん」
土師は、切れのある礼をすると、部屋から出て行った。
日和と真夜の正面に理事長が座ると、胸ポケットから名刺を取り出し、二人に差し出した。
「初めまして。私立耶麻臺学園理事長の秦と申します」
「ひ、卑弥埜日和です」
「拙者は、日和様のお世話役兼護衛役の梨芽真夜と申します」
「よろしくお願いいたします。まさか、卑弥埜家の姫君が我が校に来ていただけるとは思いも寄りませんでした。嬉しい限りです」
「ここは、日本で唯一の神術学科がある学校でございますから」
「しかし、卑弥埜家と言えば、跡取りの方には家庭教師をつけて、学校などには行かさなかったと聞いておりますが?」
「今回のことは、現当主の卑弥埜伊与様のお考えにより決まったこと。将来、神術使いを統べるべき卑弥埜家の者であっても、他の神術使いの家の者との友好関係を構築していく必要があるとの判断によるものでございます」
まさか、日和の人見知りを直すためとは言えず、それっぽい理由を即興で考えた真夜であった。
「なるほど。新たな時代には、新たな人間関係構築が必要と言う訳ですな」
「ところで、理事長殿。ご用件は何でございましょう?」
ニコニコと愛想笑いを浮かべ、なかなか要件を切り出さない理事長に、真夜がしびれを切らした。
「はははは、そうでしたな。実はですな」
理事長は前屈みになって、少し声を潜めた。
「神術使いの家の中には、神術の伝承を放棄したり、伝承をしていてもそれを積極的に明らかにしない家も増えてきて、我が校の神術学科の生徒は減少の一途をたどっております。神術使いの家であるにも関わらず、他の学校に子息を通わせる家も増えましてな」
「耳に入っております」
「まあ、普通科を増設しましたから、隠しようもないのですがね」
理事長は自嘲気味に渇いた笑顔を見せたが、すぐに気分を切り替えたかのように、また愛想笑いを浮かべながら日和を見た。
「そこでですな、こちらとしては、卑弥埜の姫様も通われていると大々的に宣伝すると、神術学科の入学希望者も増えるのではないかと期待をしているのです。できれば、我が校の入学案内パンフレットに卑弥埜様の写真と記事を掲載したいのですが?」
「パンフレットですか?」
「ええ、一ページ見開きでドーンと載せますよ」
「いや、……おひい様の写真を大々的に載せられるのは、少し困る」
「どうしてですか?」
理事長は落胆の表情を浮かべていた。
「おひい様のことを快く思っていない者どもを刺激しかねないからです」
「はあ?」
「理事長殿。あなたも神術使いでござろう?」
「ええ、能力的には大したものではありませんが」
「ならば、開明派と守旧派の争いもご存じでしょう?」
「は、はあっ、……そうですな」
「せっかくの申出なれど、おひい様を危険な目に遭わせる可能性が少しでもあれば、お断りをいたしたい」
「そうですか? 残念ですね」
「申し訳ござらん」
「いえいえ。しかし、学校行事の記念写真などは撮ってもよろしいですかな?」
「結構です。パンフレットと違い、生徒だけに配布されるだけでしょうから」
真夜は、今になって、転校初日に、日和の写真を撮った生徒のことを思い出した。
「理事長殿」
「はい?」
「我が校の理事に『橘』という者はおられますか?」
「ええ、橘理事はおりますが」
「その者は、……守旧派ですか?」
「さあ……、理事の個人的思想までは、こちらもいちいちチェックできませんし、守旧派だから理事として欠格だという訳ではありませんからね」
「そうですな。……ちなみに、理事長殿はどちらに?」
答え次第では切るというような気迫を込めて、真夜が尋ねた。
「ははは、私などは、蝙蝠のように、どっちつかずの態度で上手く立ち回っている者ですよ」
理事長の全身から発せられている小物臭は、その言葉に信憑性を与えた。
「おっ、そろそろ授業が始まりますな。お引き留めして申し訳ありませんでした」
理事長は腕時計を見ながら言った。
「いえ、とんでもございません。こちらこそ、丁寧なご対応、痛み入ります」
「私も週に一日ほどしか、ここに来ることができませんが、何かございましたら、何なりとお申し出ください」
「普段は何をされているのですか?」
「まあ、色々とこなしておりますよ」
人の良さそうな笑顔の裏に、別の顔が垣間見えたようだった。
放課後。
今日も、パッチワークを作りながら、隣に座った和歌から、腐敗臭がプンプンと匂う春水と夏火のカップリング話を聞いた後、美和から濃厚なスキンシップを受けた日和は、部活を終えて、部室を出た。
校門には、真夜が待っていた。
「お疲れ様でした、おひい様」
「待たせたの、真夜」
「楽しかったですか?」
「うん! 部長は可愛がってくれるし、和歌ちゃんの話は楽しいのじゃ」
美和のスキンシップも、和歌のBL話も特に嫌悪感を感じることはなかったし、日和も人見知りではあるが、もともと無口なキャラではなく、慣れれば、おしゃべりも進んでする女の子で、手芸部のみんなと色んな話をしながら、物を作ることがすごく楽しく感じられ始めていた。
「それは、ようございました」
「うん! いっそのこと、学校ではクラブだけすることはできないのかの?」
「無理でございましょう」
「……一刀両断じゃの」
「当然でございます。どこの世界にクラブだけする学校がありましょう」
「ちょ、ちょっと、冗談で言ってみただけじゃ!」
本当は、そうなったら良いなと思いながら言った日和であった。
「それはそうと、おひい様」
「何じゃ?」
「転校初日に、おひい様の写真を撮った、二年参組の橘という生徒から、その後、何か話し掛けられたりしましたか?」
「ううん、顔も見ぬ」
「そうですか。……おひい様」
「うん?」
「学校への行き帰りは、必ず拙者と一緒に行ってくださいませ」
「はなから、そのつもりじゃが?」
方向音痴である日和は、迷子になるのが怖くて、言われなくても、真夜と一緒に行くつもりだった。
縮地術の扉がある公園に着いた。
四月の午後六時過ぎで、辺りは少し薄暗くなっていたが、人影は見えなかった。
しかし、真夜は何かを感じ取ったようで、足を止めた。
「おひい様、お気をつけなさいませ」
真夜が言うやいなや、公園は消え、辺り一面が赤っぽい岩がむき出しの荒野になった。
現実の世界から隔離された結界が張られたのだ。
前から、黒いスーツにサングラスを掛けたお揃いの格好の十人の男が、日和達の方にゆっくりと歩いて来ていた。
「何者だ?」
真夜が大声で訊いたが、答えはこれだとばかりに、男達は、無言で、いつの間にか手にしていたマシンガンを一斉に撃ち始めた。
しかし、真夜と日和の周りには、透明な満月のような月形防御壁が既に張られており、弾丸は日和達の手前で弾き返された。
男達も想定の範囲内だったようで、すぐにマシンガンを投げ捨てると、今度は、氷でできたような透明な剣をどこからか取り出すと、日和達に迫って来た。
「こちらにおわすを卑弥埜の姫と知っての狼藉か?」
返事は無かった。
「そう言うことか」
真夜の台詞が言い終わらないうちに、十人の男達が一斉に襲い掛かって来た。
しかし、真夜は、まったく動ずることなく、日和をお姫様抱っこをすると、後ろに十メートルほど跳躍して、男達から距離を取った。
「おひい様、ここでしばらくお待ちくださいませ。この無礼者どもを手打ちにいたしますゆえ」
怯えた顔の日和は、こっくりと無言で頷いただけであった。
真夜は、日和ににっこりと笑うと、すぐに厳しい顔つきに戻り、日和の前に立ちはだかった。
そして、右手を横に伸ばすと、その手には、ほのかに光る三日月のように湾曲した剣が握られていた。
男達は、日和達を取り囲むように、間隔を広げながら、ゆっくりと近づいて来た。
「貴様らの相手をするのは拙者だ!」
真夜が三日月形の剣を高く掲げると、その剣が一層眩しく輝き始めた。
と、同時に辺りは真っ暗になってしまい、夜光塗料が塗られているように、男達と真夜だけがほのかに光って、その姿を浮かびだしていたが、日和の姿は消えていた。
「月の光で敵を照らしだし、我が主を暗闇に隠す! これぞ、梨芽家に伝わる月の神術の奥義なり!」
男どもに突進をした真夜は、あっという間に、光る三日月剣で二人の男の息の根を止めた。
残りの男達も、真夜の腕前を見て、うかつに飛び掛かっていくことは命を捨てるようなものだと理解したようで、注意深く、真夜を取り囲んだ。
しかし、真夜は、まったく意に介せずに、男達に向けて、怒りを込めて吐き捨てた。
「貴様らの汚い手をおひい様に向けられるだけでも吐き気がするわ! おそらく、守旧派から雇われた刺客であろうが、おひい様に剣を抜いただけでも死罪に値するぞ! 甘んじてその罰を受けるがよい!」
掛かって来なければ自分から行くとばかりに、丸く取り囲んでいる男達の正面に向かって、真夜が突進すると、目にも止まらぬ速さで四人を切り倒し、すぐに後ろを向くと、背中から切りつけて来ていた三人もあっという間に血祭りに上げた。
残ったのは一人だけになった。
「貴様がこいつらのボスか?」
残った男は何も言わずに、右手に氷の剣を握ったまま、左手を真夜に突きつけると、その先から、キラキラと輝く氷の粒がすごい勢いで真夜に飛んで来た。
氷の粒は、真夜にぶつかると、真夜の体を氷に閉じ込めてしまった。
真夜を閉じ込めた氷の柱に剣を突き立てようと、男が油断することなく、ゆっくりと近づいて行ったが、その判断は正しかったようだ。
氷柱に亀裂が走ると、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまい、中にいた真夜は、すぐに三日月剣を男に突きつけた。
「氷属性の神術か? 仲間うちでは使える者かもしれぬが、おひい様を襲いに来るにはお粗末すぎるぞ!」
男は慌てて、また、左手を突きつけて、氷の粒を真夜に吹き付けたが、真夜も左手を突き出し、掌を男に向けると、先ほどと同じ薄黄色の月形防御壁が真夜の体を覆い、氷の粒を弾き返した。
「先ほどは、貴様の神術がどの程度のものかと思い、氷に閉じ込められてみたが、この程度であれば、もはや確かめる必要もないわ!」
男の顔に恐怖の表情が浮かんだ。
「お前の雇い主は誰だ?」
「……」
「答えたら、命を許してやっても良いぞ」
男が、一瞬、逡巡したことが分かったが、結局、真夜の誘いには乗ってこなかった。
「ならば、死ね!」
男に突進した真夜は、男が打ち込んできた氷の剣を弾き飛ばすと、三日月剣を大きく横に払った。
胴体を上下に分割された男が倒れると、暗闇の空間が揺らぎ始めた。
真夜が右手に握っていた月の剣の光が消えると、辺りは最初に見えた荒野の風景になった。
しかし、その荒野の風景もすぐに薄らいでいき、十人の男達の死体とともに消え去ると、公園の風景に戻った。
ある人間の周りで結界が張られると、その人間は固有結界に囚われてしまって、現実の空間から消えてしまうが、結界が消えると、元の空間に戻ることができる。
しかし、結界の中で息絶えた「死体」は、「物」として、結界とともに消え去ってしまうのである。
真夜が辺りを見渡すと、ブランコの近くに日和が立っていた。
「真夜! 大丈夫か?」
「はい。しかし、あのような雑魚を差し向けられるとは、この真夜もなめられたものでございます」
真夜は何事も無かったかのように、日和に優しい笑顔を見せた。
学校から帰った真夜は、伊与の部屋にいた。
「もう来おったか」
「はい。耶麻臺学園には、多くの神術使いの家の子女が通っております。卑弥埜家の姫様が通い出したことなど、あっという間に知れ渡ってしまうとは思っていましたが、思ったより早かったですね」
「そうじゃの。何か思い当たることでもあったのか?」
「転校早々におひい様の写真を撮った女子生徒がいました。親が理事をしている橘という者でしたが、理事長に訊いてもとぼけられました」
「まあ、あの理事長をやっておる秦という男は、あちこちにおべんちゃらを言ってのし上がってきた、おチャラけ男だからの。どうせ、我が身可愛さに、見て見ぬふりをしているのであろう」
「理事長のことは、前からご存じなのですか?」
「儂の後輩だった奴じゃ。儂に告白して来おったから、即、振ってやったわ!」
「そ、そうでございますか? まさか、その時の恨みを今?」
「そ、そんなことはないと思うが……。しかし、あれから五年も経つのに、日和の母親は、まだ、日和を苦しめるのじゃなあ」
「伊与様! おひい様は、百々様のことが大好きでございます。その話はあまり……」
「分かっておる!」
そう言いつつも、伊与は苦虫を噛み潰したような顔を隠そうとはしなかった。
「まあ、良い。日本の神術使いの方は一部の者だけじゃが、問題は欧州じゃ! 欧州は大挙して押し寄せて来るかもしれんぞ」
「しかし、伊与様。おひい様を学校にやったと言うことは、その辺りのこともお考えになった上で出された結論だということでございましょう?」
「言うまでもなかろう。日和に勝てる者などいる訳がない」
「それはそうですが、拙者は、おひい様にあの時と同じ思いをさせたくはございません」
「うむ。そちの使命は、できるだけ、日和に力を使わせないことじゃ」
「承知しております。しかし……」
伊与は黙って、真夜の次の言葉を待った。
「今日のような雑魚だけであったとしても、大人数で来られると、拙者も対応しきれない場合も想定されます」
「うむ。……それもそうかの」
「念には念を入れられた方がよろしいかと思います」
「やはり、学校に行かすのは諦めた方が良いかのう?」
「いえ、おひい様は、今、友達もできて、次第に学校が楽しくなってきているところでございます。もう少し通学は続けて差し上げたいと思います」
「真夜には、何か考えがあるのか?」
「はい。四臣家の息子達にも協力をお願いしてみようと考えております」
「それは良いな。将来の伴侶になるかもしれない男から守ってもらえると、日和もコロリと惚れるかも知れんからの」
「コロリという表現は賛同いたしかねますが、その男性との距離が近くなることは確かでございましょう」




