#34:奇跡と呪縛
「透耶…、」
唇が離れ、視線が絡む。
微笑む碧を柳はもう一度強く抱き締めた。
「昔…、俺は何度もお前を傷付けた…」
「…うん…」
「なのに、それでもお前は俺を好きだと言ってくれた…そうする事が…義務みたいに…」
柳の手は震えていた。
「俺を孤独にしないように…」
どくん、と碧の心臓が脈打つ。
心の奥底を掴まれたかのような気がした。
「忘れてくれれば、こんな事考えず…好きだと言えると思った…」
不意に密着していた体温が離れた。
苦しげに歪められた表情に何も言えなくなる。
柳はそれでも碧から目を離さず言葉を繋げた。
「でも…同じだ…言った言葉は消せねぇ。
お前を傷付けた事実は…消えてくれねぇんだ…」
カチリ、とパズルのピースが嵌ったような気がした。
記憶の断片が頭の中でどんどん合わさっていく。
(俺はお前とずっと友達でいたかったのに…)
汚れた感情を抱いた自分を責め立てた瞳。
(がっかりしたよ…)
追縋る手を振り払われたあの日。
間違った選択をしたと後悔した。
道ですれ違っても反らされる目。
心はどんどん鬱いでいった。
好きにならなければ良かった、と何度思っただろう。
時間を巻き戻したい、と何度願っただろう。
ただCDを借り合ったり。
好きなアーティストの話で盛り上がったり。
一緒に帰り道で買い食いしたり。
馬鹿みたいに笑い合ったり。
本当は。
それだけで、良かったのかもしれない。
「あ、…」
気が付けば涙が頬を濡らしていた。
止め処なく溢れるそれを必死に拭う。
「やな、ぎ…私…ッ、」
伸ばされた手が碧の手首を掴む。
真っ赤に潤んだ瞳に柳が苦笑った。
「酷ぇ顔…」
「、っ、るさい…」
大きな手で涙を拭われる。
その仕草は優しく心地良い。
「全部…思い出したな?」
「うん…」
遊弦に告白された事も。
御堂に言われた『2回目』の言葉の意味も。
そして、柳と思いを通わせ合った事も。
「…じゃあ、一度離れよう…」
柳の提案は唐突だったが、驚きはしなかった。
「お前と短い期間だったけど恋人になれてさ、俺は本当に幸せだった…でも、何処か心ん中じゃ、これで良いのか?って常に自問してた…」
「…柳…」
「俺達は『奇跡』みたいな再会に浮かれてただけじゃねぇか…?」
思えば。
別れも再会も唐突だった。
心の奥に抱えてた蟠りの原因に出会い、思いを確認した。
そんな奇跡のような出来事が、余計に心を狂わせた。
「お前を失って初めて俺は…自覚した。お前が好きだって…」
頬にあてがわれていた掌が首を滑り、肩へと落ちた。
そのまま肩を強く掴まれ、碧は顔を上げる。
「でも…お前は違う…『あの日』から止まったままなんだ…」
その言葉に碧はハッとする。
柳はそれに構わず言葉を繋げた。
「『奇跡』は…俺にとってだけの物で…お前にとっては…」
「ただの、『呪縛』だった…」
柳にとっては全てをやり直す為の好機。
しかし碧にとっては。
最悪な別れ方をしたあの日に止まった時を、ただ動かしただけの事だった。
柳の表情が哀しげに歪む。
「俺を好きだって言ってくれたこと…嬉しかったし…お前のその言葉を否定する気はねぇ…」
初めて言葉を交わした日に思った。
『優しい人』だと。
彼の根本はずっと変わって無いのだ。
だからこそ、前に進む為には離れなければならない。
痛いほどに掴まれた肩に、柳の決意が滲んでいた。
「俺もあの日、確かにお前が好きだった。だから、頼む…」
「…前に、進んでくれ…」
懇願するかのような声音。
碧はゆっくりと首を縦に動かした。