#8:優柔不断
「葉山さん…俺じゃ駄目ですか…?」
「私、は…」
「アイツじゃなきゃ、嫌ですか?」
切羽詰まった遊弦の声音に、碧は答える事が出来なかった。
柳に会えて、昔の様に戻れて本当に嬉しかった。
それは事実だ。
あの日からずっと柳の事を考え、後悔しながら生きてきたのだから。
告白した事を謝って、仲直りして。
碧にとって、其処までが終着点だったのだ。
その後、柳とどうなりたいかなど考えた事も無かった。
「私には…まだ、解らない…これからどうしたら良いのか…」
「……」
「柳の事は好き…だけど、恋人になりたいのかはまだ解らない…」
何より怖かった。
自分の想いを告げれば、またあんな目で柳に見られるかもしれない。
裏切り者だ、と軽蔑されるかもしれない。
二度とあんな思いはしたく無かった。
「だったら、俺を選んで下さいよ…」
「遊弦…」
「絶対幸せにします…」
密着していた身体が離れたと思えば、顎を強く引かれた。
目の前には遊弦の整った顔。
あと数ミリで唇同士が触れてしまうだろう距離だ。
キスされる…
そう思った瞬間。
『セージ、一緒にCD買いに行かね?』
『良いよー、新曲?』
『2枚同時リリース。1枚ずつ買おうぜ。』
『うん!!』
不意に碧の脳裏に浮かんだのは、柳との会話。
思わず遊弦の肩を押し返してしまった。
「葉山さん…」
「ごめ…」
先に進むにしても、前に戻るにしても。
碧にとって柳透耶の存在は大きすぎるのだ。
「遊弦…時間が欲しいの…」
「アイツを忘れる為の時間なら幾らでも待ちますよ…!でも、アイツに戻る為の時間なんか1秒だってやりたくない!!」
遊弦の真っ直ぐな視線が突き刺さる。
自分の優柔不断さが恥ずかしくて、逃げ出してしまいたい気持ちになる。
そんな気持ちをぐっ、と堪えて遊弦の視線に自分のそれを合わせた。
「遊弦の気持ちは嬉しい。私も、好きだよ…遊弦の真っ直ぐなとこ。」
「…ッ、」
「だから、私も貴方に向き合える人間になりたい。」
目の前にある遊弦の顔が歪んでいく。
何かを耐えるかのように拳を握り締め、目を伏せた。
「本心は、今すぐにでもアンタを押し倒して自分のモノにしたいって…これ以上、アイツの事を考えられなくなれば良いって…馬鹿な事考えてる…」
「遊弦…」
「俺、こそ…アンタに向き合って貰う資格なんて無い…ッのに、」
遊弦が地面に膝を付いた。
先程までの強さは無く、ただ弱々しく彼は踞る。
碧はその背中に手を添えながら、唇を噛み締めた。
遊弦を此処まで追い詰めたのは自分の弱さだ。
どうにかしたい、と思うのに何も出来る事が無い。
それが酷くもどかしい。
「遊弦…」
「は、やま…さん…」
「我が儘でごめん…もうちょっとだけ…待って…」
今の自分に言える事はそれしか無かった。
柳の事にしても。
御堂の事にしても。
何も片付いてない今の状況で、遊弦に応える事は出来ない。
これは、今まで人と向き合う事から逃げていた碧への試練なのかもしれない。
真っ直ぐ向けられる好意から逃げて、誤魔化して。
過去の美化された記憶を追い掛け続けていた自分への。
「嬉しかったよ、遊弦の気持ち。」
「なら…良かったです…」
「…帰ろっか…明日も早いし、ね?」
素直に頷いた彼に、自然と笑みが浮かぶ。
思っていた以上に、碧の中で遊弦の存在は大きくなっていたらしい。
「葉山さん…!!」
「なに?」
「少しだけ、手…繋いで良いですか?」
何も答えず、碧はそっと遊弦の手を取る。
今、彼に自分が出来る精一杯で答えていきたいと思ったから。
握った手に力を込めると、遊弦が嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔に。
心の中で、何かが動いた。
碧はそれを何処か他人事のように感じていた。