#22:彼氏
『葉山が、記憶喪失になった…忘れたのは君の事だけや…』
御堂から掛かってきた電話。
内容は非現実過ぎて理解に苦しむものだった。
しかしわざわざ電話してきてまでこんな悪趣味な悪戯はしないだろう。
柳は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
「何で、ですか…?」
『俺の所為や…不用意にアイツを1人にした…』
指先が冷たくなっていく。
冷えていく心に比例するようだ。
『うちの女子社員の1人が、彼女を倉庫に閉じ込めたんや。その時に頭をぶつけたらしくて…』
「怪我は…!?」
『頭部の裂傷だけで、傷も大きくない…』
「そう…ですか…」
今すぐにでも会いに行きたい。
しかし会いに行って良いのかも解らない。
今会った所で碧にとって柳は知らない人間だ。
余計に混乱させてしまうかもしれない。
「こんな事にならないように…アンタに頼んだんだ…なのに、ッ」
柳は唇を血が出るほど噛み締めた。
鉄臭い味が舌に広がる。
『…すまん…』
「くそ…ッ、」
謝られると、余計に虚しくなる。
柳も御堂が悪いのでは無い事は理解している。
しかし誰かに八つ当たりでもしないと心は保てなかった。
「すいません…取り乱した…。それで、碧は今どこですか…?」
『中村病院や。512号室…』
「分かりました…」
電話を切ってから柳は溜め息を吐き出し、頭を抱えた。
漸く手に入れたかけがえのない存在。
それは柳の掌をすり抜けて消えた。
まるで砂浜に建てた砂細工の城のように。
崩れる時は至極あっさり波に攫われて無くなる。
「碧…」
一目会わなければ納得はいかない。
柳は手元にあった荷物を掴むと、会社を後にした。
「じゃあ、俺そろそろ帰ります。」
「そっか…」
「寂しいッスか?」
極力明るく。
冗談めかして遊弦は振る舞う。
「馬ー鹿!誰が!」
「ははっ、その調子なら明日十分退院出来ますね、」
気を抜けば泣き出してしまいそうで。
あれほど迄に『好き』だと言っていた相手を。
何年も回り道して、やっと通じ合えた相手を。
他人の身勝手でいとも簡単に忘れ去ってしまい。
そんな風に弱りきった所につけ込もうとしていた後輩に、そうとは知らず縋っている。
碧のそんな様子を見れば、遊弦は何事も無かったかのように振る舞う事しか出来なかった。
そして、また自分の愚かしさを痛感するのだ。
「ありがとう、遊弦…」
「何スか、改まって…」
「遊弦と、ずっと一緒に居れたら…楽しいのかな、」
「!」
鼓動が高鳴る。
碧はじっと遊弦を見詰めていた。
「遊弦…、」
「あの…」
視線が反らせない。
動くことすら出来ない。
「私と、一緒に…いてくれる…?」
心臓が止まるかと思った。
目の前に居るのは確かに碧なのに。
一緒に居て欲しい、と言っているのも碧なのに。
まるで別人のようだ。
「碧さ…」
「遊弦…」
此処で頷けば、碧は遊弦のものになるだろう。
なのに、素直に頷けない。
戸惑う遊弦の視界の端で、影が動いた。
碧もそれに気づいたらしく、2人の視線が其方に向く。
「碧…」
ドアの所で佇んでいたのは柳だ。
何時から聞いていたのか、解らない。
しかしどちらにせよ今の状況は、柳にとって見たくないものだろう。
「どちら様…ですか?」
「ッ、」
残酷な言葉を、碧は投げつける。
柳の表情がますます強張った。
「あの…」
「昔の友達だよ、会って無かったからって忘れる事ねぇのに!」
「友、達…」
「丁度通りかかったから、覗いてみただけだ。悪かったな、彼氏との邪魔して。…じゃあな、」
明るくそうまくし立てると、柳は出て行った。
その後ろ姿が痛々しくて。
気付けば、遊弦は彼の背中を追っていた。