#32:昔話
良くも悪くも自分は目立つ生徒だったと思う。
口数が少なく目つきは悪い。
それは生まれつきの物だから仕方がないと自分では思っていても、しかし周りはそうは思ってくれない。
そんなつもりが毛頭無くても『喧嘩を売っている』と誤解される。
何と無く習っていた空手の御蔭で負ける事は無かったが、それが余計に有らぬ噂を助長させた。
兎に角、孤独だったのだ。
別段一人が嫌いな訳ではない。
煩わしい人間関係に悩まされることも無いのだから楽だとさえ思っていた。
だから、初めは鬱陶しいと思ったのだ。
「柳透耶君だよね?」
「…そう、だけど…?」
席替えで偶然隣になったのが全ての始まりだった。
大抵の人間は柳と向き合うと萎縮する。
顔色を伺い、機嫌を損ねないように…まるで腫れ物に触るかのような扱いを受けてきた。
しかし彼女だけは違った。
真っ直ぐ柳の目を見て、話しかけてきたのだ。
「私は、葉山碧。よろしくね!」
人当たりが良いというのが彼女の第一印象。
自分に差し出された手を見たまま動けない柳に碧が困ったように笑った。
「馴れ馴れしすぎたかな…?何だか嬉しくて、つい…」
「嬉しい…?」
耳慣れない単語に思わず聞き返す。
『嬉しい』だなんて今まで家族以外に言われた事なんて無かったから。
「ずっと喋ってみたいな、って思ってたんだ。柳君と。」
「…奇特だな‥」
「そうかな?あわよくば友達になれたら…なんて思ってたんだけど…」
自分に臆すること無く話しかけて来るだけでも珍しいのだ。
それなのに更に踏み込んでこようとするなんて奇特以外の何物でもない。
初めて対峙する人種にどう反応して良いか分からず柳は目を逸らした。
「普通、俺みたいな奴は関わりたくねぇだろ…?」
「だって、喋らないとどんな人かなんてわからないでしょ?」
「…喋らなくても、分かンだろ…」
目つきが悪くて生意気。
おまけに無愛想で喧嘩っ早い。
10人中10人がそう判断するだろう。
そしてそう判断すれば間違いなく関わりたいとは思わない。
誰しもが面倒事とは関わりたくないものだ。
今は興味本位で話しかけていても、いずれ彼女もそれを理解し離れていくだろう。
ならば踏み込んで来られる前に切ってやろうと思った。
しかし、そんな考えは彼女が放った一言で出来なくなってしまった。
「優しい人、だと私は思ってるよ。」
「…は?」
理解できない単語がダイレクトに頭の中に響く。
何処をどう見たら自分を『優しい』だなんて思えるのか。
口を開けて固まってしまった自分は相当間抜け面だと思う。
そんな柳を見て、碧はとても嬉しそうに笑って見せた。
「だって、私の話ずっと聞いてくれてる。」
その言葉に、無性に苛立った。
優しい言葉は耳を塞ぎたくなる。
「居るんだよな…偶に。『私は何でも解ってます』って顔する奴…」
碧の顔が哀しげに歪む。
そのまま泣いてしまえば良いと思った。
そして二度と自分と関わらなければ良い、と。
「そういうの、偽善者っていうんだよ…」
「柳!お前何言ってんだよ!」
聞き耳をたてていたらしいクラスメートが急に立ち上がった。
碧を庇うように割り込んでくる。
もしかしたら彼は碧の事を好きなのかもしれない。
その表情は完全に柳を敵視していた。
「葉山は…お前みたいな奴にまで優しくしてやってんだぞ?何様のつもりだよ!?」
『!?どっちが何様だ…!お前らに俺の何が…!』
瞬間的にカッとなって、思わずそのクラスメートに殴りかかろうとした。
その時…
「待って!!」
「葉山…!」
碧が柳の手を横から掴んでいた。
小さな手が柳の手に重ねられる。
見下ろしたその表情は泣いてはいなかった。
キッと音がしそうなほど鋭い瞳で碧はそのクラスメートを睨み付けた。
睨まれた彼は顔を青くしている。
「遠山君、言い過ぎ…」
「ぁ…ごめ…」
「でも、心配してくれたのは嬉しいよ、ありがとう…」
今度は反対ににっこりと柔らかく微笑む。
まさに飴と鞭だ。
先程まで顔を青くしていた遠山という男は、今度は真っ赤に頬を染めて席に戻っていった。
「柳君、ごめんね」
何が、と聞き返す前に『ばちん』という音と共に鋭い痛みが頬を襲った。
どうやらビンタされたようだ。
碧の行動の意味が直ぐには理解できなかった。
周りの人間も同じようで、理不尽に殴られた柳が碧に殴り掛かるのではないかと冷や冷やしている。
水を打ったように静かになった教室で、碧が少し張った音量で喋りだした。
「何か…柳君の言い方ムカついたから殴っちゃった。」
「な…」
「柳君って人に構って欲しそうなのに、近付くと撥ね退けるんだ?」
唖然としたまま動けない柳に碧はさらに言葉を重ねていく。
「私は偽善者だけど、柳君は弱虫だね。」
『ちょっと、酷くない?』
『葉山さんってあんなこと言う人なんだ…』
『なんか幻滅ー…』
ひそひそとクラスの人間たちは遠巻きに話し出す。
その内容は碧への非難。
そこで初めて柳は碧の意図に気が付いた。
「弱虫…っていうより負け犬?」
「葉山…」
態とだ、と分かった。
哀しげな表情のまま柳の悪口を言う碧。
彼女は悪者になろうとしているのだ。
柳を護るために。
「そんなんだから、何時まで経っても…」
「もう良い…!」
柳は碧の手を掴む。
周りの空気が一気に張りつめた。
「お前が、悪者になる必要…ねぇだろ…」
「…そんなん、じゃ‥」
「嘘下手なんだよ…馬鹿。」
彼女は今までの人間と違う。
そう理解した瞬間、自分の心が緩むのを感じた。
「良いよ…分かった‥」
「ぇ‥?」
「友達。なってやるよ…」
我ながら上から目線だ。
それでも碧が嬉しそうに笑ったからそんな事すらどうでも良くなった。
その日から二人は友達になったのだ。