#6:真っすぐ
中村病院から帰社したのは御堂だけだった。
その御堂の表情も何処か暗い。
嫌な予感がした。
「御堂さん…、葉山さんは?」
「葉山は…私用や。」
「私用…って…」
遊弦の胸騒ぎは治まらない。
真面目な碧が仕事途中で帰るなど今まで無かった。
私用、だと言う御堂の様子もおかしい。
「秋月…?」
「ッ…、お疲れさまでした!」
仕事は既に終わっている。
居ても立ってもいられなくて、遊弦は乱暴にスーツと鞄を掴むと会社を飛び出した。
宛てなんてない。
取り敢えず、中村病院の近くへ向かう事にした。
タクシーを拾い、中村病院の最寄り駅である北竜駅を目指す。
「葉山…さん…」
しらみ潰しに駅前の店を見て回る。
動物的な勘でしか無かったが、碧は絶対近くに居るような気がした。
7件目に覗いた喫茶店で、遊弦は自分の勘の鋭さに感謝した。
しかし一歩踏み出すと碧の前に座る男を認め、彼女を見つけた事を少しだけ後悔した。
鋭い目付きだが、整った顔立ちの男。
椅子に凭れ、煙草を燻らす姿はモデルの様だ。
「柳は…今どうしてるの?」
「俺は…普通の…会社員。SEやってる。」
「そっか…」
碧の表情は柔らかい。
遊弦が見た事無い表情。
立ち尽くす遊弦など、碧の視界にすら入らないのだ。
苛立ちに胸が締め付けられる。
「ずっと…ね、柳に謝りたかったの…毎日夢に見るくらい、」
「……」
「裏切って、ごめん…本当に、ごめん…」
柳、と呼ばれた男の手がそっと碧の頭を撫でる。
鋭い相貌を愛しげに細め、彼は笑った。
「もう、良いよ…セージ、」
「柳ッ…」
「仲直り、しよう」
柳の言葉に碧が目に涙を浮かべながら、綺麗に笑った。
心底、嬉しそうに。
「ありがとう…」
「俺も…ずっと引っ掛かってたんだ…だから、良かった。こうやって会えて。」
「ん…」
碧の目に映っているのは、あの男で。
微笑みかけているのも、あの男で。
きっと、御堂もあの男を見たのだろう。
そして、同じように焦っているのだろう。
遊弦は何処か確信めいたものを感じた。
(だからと言って、引き下がれるか…)
「葉山さん…!」
「ぇ…?遊弦…何で…?」
「知り合い?」
椅子に座ったままの柳が遊弦を見上げる。
近くで見ると、その双眸の威力は更に増す。
すくみそうになる足を叱責して、遊弦は柳を睨み付けた。
「会社の後輩。遊弦、何で此処にいるの?」
「葉山さんが帰って来ないから…心配で…」
「それでわざわざ…ごめんね、迷惑かけちゃっ…」
碧が言い切る前に、遊弦はその手を取る。
柳の視線がより一層鋭くなった。
暫くの沈黙があって、先に目を逸らしたのは柳の方だった。
「誤解すんなよ…?俺…彼女居るし、」
「誤解させるような態度をとってんのはアンタだ…」
「……かもな、」
煙草を揉み消した柳は財布から千円札を2枚抜き出し、それを机の上に置いた。
「じゃあ俺、帰るわ。」
「え…」
「彼氏に悪いし、な」
「違…ッ」
柳の一言に、碧が酷く傷ついた表情をしたのを遊弦は見逃さなかった。
それと同時に、御堂が『お前には無理だ』と言った理由がはっきり分かった。
碧の心は、完全に柳という男へ向いている。
それをきっと柳も分かっていて、態と碧を傷付ける言葉を吐いている。
なんてずるい男なんだろう、と遊弦は歯噛みした。
純粋に彼の想いを寄せる碧は、まんまとその術中に嵌まる。
「柳!」
「…ん?」
「また…、連絡して良い?」
「浮気はしないからな。」
「分かってるよ!」
口元に悪戯っ子のような笑みを浮かべ、柳が去っていく。
その背中を何時までも碧は見詰めていた。
それが悔しくて、遊弦は握ったままだった碧の手を引き上げた。
そこで漸く、碧の目線は遊弦を捕らえる。
碧の眼に映る自分は、今とんでもなく醜い顔をしているに違いない。
しかしそんな事を気にしている余裕は無い。
柳の置いていった金を碧につき付け、遊弦は自分の財布から取り出した金で会計を済ませて店を出た。
「遊弦!」
「葉山さんは…アイツの事好きなんスね…」
「え…」
困ったように首を傾げる碧を見て、急に遊弦を後悔の念が襲ってきた。
姿が見えないから、と不安になって。
ストーカーまがいな事をして彼女を追いかけて来て。
彼女が好きなのだろう相手に喧嘩を吹っ掛けるような事を言って。
好きな彼女を困らせる言葉を吐いている。
今の自分にもっと冷静さがあったなら、こんな風に碧を困らす台詞を吐く事もないのだろうか。
こんな泥臭い事をしてしまったのは初めてだ。
しかし、もう後戻りは出来ない。
遊弦は覚悟を決めた。
「俺は、葉山さんが好きです!」
「…」
「入社式の時、一目惚れしたんだ…」
自分のすべての想いを碧にぶつける。
御堂のように、大人ぶって遠慮したりはしない。
柳のように、自分の気持ちを誤魔化して逃げたりはしない。
「好きなんです…こんなみっともない事してしまうぐらい…」
「遊弦…」
「あなたが、好きです…!」
無理矢理抱きしめた彼女の体は少し震えていた。
更に強くその体を抱きしめる事で、遊弦はその震えに気付かないふりをした。