#7:本心
心臓の音が五月蝿い。
彼女に触れてしまった手が、痺れているような感じがする。
極度の緊張から解き放たれ、漸く柳は詰めていた息を吐き出した。
柔らかい微笑みを思い出し、未だあの日から彼女の心は変わって無いのだと実感した。
『好き…なんだ、柳の事が…』
そう告げられたのは、中学校の卒業式。
顔を紅潮させ、瞳を潤ませた碧はまるで別人のようだった。
何時も教室でふざけ合っていた、葉山碧では無い別の誰か。
友達だと、そう思っていたのは自分だけだったのか。
そう思うと、碧の告白は柳にとって酷い裏切りのように感じた。
例え、碧にそんなつもりが一切無いのだとしても。
『何で…、そんな事言うんだよ…』
『やな…』
『俺は、お前とずっと…友達で居たかったのに…』
その頃の柳は、恋愛なんてものは知らなくて。
碧の言葉を受け入れる事すら出来なかった。
『お前には…がっかりしたよ…』
『柳!』
彼女の言葉を聞く事も無く、柳はその場を離れた。
謝る事すらも許さずに。
高校は別々に進学した為、その日以来今日まで碧と言葉を交わす事は無かった。
通学する道は似ていたので、たまに姿を見掛ける事もあったが柳は無視を決め込んでいた。
当然だ、と思った。
碧の事を信頼していた自分を裏切ったのだから。
数ヶ月も経てば通学時間がずれたのか、碧の姿を見る事は無くなった。
それに加えて新しい友人や環境を手に入れた為、碧との思い出も徐々に薄れていった。
高校生にもなれば、柳にも思春期というものが訪れる。
周りの雰囲気に流されるまま彼女を作り、高校を卒業するまでには一通りの事は済ませた。
しかし、彼女との初めてを経験する度に脳裏を掠めるのは碧の事。
例えば、今キスしているのが碧だったら。
例えば、今抱いているのが碧だったら…
そんな事を考えてしまう自分に気付いた時、漸く柳は自分の碧に対する想いが恋だったのだと思い知った。
遅すぎた自覚は、後悔となり柳を蝕む。
謝りたいとは思っていた。
柳が謝れば、碧はきっと許してくれるだろう。
しかし、プライドが邪魔してそれは出来なかった。
そして何時しか、このまま碧の事を忘れてしまいたいと考えた。
碧の記憶からも消えてしまいたい、とも。
(…俺は…馬鹿だ…)
10年経っても碧は覚えていた。
手酷く傷付けた柳に謝罪する為に。
『ずっと…ね、柳に、謝りたかった…』
柳が謝罪するより先に、涙を浮かべながらそう言った彼女はあの頃のまま…
純粋で綺麗なままだった。
思わず手を伸ばし、彼女の髪に触れる。
その瞬間。
封じ込めていたはずの想いが、再び溢れ出していくのを柳は感じた。
こんなにも、まだ。
情けない程に焦がれている。
傷付けて突き放したのは自分なのに。
『誤解させるような態度をとってるのは、アンタだ…』
遊弦という男が、敵意を剥き出しにそんな言葉を吐き捨ててきた。
それは碧の代わりに、柳の不誠実を責め立てる言葉。
きっとあの男は、碧の事が好きなのだろう。
遊弦だけではない。
タクシー乗り場で一緒に居た男も、柳に対し威嚇するような態度で睨み付けてきた。
彼もまた、同じなのだろう。
当然だ。
あの暖かさに触れたのならば。
遅かれ早かれそうなるのは見えている。
「!」
そんな事をぼんやり考えていると、不意に携帯電話が震えだした。
画面を見れば彼女からの着信。
少し迷ってから、柳は通話ボタンを押した。
「もしもし…?」
『やっと出た!!何してたのよ!?』
「病院、行けって言ったのお前だろ…?」
『そうだけど!連絡しても返事無かったら不安じゃん…私は透耶の事心配して…』
押し付けがましい口調に、少しずつ苛々が募る。
違うのだ。
碧と彼女は何もかも。
『今どこ?』
「北竜駅…帰るんだよ、」
『帰っちゃうの…?寂しいよ…』
心配だ、と言う癖に結局彼女は自分の事しか考えて無い。
軽いとはいえ足を捻挫している自分に、遠回しにでも家まで来いと言うのだから。
『透耶…?』
甘えた声が厭らしく耳に纏わりつく。
考えれば考える程、何故自分がこの女と付き合っているのか解らなくなってくる。
気付いた時には、口は勝手に言葉を発していた。
「…れよう、」
『え?』
「別れよう…もうお前とは無理だ。」
『ちょっ…透耶っ!?』
「じゃあな、」
本当に欲しいのは、たった一人の存在。
無理矢理通話を終了させると、柳は携帯を握り締めた。




