#39:奪還
勝ち誇った藤森の顔。
叶う事なら、全てをかなぐり捨ててしまいたい。
でも、彼女の幸せを願うなら…
そんな葛藤を嘲笑うかのように藤森の手が御堂の手に重ねられた。
「行きましょ…報告。」
覚悟を決めないといけない。
先程彼女をおぶった時、頭を擡げたほんの僅かな希望。
所詮儚いものだったのだ。
噛んだ唇からじわりと血が溢れた。
「御堂さん…」
戻ってきた御堂の隣には藤森が立っていた。
二人の手は恋人の様に絡ませられている。
碧と目が合うと御堂は気まずそうに視線を逸らせた。
「ほら、貴志さん、早く。」
「!」
藤森が肘で御堂の腕をつついた。
御堂は少し躊躇った後、御堂へと視線を戻す。
それでも尚無言が続き、それに焦れた藤森が二人の間に体を滑り込ませた。
「もう…貴志さんたら照れてるんですか?」
「…ッ、」
「あのね、葉山…私たち結婚することになったの。」
藤森が厭らしい笑みを貼りつけて、碧を舐めるように見詰めた。
「これから、式場見に行くから。アンタは一人で帰って?」
「…」
「葉山…ごめん、な…」
御堂がそう続ける。
その表情は酷く暗い。
明らかにこれから結婚する人間の表情ではないだろう。
――御堂さんを…助けて下さい…碧さんにしか、無理だ…
遊弦の言葉を不意に思い出す。
そして全てが繋がっていく気がした。
「嘘…」
「え?」
振り返った藤森を碧は鋭く睨み付けた。
何時もとはまるで雰囲気が違う彼女に藤森も少したじろぐ。
「結婚なんて、嘘…御堂さんがアンタを選ぶはずない…!」
「は…?」
「自分を偽ってる人…好きにならない…ッ」
バシッと乾いた音が響く。
碧の頬がみるみるうちに赤くなっていく。
ジンジンと痛む頬を押えて、それでも碧は藤森を睨んでいた。
「どんな手を使っても、もうあの人はアタシの物…」
「何…」
「好きかどうかなんて問題じゃない…大事なのはあの人を隣りに置けるかどうかよ!」
『物』だとか『置く』だとか。
そんな単語が耳に届くたびに碧の怒りは膨れ上がっていく。
頬の痛みなんて問題じゃなかった。
「私は‥どれだけアンタに嫌がらせされても構わなかった…それで気が済むのなら、って‥でもこれは許せない…!アンタは御堂さんを何だと…」
「アクセサリーと一緒よ、これだけステータスの良い男を傍に置きたいのは当然でしょ?」
「な…」
藤森の言葉に碧は目を瞠った。
それに気を良くしたのか、藤森は更に言葉を重ねていく。
「だいたいアンタだって秋月とか、あの目つき悪い奴とか、御堂さんとか侍らせてるじゃない?誰かを選ぶ訳でも無くさ。」
「それは…ッ」
「見定めてるんでしょ?高物件かどうかを…本心は御堂さんを私に獲られそうになって焦ってるだけじゃない?」
カッとなって、手を振り上げる。
それを振り下ろそうとした瞬間、碧の手は止まった。
強い力で手首を掴まれた所為だ。
「葉山…婚約者…やねん、止めたって…?」
「御堂さん…」
「っ、はははっ、あはははは!ほらね、もうアンタの出る幕はないの!」
あの日。
レストランからの帰り道にみた、悲しい決意を秘めた瞳。
彼は全てを背負うつもりなのだ。
「…頼む…」
「私は大丈夫です…だから、御堂さんの本心を聞かせて欲しい…」
「!」
御堂の目に僅かだが、迷いが映る。
藤森もそれに気付いたのか、御堂の腕を自分の方へ引き寄せた。
「契約を反故にするんですか?」
「契約…?」
「アンタを護る為に、私の言いなりになる。貴志さんが持ち掛けた事よ?」
藤森と碧に挟まれ、御堂は苦虫を噛んだかのように表情を歪めた。
碧を掴んでいた手から力が抜けていく。
「私を、護る為に…?」
「……」
御堂は何も答えない。
いや、答えられないのだろう。
認めても、否定しても事態は好転しないのだから。
「倉庫でアンタが頭ぶつけた日に、ね」
「あの日…?」
だとしたら。
レストランに誘われた日には既に契約を結んでいたという事だ。
あの日に言われた一言一言が重みを増していく。
ーお前は一言ごめんなさい、って言えばええんや…
ー 俺は知っとるよ?葉山が幸せになれる方法。
ー最後に、ちゃんと言っときたかってん…… 碧の事が好きや…誰より。
「全部自分で背負って、私から離れるつもりだったんですか…?」
御堂が俯いた。
その仕草で、全てが肯定される。
「…わかりました…」
碧は御堂から離れた。
全ての合点がいったから。
ならばやる事は一つ。
「きゃぁっ…!?」
握り締めた拳で藤森を殴った。
短い悲鳴を上げて藤森が倒れる。
殴った手は痛みで痺れていたが、そんな事はどうでも良い。
これ程まで腹が立ったのは、新人歓迎会で遊弦が薬を盛られた時以来だ。
否、あの時よりも憤りを感じているかもしれない。
碧の眼光に藤森がたじろぐ。
「契約は破棄して」
「な…っ、」
「今まで通り、私を狙えば良い。御堂さんは関係無い。」
「今更ね…」
往生際悪く藤森が笑う。
「貴志さんがアンタを護りたい以上、契約は破棄出来ないわ!」
悔しいが、それは的を射ていた。
例え碧が良いと言っても、御堂はそれを了承しなければ意味が無い。
「御堂さんはアンタに片思いしてる…だから、私の物になるしかないの。」
藤森の言葉に碧は顔を上げた。
「片思い…?」
「だって、アンタ…貴志さんのこと恋愛対象で見てないじゃない」
見てない、というわけではない。
見ないようにしてた、のだ。
柳の存在がずっと引っ掛かっていたから。
しかしその問題は先程解決したばかり。
それは藤森にとって大きな誤算。
「それを、考える為に私は柳と別れた…」
「!」
御堂の目が大きく見開かれる。
「だから、御堂さんが犠牲になる理由が無い。」
「葉山…」
好きになるかはまだ解らない。
でも、前とは違う意味を持って向き合える確信があった。
「ほんまに…良いんか?好きで、いても…まだ、足掻いても…」
強く腕を引かれ抱き締められる。
弱々しく告げられた言葉に、鼓動が跳ねた。
「貴志さん!?どうなっても良いの!?」
「…御堂さん…」
碧を抱き締めたまま、御堂は頷いた。
「ええよ。傍に居れるなら…命懸けて護る。」
「…っ、馬鹿らしい!!」
悔しげに顔を歪めると藤森は捨て台詞を吐いて去っていった。
残された二人は顔を見合わせて笑う。
「…格好良かったで…葉山。」
「出過ぎた真似をして、すいません…」
「嬉しかった…」
もう一度抱き締められる。
感じる体温は暖かく碧を包み込んだ。