#30:吐露
叶うなら、全てをリセットしたいと思っていた。
彼女に吐いた酷い言葉や態度を。
そして、その願いは至極あっさり叶った。
忘れられた事に焦りと苛立ちを感じる一方で、安堵感もまた感じていた。
矛盾している、と自分でも解っている。
必死で自分を思い出そうとしてくれている碧
への裏切りであるという事も…
向けられる視線に居心地が悪くなる。
柳が話題を変えようと口を開いた時…
「…透耶…」
「!」
「って…呼んで良い…?」
ただ名前を呼ばれただけなのに、心臓を鷲掴みされたかのような感覚に陥る。
それは彼女なりの努力なのだろう。
全てを思い出す為の。
「じゃあ、俺も、碧って…呼ぶな…?」
「うん!」
恋人になってからの期間より、友達であった時の方がずっと長かった。
『碧』だなんて呼んだのは、ほんの数日の出来事だ。
なのに、碧は其処から何かをはっきり感じ取ったようだ。
瞳が大きく揺らぐ。
「透耶は、きっと私の大切な人なんだね…」
「…碧…」
「それだけは、はっきり解るよ…」
しかし『大切』には2種類ある。
どちらの意味で柳が存在しているのか。
「透耶は私の…『恋人』?それとも『友達』…?」
その二択だ。
本当の事を言うべきか、誤魔化すべきか。
言い淀む柳を見て、慌てて碧が取り繕った。
「ぁ…、言いたくないなら言わないで良いよ…!私も何も聞かないから…」
言いたくない訳では、無いはずだ。
しかし、柳の奥底に眠る負の感情がそれを阻止する。
戸惑えば戸惑うほど、言葉は出てこなかった。
不安げに碧の声が震えた。
「…ごめん…こんな事、聞いちゃ駄目だった、よね?」
柳の無言を碧は完全に誤解したようだ。
しかし言葉はまだ纏まらない。
咄嗟に口をついて出たのは…
「もし…俺がお前の恋人だったら…どう思う…?」
こんな答えられない質問をして、一体どんな答えなら自分は満足するのだろうか…
案の定口を噤んでしまった碧を見ても今更引き返せなくて。
柳は更に言葉を重ねた。
「…お前の周りには、秋月が居る…御堂サンも居る。お前を幸せにしてくれる奴は沢山居る…」
「…」
「その中で、俺がお前の恋人だとして…忘れたモン無理に思い出して…お前は幸せなのか?」
柳の中に燻ぶるもう一つの想い。
「俺はお前が好きだから…誰よりお前に幸せになって欲しい…」
碧を幸せにしたい。
願うなら自分が。
それが叶わなくても、誰かに。
「お前が、これから先…俺を思い出さなくても良い。俺は今の俺を好きになって貰うように努力する…」
「透耶…」
「だから…良い…俺と恋人同士だったとしても、そんなのは今のお前には関係の無い事だ。」
もし、自分が恋人だったら…?
その問いに対する碧の言葉を本当は聞きたかったのかもしれない。
しかし、その答えを求めるのは愚かな事だろう。
今の碧は何も覚えていないのだから。
「…悪い…こんな事ぐらいしか言えねぇ…」
「透耶…」
「ごめん…な、」
柳が謝った時、碧の口元がふわりと緩んだ。
「透耶は…優しいね…」
「…!」
昔見た彼女の笑みがフラッシュバックする。
誰からも避けられていた自分に、彼女だけが笑いかけてくれた。
変わらないその笑顔に胸が締め付けられる。
「負い目なんて…きっと私は感じて無かったと…思うよ…」
優しい声も、表情も、何も変わらない。
彼女は、何も変わらない。
気が付けば柳の頬には涙が流れていた。