痛み
気持ちの重さを知らない人間は
気持ちの大切さを忘れる
clarity love 痛み
シングルを作るための前日、社長本人からの誘いでメンバーと雅は飲み会に行くことになった。
香南はしばらく会えないからと七海の家に行こうとしていたが、しぶしぶ向かうこととなった。
「うーん、何となく嫌な予感はするんだよねえ。」
「うん、僕もなんかそんな感じがする。」
周と夏流の言葉に香南は息を吐く。
「香南、行けるのか?」
燎が香南の方を向きながら尋ねる。
顔には出していないが、心の奥底では心配しているのだ。
嫌な予感、それぐらい香南にだってわかっていたのだ。
けどここで行かなければ、変われないと思ったのだ。
「ああ、行く。」
ぐっと手に力を入れ頷くと飲み会の場所へ向かう。
するとやはりというか、円が座っていた。
先にメンバーの3人が入る。
香南は指先が冷えていくのを感じていた。
だめだ。変わるんだ。俺は―
ふと頭の中で七海が思い浮かぶ。
大丈夫、ですよ。
香南は大丈夫、大丈夫。と胸に手を当て自分に呟くと、深々と礼をする。
「失礼、します。」
そして円に近い席に座った。
円はとても上機嫌だった。
一番の理由は前あっても手を振り払っていた香南がこうして近くにきてくれたからだ。
あまりの上機嫌に円は香南にばかり話しかける。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「…ああ。」
「体の調子の方は大丈夫ですか?」
「…ああ。」
同じ返事しかしない香南に円はむっと眉をひそめる。
香南にとってはとてつもない変化でも、円にとっては微々たるものなのだ。
円はもっと近づきたいし、腕に寄り添いたいのである。
前回の飲み会での知らない女。
戸を開けた瞬間すぐに分かった。
そしてなぜあの人は近くにいたのにと何度思ったことか。
歯ぎしりしたい気持ちを抑え円は笑顔で続ける。
「前回の飲み会では女の方もいましたから、大丈夫かと思いついつい近くに寄り添ってしまったのです。すみません。」
「いや…」
「お父様から聞きました。大分症状の方は治られたと」
香南が倒れる症状は円も事前に知っていた。
その言葉に香南はコクンと頷く。
「はい。前よりは、その人と接することもできるようになりました。」
その言葉に社長はうんうんと頷く。
「それじゃあファンミーティングと称してファンとのふれあいもやり始めてもよさそうだね。」
「あ、いや、そこまでは…まだ…」
香南は袖で顔の汗をぬぐう。
まだ頑張っても冷や汗が止まらないのだ。
その姿に社長は残念がる。
このような場所でも社長は金もうけのことしか頭にないようだった。
しかし、円が聞きたいのはそこではないのだ。
地団駄を踏んだ前回の出来事からあやしいと思い今までの経緯調べていたが、確証が欲しかった。
本人の口から。
「突然、治られたのですか?それとも何かきっかけがありまして?例えば…」
そして不意ににやりと口端が上がる
「以前の飲み会の彼女…とか」
突如香南の顔から血の気がなくなる。
この顔、だめだ。
香南はとっさに下を向き息を整える。
流石にいけないと思ったのか雅が香南の腕を引っ張る。
「香南は明日から忙しいのでこの辺で失礼します。行くぞ、香南。」
「…ああ。」
円は心の中で笑いが止まらなかった。
あれだけ好きで、一番女の中で近くにいたと自負してもよかった。
それが突然掻っ攫われたのだ。
この気持ちはもはや円自身にもわからなかった。
ただただ、笑いがこみあげてくるのだった。
「大丈夫か?」
「…ああ。」
帰り送る車の中で香南は既にぐったりだった。
雅は先ほど買ってきた暖かいお茶を香南に渡す。
香南は少しずつそれを飲み始めた。
「七海ちゃん呼ぶか?」
雅が聞くと香南は首を横に振る。
「この時間はもう寝てる。心配掛けさせたくないしいい。」
胸をぎゅっと押えながら大丈夫、大丈夫と何度も唱える。
「日にち、ずらすか?」
雅が尋ねる。ほぼずらせない日程だが、この調子で香南を一人にするのは心配だった。しかしそれも香南は首を横に振る。
「いい。この思いのまま書き綴る。テーマはダークなんだろ?ちょうどいいじゃねえか。」
香南がハッと苦笑いをする。
「無理をするなよ。何かあったら絶対連絡すること。いいな。」
「…ああ。」
香南は外向きながら呟いた。
玄関まで雅に送ってもらいどうにか部屋に戻る。
電気をつけることもなく、月の明かりが少しだけ部屋を明るくするだけだった。
ほとんど何もない部屋。
ただベットと楽器、そして楽譜があるだけ。
静かだ。何もない。あるのは静寂だけ。
笑いがこみ上げる。
あの顔を見ただけで気持ちが戻ってしまうなんて。
香南が円を苦手な理由。
それはあの偶に現れる表情にあった。
とても似ているのだ。彼女に。
ちらっと横を見る。そこには携帯が置いてあった。
唯一の七海とのつながる手段。
香南はそっと手に持ち目を閉じると携帯に口づける。
七海
再び目を開けると、携帯をある場所にしまう。
そこは、二度と見たくないと思っていた香南の母の写真がしまわれている場所だった。
次こそ回想です。