#29:再会
無くした記憶と、新しく塗り替えられていく記憶。
『俺の方がいい男だって、碧さんが思うように!』
『碧の事が好きや…誰より。』
考えると頭が痛くなる。
答を出したくても出せない自分に嫌気がさす。
一人になった部屋で、碧は頭を抱えた。
涙が頬を伝い流れ落ちる。
遊弦の事も御堂の事も好きだ。
ずっと傍に居てくれた2人だから。
しかしそれが恋愛感情か、と問われれば解らない。
出ない答えを強要されているもどかしさに、息は詰まるばかりだ。
何より2人の時折見せる辛そうな表情が碧を余計に苦しめた。
深い闇に思考すら呑み込まれかけた時…
「?」
携帯電話の画面が明るくなった。
其処には『柳透耶』の文字。
聞き覚えのある名前だ。
御堂が口にしていた名前。
恐る恐る、碧は携帯電話を拾い耳元へ持ち上げた。
「…もしもし、」
『セージ…?』
「え…と、私…葉山碧…ですけど…」
『あ…!そっか…悪り、』
低めの声が慌てたように謝罪する。
その声に懐かしさを感じて碧は思わず目を閉じた。
「柳君…だよね?」
「君付けは止めてくれ、調子が狂う…」
「じゃあ、柳でいい?」
『あぁ、それで良い。』
落ち着く声…
この声は知っている。
『…葉山…明日、休みか?』
「うん…御堂さんが有給申請してくれたから、1週間休みだよ。」
『もし、さ…嫌じゃなければ、明日久しぶりに会わねえか?』
名前すら覚えていない、昔のクラスメイト。
そんな彼からの誘いは、普通ならば断っては然るべきなのだろう。
しかし碧にその選択肢は無かった。
「…良いよ。私も、柳に…会いたい…」
『そっか、良かった…じゃあ…明日10時頃迎えに行くから…』
「ん…」
通話を終了し、携帯電話を床に滑らす。
彼が何者なのかは解らないが、彼に会うことで何かを掴める気がした。
涙はもう止まっていた。
「はよ…」
「おはよ、」
ほんの少しの気まずさを孕んだ空気。
それでも嫌な感じはしなくて、2人は顔を見合わせて笑った。
「柳は私を覚えてるんだよね…?」
「あぁ。」
「私が柳と行った所…もう一回連れて行って…」
思い出したいと、強く願った。
彼は自分にとって、とても大切な存在の筈だから。
「良いぜ…行こう…」
「ありがとう…」
車に乗れば、煙草の残り香が鼻を擽る。
ダッシュボードに無造作に置かれた煙草。
封の開いたそれに、そっと碧は触れてみた。
「悪りぃ、臭うか…?」
「ううん。嫌いじゃ無いから大丈夫。」
見覚えがある煙草の銘柄。
嗅いだことのある匂い。
誰かの部屋の光景が、碧の脳裏にちらりと浮かんだ。
予感は確信にかわっていく。
「私…柳の事だけ、忘れてるの?」
「…さぁな、」
ハンドルを握る柳の横顔が一瞬だけ哀しげに歪んだ。
その表情は肯定の意だろう。
碧は胸に濃く刻まれる疑問を真っ直ぐ柳にぶつけた。
「私と柳の関係って何…?」
信号で車が止まる。
車内に流れるのはラジオの音だけ。
暫くの沈黙の後、柳は碧に笑顔を向けた。
「友達、だ。」
「…」
「少し前に再会した。だから…良いんだ。お前が俺のことを忘れてても。」
良い、と言う彼の表情がまた一瞬哀しげに歪んだ。
「また、一からやり直せば良いだけだ。」
「柳…」
「だから、気に病む必要はねぇよ。」
信号が変わり再び車は動き出す。
しかし碧は、真っ直ぐ前を見詰める柳から目を逸らす事が出来なくなっていた。
「…ごめん、ね…」
ただ優しい彼が、悲しくて。
思い出せない自分に腹が立って。
色々な感情が混ざり、気が付けばそんな言葉が口をついて出てきた。
「謝んなよ…俺は、忘れてくれて良かったと思ってる…」
「…ん、で…?」
「やり直したい…って、ずっと思ってたから。あと…」
少しだけ、柳が言い淀む。
しかし覚悟を決めたのか、心なしかハンドルを握る手に力が込められた。
「お前が、何の負い目もなく俺を選んでくれるのか…それを知りたいと思ったから…」
柳の言葉は俄には理解し難い。
しかし、聞き流す事は出来なかった。
車内に再び降りた沈黙。
碧は何も答えることが出来ず、ただその横顔を見つめていた。