前篇
この話は、私、水崎が初めて挑戦した短編小説です。
人の生と死は何であるか、
それを考えて頂けたら良いなと思っておりますが
何しろ微妙なネタを使っておりますのでジャンル分けが難しく、
一応はファンタジーにしたものの、未だに悩んでいる始末です。
どうか温かい目で見てやって下さい。
ご意見ご感想、お待ちしております。
――ここにある全部が美しいって、オレはそう思うよ。
長い事パソコンの画面を覗き込んでいた部長が、ようやく顔を上げた。
「やっぱ澤ちゃんの話はさー、何て言うの?
夢が無いって言うか、現実的過ぎて面白くないって言うか。堅苦しいんだよねー」
俺の原稿のデータが入ったUSBメモリーを、ノートパソコンから引き抜きながら彼女は言う。
へらっと笑ってはいるが、かなりのダメ出しだ。しかも締め切りは明後日と来た。
「締め切り前にごめんねー。でも君は文章力あるから、発想次第でもっと良い話書けると思うんだー」
何だったら締め切り延ばすし、と付け加えて、小さなそのスティックを俺の手の平に乗せる。
相変わらず評価が厳しいな。だがこの文芸部の部長を務めるだけあって、彼女の文才はかなりのものだ。
成績も良く、学年十位以内に必ず入る秀才ぶり。
それなのに普段は何だかよく分からない行動をとる『変人』だ。
人間頭が良くなり過ぎると一周して馬鹿になるのだろうか。ああ、そう言えば聞いた事があるな。
『馬鹿と天才は紙一重』と。
「部長はもう書きあげたんですか」
「え? あー……ははぁ。データ消えちゃってさー。書き直し」
そう言いながらリュックを拾い上げてため息をつく。
「だから今日はもう帰るとするよー」
「原稿見て下さってありがとうございました」
「いえいえー。また持っといでー」
黒板の横、教室の前方のドアの前に立って俺に手を振った。いや待て、だからそっちは……。
ガコガコガコ、ガタン! と音を立ててドアを揺らす部長。
「澤ちゃあん! 開かないー! 閉じ込められたー!」
「だからそっちのドアは、前から壊れて開かないって言ってるじゃないですか」
「へ?」
そだっけ? と首をかしげてポカンと口を開けている。
全くこのくだりを何度やったらこの人は記憶してくれるのだろう。
「そんじゃこっちは開く? あ、開いた」
後方のドアを、至ってスムーズに開けて廊下へ出た。
「くれぐれも部員以外を教室に入れないようにー!」
「入れてないですってば」
「いや気配したもんー!」
「前向いて歩いて下さいよ!?」
遠ざかっていく足音と声に呼び掛ける。
この前は階段を踏み外して一つ下の階、四階まで落下したからな。無事に帰ってくれ。
「ひー疲れた疲れた。教卓の下って結構狭いなあ。疲れたら焼きそば食いたくなってきた」
部長の足音が完全に聞こえなくなったのを確認した吉野が、教卓の下から這い出てきた。
コイツもうどこからどう見ても不審者だよな。
絶対に同じ学校、同じ学年、ましてや同じクラスだったなんて信じたくない。
それに何故疲れたら焼きそばなんだ。もっとさっぱりしたモノが食べたくなるだろう、普通。
「文芸部の部室に居座るオマエが悪い」
「いや、だーってさあ! あの部長ホントこえーな。何アレ、野生のカン?」
「あの人は変だから仕方無い。それよりオマエ早く出ていけ」
「えー」
ぐでんと机の上に寝転がって昼寝体勢に入る彼は、一昨日からこの文芸部の部室に居座っている。
一体何をしに来ているかは不明だが(いや、俺の邪魔をしに来ているな)毎日毎日ご足労な事だ。
「ちゅーかダメ出し三回目―? ハラサワどんだけ才能ねーの?」
「澤原だ。才能が無いとか、そういう問題では無い」
「え、もしや自分が天才とか思っちゃってる訳? なーるし」
「黙れ」
文章力はあると言われた。話の組み立て方も上手いと言われる。
だが駄目なのだ。発想が現実的過ぎて、読者を惹き付ける事ができない。
自分としては真面目な話でも面白くできればいいと思うのだが、それができていないという事なのだろうか?
いずれにしろ、この真面目腐った俺の性格が原因であるのは間違い無い。
「まあハラサワつまんねー奴だもんなー。何だっけあれ、モットーみたいなの」
「自分の目で見た物の事しか考えないし、信じない」
「それ」
呆れた様に吉野は首を振る。これを言うとよく返って来る反応だ。
しかし当たり前だろう、そんな事。
何万、何億という人から聞いた話でも、自分の目で確かめられるまではその事実は信じられる訳が無い。
現に、他人の口車に乗せられて罠にかかる奴が世間では後を絶たないじゃないか。
友達が自分の悪口を言っていたと聞いて、ソイツを仲間外れにするという対策に出たものの、
実際には悪口を言っていなった、だとか。よくある話だ。
だから俺は、夢や空想などの代物を半端無く苦手とする。
小説のジャンルで書くも読むも、両方苦手なのは勿論ファンタジーだ。
「これでも部長のアドバイス通りに、日々ふと感じた事を手帳に書き留め、
そこから話を考えているんだ」
「え、そんなんあんの? 見せろよー」
「嫌だ」
「はあ? んな事言ってねーで見せろよハラサワー。オレら友達だろ?」
「だから澤原だ。頭も存在もファンタジーみたいなオマエと友達になった覚えは無い」
「それけなしてるよな?」
見せて見せてと語る視線が鬱陶しいから、セーターのポケットから出した手帳を机の上に広げた。
『落して拾おうとしたボールペンを自分で三回も蹴飛ばす。人間の足と腕の長さの比率は不便なものだ』
『本音を言いたくても言えない時。何故人間関係は建前だけでも成り立つのだろう』
『朝、鏡を見た時に自分自身の顔に違和感。朝の脳は情報解析能力に何らかの異常があるのだろうか』
「うっわあー……」
「何だその文句ありげな顔は」
「いやだってこれはさぁー……」
吉野は苦笑いを浮かべながら手帳の文字を目で辿っていく。
何故そんな顔をされなければいけないのだ。別段恥ずかしい事は書いていないのだがな。
「これ書いても書かなくても、一緒じゃね? やっぱハラサワ真面目過ぎ。つかつまんねえ」
「おい言葉を選べよ」
「もし俺だったらー……」
一つ目を指差しながら彼は言う。
「『落して拾おうとしたボールペンを自分で三回も蹴飛ばす。
もしこれがエンドレスで続いたら世界一周旅行できるかも?』」
そのまま指を横にスライドさせて二つ目、三つ目。
「『本音を言いたくても言えない時。
自分の影とかが勝手に言ってくれれば、責任は自分に無いし楽だろ』。
『朝、鏡を見た時に自分の顔に違和感。
もしも鏡の向こうに別の世界があって、それが別のオレだったら?』」
今度は俺が顔を歪ませる番だった。
「まるでファンタジーじゃないか。そんな現実に有り得ないような事メモってどうする」
「いや!? 逆に現実にしか有り得ない事メモってどーすんの? つまんねえじゃん!」
何の物語書く気だよ! と笑い飛ばされた。おい人を馬鹿にするのも大概にしろよ。
「まま、とりあえずメモっとけよー。絶対部長に褒められるって。やっべオレ、ハラサワより天さ」
「黙れ」
この部室に三台あるノートパソコンの内の一つを開きながら、できるだけ感情を押し殺した声を出す。
全くいちいち言動が癪に障る奴だ。
だがこんな奴に腹を立てていても仕方が無いから、執筆活動の方に集中しよう。
「そーいやさあ、パソ三台ってかなり好待遇だよなー。文芸部って意外にスゴかったりすんの?」
「いや、実績はゼロに近い」
「じゃ何でパソ?」
「ああそれは……」
これは部長の変人ぶりを語るのに一番のエピソードだ。
「ある日突然、部長が何処かから掻っ攫ってきた」
「はああ!?」
案の定机から転げ落ちるという、芸人顔負けのリアクションを見せる吉野。
コイツそういう才能はあるんだな。
「しかも三台同時にだ。俺も重そうに何かを運んでいるその後姿は見た。
だが彼女が口を割らないから、このパソコン達の出所は分からない」
「待てよ、部長って身長いくつだ?」
「百五十無いぞ」
「それであの細さだろ? おいおいマジか……」
能天気な吉野がこれだけの呆れっぷりを見せるくらい、うちの部長は変なのだ。
ちなみに言うとこの教室も、たまたま空いていたから部室扱いしているが、実際には非公認。
無断使用に近い。いや、無断使用だ。
しかし近年の少子化のせいで、ここ五階の教室は今は全て使われていないし、
校舎のてっぺんにわざわざ体力削って来ようとする人間基本居ないのだから、問題は無いだろう。
いや、あるか。……とりあえず無いという事にしておこう。
「オレ部長さん尊敬するわー……。好きにはなれないけど」
そう言えばコイツは何故この部室に居座るのだろう?
さっきも言った様にわざわざここまで上がって来る事も無いし、
居座るだけならグラウンド脇の部室棟のほうが居心地は良いだろうに。
「なあ吉野」
「んあい?」
「オマエがこの部室に居座る理由は何だ? 昼寝とかなら、部室棟や自習室の方が便利だろう」
「あー……」
さして興味無さげに机に寝転んで、彼は天井に向かってぽつりと呟いた。
「グラウンドから一番遠いから」
そんなんどうでもいいだろ、そんな言葉が裏に隠されている気がして、俺はそれ以上聞くのをやめた。
静かになった部室でキーボードを叩く。手帳を開いては考え、また書き始めては考える。
思考を巡らせながら手帳をめくっていたのだったが、一番新しい書き込みの所で俺はある事に気が付いた。
『駅から高校への道の途中に、』
書きかけのメモ。どうやら通学途中に書こうとしたものの様だが、その時の事はさっぱり覚えていない。
それもそのはず。今日は木曜日で、吉野が部室に居座りだしたのが一昨日の月曜日。
俺が夏風邪をこじらせて高校を休んでいたのが先週の金曜日と木曜日。
つまりこのメモは一週間も前に書こうとしたという事になる。
だがそれにしたって、自分の記憶力に不安を感じる。
こんな調子で老後の俺は生きていけるのだろうか。
書きかけのメモなど、普段は消してしまって終わりなのだが、この時俺はそれが妙に気になった。
何だか、とても大切な事を書こうとしていた気がするのだ。
「ハラサワー、ここ超イイ感じに日が当たって眠くなるー」
「だから名前を間違えるなと……」
俺が考え事をしている間も気楽な奴だと、呆れたため息をついて、思い出した。
駅から学校へ向かう急な上り坂。
逆向きにやって来ると当然下り坂になるそこのふもとの、
電信柱の横にそっと置いてあったいくつかの小さな花束達。
ああそうだった。あそこはうちの高校の生徒が交通事故に遭った場所。
大方、下り坂でスピードを出し過ぎていた車かバイクに轢かれたのだろう。不運な事だ。
見たものがハッキリした途端、もう一度その現場を見たいという衝動が俺の体を動かした。
「吉野、今日俺はもう帰るぞ」
「え、マジ? 原稿書かなきゃいけねんじゃねぇの?」
「それは家でもできる。帰りに寄りたい所があるんだ」
「どこ?」
答えようとして、やはりやめた。コイツには言わない方が良いだろう。
「オマエには関係無い。とにかく俺は帰るから、イタズラするなよ」
「しねえよ! 何だイタズラって」
鞄を担いで後方のドアから廊下へと出る。
早足に廊下を歩きだした俺の背中を、吉野の声が追いかけてきた。
「ハラサワ! パソの電源!」
ああ、うっかり切り忘れて出てきてしまったな。
だが階段の所まで来てしまったのに、戻るのはかなり面倒だ。
「切っといてくれ!」
「オレには無理だって!」
あー……そうだった。まあ後から来た他の部員が何とかしてくれるだろう。
そう祈りながら俺は階段を駆け降りた。
* * * * *
帰り道の空は、これ以上無いくらいに晴れ渡った綺麗な夕焼け空だった。
茜色の透明が頭上一面に広がる。ああ、空気も澄んでいる気がしてくる。
そんな穏やかな通学路の途中、ここで悲劇は起きたのだ。
道路にぽつぽつと散って乾いた赤黒い血痕が目を引いた。まだ事故の後味は残っていた。
電信柱の根元には、白いコスモスの花束が二つ、
一つはアスファルトの熱にやられたのか、しんなりと元気が無いように見える。
隣にコーラの缶、そして小さな焼きそばのパック。
やけにヘビーな昼飯だったな、と被害者に苦笑いを送りながら屈んで手を合わせた。
きっと彼はまだ生きたかったに違いない。
ここで事故があった事、オマエがここから居なくなった事、それはきっと誰も忘れない。
だから安心してくれと……。
ごうっと強い風が背中に吹き付けられた。
反射的に振り返る俺の眼前を次々に走り去ってゆく猛スピードの車、車、車。
道幅の広い下り坂で好き勝手にスピードに乗っている。
愕然とした。つい一週間前に、ここで人が一人死んだんだぞ? ここで、事故があったんだぞ?
わずかに傾いた電信柱も、コスモスの花束も、アスファルトに残る血痕も、
全てがその事を必死に伝えようとしているのに、なのに、世界はそれを忘れている。
こうしている今も、一人の女性が気だるげな表情を浮かべ、
俺にも供え物にも全く気付く事無く通り過ぎる。
空を見上げた。透明な夕焼け空は何処までも美しいのに、ここはさっぱりだ。
俺は『夢』を見ない。『空想』もしない。そんなもの無駄だと、そう分かっているからだ。
気持ち悪いくらいの現実主義者、リアリスト。
だが、だからと言ってこの現実が好きな訳でも無い。
むしろ嫌いだ。飽き飽きしている。
この世で一番不必要なモノ。それは人間と俺は考える。
決して皆交通事故で死ねば良いとか思っているのでも無い。
ただ、醜いから嫌いなのだ。
人間には感情がある。当たり前の話だ。
しかし感情は次第に昂り、欲が生まれる、自分さえ良ければ良いと、そう思い始める。
行き付く先は争い。
戦争が起こってはならないものだと、そう人々が分かっているのにも関わらず争いが絶えないのは、
どうしようもない人間の定めだからだ。
欲を消すには感情を消せば良い。感情を消す? そんな事できる訳が無い。
だからいつまで経っても、この世の全ては醜い。全く、心底嫌になる。
変わらない風景を眺めながら、俺はぼんやりと、あの日手帳に書き留めたかった事を思い出した。
まるで自分らしくない、滑稽な思いつきだった。けれど、何故だろう。
半分物思いから抜け出せないまま、俺は馬鹿みたいな文章を手帳に書き込んだ。
――後篇へ続く