#26:葛藤
食事が粗方終わり、ウエイターが器を下げていく。
忍が食後のデザートに、とミニタルトとコーヒーを運んできてくれた。
それはやはり美味しくて、碧は幸せそうに全て平らげた。
「本当に美味そうに食うな、アンタ。」
「本当に美味しいからですよ。」
「サンキュ。料理人にはこれ以上ない言葉だ。」
ぽんぽん、と碧の頭を撫でる忍。
それを恨めしそうな目で御堂が見詰めていた。
「葉山は俺の後輩やのに…忍は俺の友達やのに‥俺だけ蚊帳の外ってなんかおかしない!?」
「男の嫉妬は見苦しい。何度も言わすんじゃねーよ。」
「アカン。泣きそうや。」
机に突っ伏す御堂を無視して、忍は碧を見詰める。
正面から見詰められて、少しドキリとしてしまう。
忍もサングラスで隠れてはいるが、整った顔立ちをしているからだ。
「なぁ…、アンタさ、」
忍が何か言い掛けたその時、御堂の携帯電話が無遠慮に震えだした。
「会社からや…ちょっとごめんな、」
流石に無視する訳にはいかないのか、御堂は携帯を持って店を出て行った。
急に二人きりにされた事で碧は少し戸惑う。
忍の方は気にしていないようで、先程途切れさせられた続きを何事も無かったかのように話し出した。
「アンタさ、何か違和感とか感じるんじゃねぇか?」
「!!」
自分の核を突かれ、碧は大きく目を見開いた。
「私の事、何か知ってるんですか…?」
「知らねぇよ‥でも、なんとなく…今のアンタは偽物のような気がする。」
「私も、そんな気がするんです…何か一番大切な事を忘れてる…」
忍は何かを考え込むように、顎に手を当てる。
そして、暫しの沈黙の後口を開いた。
「成る程な。」
「何か解ったんですか?」
「まぁな。」
忍はゆったりと笑ってみせた。
確信をもった言葉に、碧は思わず縋りつく。
突然立ち上がった反動で、椅子が大きく揺れた。
「教えてください!分かった事全部…!」
「落ち着けって、」
忍が碧の肩を押さえて、再び座らせた。
宥めるように、その頭を優しく撫でる。
「慌てんな。」
「でも…、」
「俺の憶測を此処で言うのは簡単だ。でも、それじゃあいけねぇんだ。」
サングラス越しの瞳が真剣さを帯びて、碧を捉える。
視線はもう逸らせなかった。
「アンタは今混乱してる…偽物の世界に放り込まれた気分だろ?」
「はい…」
「でもアンタはアンタだ…そのままで良い。俺とこうして知り合ったように、これから出会えば良い。」
忍の言葉に目の前が晴れていくような気がした。
それは碧自身がずっと不安に感じていた事だったから。
見覚えのない男の見せた切ない表情。
遊弦の何かを誤魔化すような笑顔。
御堂の時折見せる悲しげな表情。
何処か腫れ物に触るかのように扱われ、不安は募っていくばかりで。
そんな時だったから、余計に忍の言葉はありがたかった。
そのままの自分で良い、と言われて。
「今忘れてても、本当に大切なものなら何時かきっと思い出す。大丈夫だ…」
「松田さ‥ん、ありがとう…」
「アンタの気持ち、何となく解るからな。」
忍が少し哀しげな笑みを浮かべた。
「俺の場合は少しずつ世界が消えていく恐怖だったが…まぁ似たようなもんだな。自分は動けねぇのに、周りはどんどん変わっていく。取り残された気持ちになる。」
「…はい、」
「けど、無理に変わらなくて良い…貴志がそう教えてくれた。なぁ?」
忍が碧の肩越しに、視線を向けた。
捉えているのは戻ってきていた御堂だった。
「ったく…俺に偉そうな事言っといて、不安にさせてんじゃねぇよ。」
「…すまん…」
頭を下げる御堂に、忍は呆れたように溜め息を吐き出す。
そして再び碧に向き直ると、ポケットから名刺を取り出した。
「何かあったらこれに連絡しろよ。」
「ありがとうございます…」
「ま、ナンパの意味も込めてな。」
もう一度碧の頭を撫でると、忍は厨房へと踵を返した。
御堂の横を通り過ぎる時、その肩に手を置き耳元へ口を寄せる。
何かを耳打ちしているようだったが、碧の位置からでは聞こえなかった。
御堂の表情が僅かに歪む。
何を言われたのかは解らないが、御堂にとっては痛い言葉だったのだろう。
しかし、それは一瞬の事で。
顔を上げた御堂は何時も通りの表情だった。
「帰ろか、」
「…はい、」
彼もまた葛藤しているのだ。
碧は視線を落とし、前を歩く影を追い掛けた。