#4:最悪な日
その日は思えば最悪だった。
階段から落ちそうになった彼女を支えた時に、無理な体勢で足を捻った。
病院に行け、と喚き立てる彼女に『誰の所為だ』と言ってしまいそうになるのをぐっと堪えた自分を褒めてやりたい。
そして、付いていくと言ってきかない彼女を制し一人で病院へ来たものの。
軽い捻挫だと医師には言われ、大量の湿布を処方された。
重い荷物が増えて、金を取られただけだ。
だから病院なんて来たくなかったのだ、と柳透耶は心の中で悪づいた。
大体にして彼女は心配性なのだ。
携帯を開けば案の定凄い数のメールと着信履歴。
自分の彼女とはいえ、此れにはいい加減辟易とする。
適当に返事を打つと柳はそれをジャケットのポケットに仕舞い込んだ。
相変わらず足は痛むし、仕方がないからタクシーでも乗ろうかと乗り場へと向かう。
そして柳はそうしてしまった事を酷く後悔した。
バサバサ、と紙が散る音。
それに釣られて視線をそちらへ向けた時、柳の視線は一人の女から離せなくなってしまった。
スーツを来て髪の毛を一つに纏め上げている彼女が恐る恐る柳の名を口にした。
「や、な…ぎ…?」
それで一気に確信する。
目の前にいる女が誰なのか。
「セー…ジか?」
言葉が震えそうになる。
昔の呼び方で呼んでみると、彼女は照れ臭そうに頷いた。
「…うん‥やっぱ、柳だ…」
「あぁ、久しぶり、だな…」
出来ればこんな形で会いたくなった。
出来る事なら、自分の人生にこれ以上関わって来て欲しくなかった。
だが、彼女はそれを許してはくれないだろう。
「あのね…柳、私…」
追い縋る様な眼がそれを如実に語っている。
そうなれば柳にはそれを受け止めるしか道は残っていなかった。
「…分かってる…仕事終わったら此処に連絡して。話、あるんだろ?」
「うん・・ありがと…」
携帯を取り出し赤外線の画面を起動させる。
新しい着信を告げるランプが光っていたが、柳はそれを無視した。
連絡先を交換すると、すぐにその場を離れる。
彼女の隣にいた男は酷く柳の事を睨んでいたし、何より彼女の前は居心地が悪かった。
『やなぎー!』
『何?』
『そんな顔しても怖くないからね?それより、柳!CD持ってきてくれた?』
『忘れた…』
『残念…じゃ、明日こそお願いね!』
見た目が怖い自分に近づく女子なんて誰も居なかった。
そういう雰囲気を作り上げたのは自分だし、今更変える気も無かった。
しかし葉山碧という女は違った。
中学に上がったと同時に引っ越してきた彼女は、柳に何かと話しかけてきたのだ。
きっと自分はそれが嬉しかった。
出来る事ならこの関係が一生続けばいいと思うほどに。
なのにその関係を壊したのは彼女だった。
酷い『裏切り』だと柳は思った。
だから二度と会いたくなかった。
なのに、どうして会ってしまうのだろう。
連絡先まで交換して。
「セージ…っ・・・」
否。
本当は会いたかったのだ。
あの日の事を清算して戻れるならば、戻りたいと思っていた。
「本当に…最悪な日だ…」
胸元のシャツを握りしめて、柳はその場に蹲る。
足よりも今は胸の方が遥かに痛かった。