#3:動きだす
中村病院にでのプレゼンは無事終わり、二人は病院前でタクシーを待っていた。
隣に座る碧は、ずっと新製品の説明書を読み耽っている。
(真面目…やなぁ…)
本当に彼女は真面目だ、と御堂は思う。
他の女子社員は、煩いばかりで仕事はいい加減。
処理出来なかった仕事を平気で碧へ押し付ける始末だ。
それでも彼女は文句の一つも言わず黙々とこなすのだから、上司である御堂も頭が上がらない。
しかし、真面目であるがお堅いという訳では無い。
飲みに誘えば大体は参加してくれる程、人が好いのだ。
そんな碧に御堂も好意を寄せていた。
肩に手をまわし、自慢の低音をフル活用して耳元で囁く。
「葉山…」
「何ですか?」
「俺と、付き合わん?」
「御堂さん…何時も言ってると思いますが、その顔で言うと女の子は誤解しちゃいますよ?」
御堂はがくりと項垂れる。
鈍いのか、何なのか。
御堂の言葉を冗談としか碧は受け止めない。
まぁ、変に意識されれば仕事がやりにくくなるので好都合といえば好都合なのだが。
(ちょっと切ない…)
見た目には少々自信があるのだが、碧にだけは全くそれは通用しない。
御堂が視線を逸らし、溜め息を吐き出したその時。
バサッ、と碧の手から資料が全て落ちた。
しかしそれを拾う気配もない。
「葉山?」
御堂が碧を振り返る。
碧は強張った表情をして、ただ一点を見詰めていた。
視線の先には一人の男。
男も同じように、微動だにせず碧を見詰めている。
初めに沈黙を破ったのは碧の方だった。
「や、な…ぎ…?」
それに釣られるかのように、男も口を開く。
「セー…ジか?」
「…うん‥やっぱ、柳だ…」
「あぁ、久しぶり、だな…」
柳、と呼ばれた男は少し戸惑いながらも碧の前へと歩を進めた。
碧の表情もどこか戸惑いを含んでいる。
「あのね…柳、私…」
「…分かってる…仕事終わったら此処に連絡して。話、あるんだろ?」
「うん・・ありがと…」
携帯電話の赤外線を突き合わせ、二人は連絡先を交換した。
それ以上は何も言うことなく、柳という男は去っていく。
御堂の心の中では激しく警鐘が鳴っていた。
細身の長身に、漆黒の髪。
人を射殺せそうな目付きなのに、碧に対する態度は柔らかかった。
目つきの悪ささえ無ければかなりの男前だ。
碧の態度から考えて、きっとあの男との間には何かがあったのだろう。
奪われる…
そう思った。
遊弦も危険だが、あの男はもっと危険だ。
「み…御堂…さん?」
気がつけば碧を強く抱きしめていた。
此処が得意先の病院前だ、とか。
仕事中だ、とかそんな事は一気に頭の中から抜け落ちていた。
一人の男として。
「好きや…、葉山の事…」
「ちょ・・御堂さ…流石にこれは…っ、」
「冗談ちゃうよ。俺、年上やし大人でいよう思っとったけど‥もう無理やわ。」
(アイツは、きっと…この子の心を掻き乱す…やったら、)
「俺のモンになって…?」
その前に。
(俺がお前の心を乱してやる。)