#21:汚れた感情
「記憶喪失!?」
「声が大きい!」
病院から戻ってきた御堂から聞かされた事実。
驚く遊弦の口を慌てて御堂が塞いだ。
他人に聞かれては不味いからだろう。
特に碧を陥れようとしている女子には。
有ること無いことを吹聴されるかもしれない。
其処まで思い至り、遊弦はこくこくと首を縦に振った。
「それで、碧さんは…?」
「今日は入院やって。記憶喪失やいうても一部だけやし、日常的には問題ないから明日には退院する予定やけど…」
「柳サンは…?」
御堂が首を横に振った。
まだ連絡をしていないということらしい。
「正直…何て伝えたらええか、解らん…」
確かに御堂のいうことは道理だ。
存在を忘れられたなんて、柳にとっては不幸なことこの上ない。
「取り敢えず、柳君には俺から連絡するから…」
「御堂さん…」
「こうなったんは俺の所為やからな…」
実際の所、藤森の身勝手な嫉妬が招いた悲劇だ。
御堂には何の責任も無い。
しかし遊弦がいくらそれをこの場で説いたとして、御堂は納得しないだろう。
それに、遊弦にだって思い当たる節が無いわけではない。
自分だって、御堂の立場になり得たかもしれないのだから。
「俺の事は…覚えてるんスか…?」
「あぁ…、忘れてるんは柳君の事だけや…」
不意に頭に浮かんだ想像。
このまま柳の存在を忘れてくれたら…。
そんな事を考えてしまった自分に吐き気がした。
碧の事を好きになればなるほど、自分の汚い部分が浮き彫りになる。
自分の身体の中にある沈みこんだ泥のような気持ちを自覚する度に情けなくなるのだ。
「お見舞い、とか大丈夫スかね…」
「あぁ。俺は諸々手続きせなあかんから、お前だけでも行っといで。
「ッス。」
手続きとは碧の休暇申請だろう。
確かに今は碧を藤森から離した方が賢明だ。
これ以上何かをされたら堪ったものではない。
書類作りの為に机に向かった御堂に頭を下げてから、遊弦は会社を後にした。
白いシーツに、白いカーテン。
如何にもな病室で、碧は佇んでいた。
怪我はそんなに酷くは無い筈なのに、1日とはいえ入院を強いられた事に何処か違和感を感じる。
今一つはっきりしない頭に残る1つの名前。
「柳…。」
御堂が電話を掛けようとしていた相手で。
碧の携帯電話に残る見覚えのない名前の主。
「柳、透耶…」
反芻してみても、感じるのは違和感ばかりで。
段々と気分が悪くなり、碧は目を閉じた。
「碧さん!」
「!、遊弦…!」
見覚えのある顔にホッとする。
悪戯っぽく笑うと、遊弦は碧のベッド脇にある椅子を引いて其処に座った。
「ドジですよね、足滑らせて頭打つなんて。」
「なッ、ドジって…!」
むくれてみせる碧に遊弦は思わず噴き出す。
佇む碧の手を握りその顔を覗き込んだ。
「心配したんですからね、」
「ごめん…」
「案外元気そうで安心しました。」
覗き込まれて碧の顔が赤く染まる。
その反応が意外だったのか遊弦の方が困ったかのように頭を掻いた。
「何か、碧さんにそんな反応されると照れるんですけど…」
「ぅ、あ…!ごめん!」
遊弦との距離感に碧は戸惑う。
「だって、…告白され、たばっかだし…」
「え…っ、」
「ごめん、ね…何か、慣れてなくてさ…」
今度は遊弦の方が少し戸惑った表情を浮かべた。
しかし、それも一瞬で直ぐに何時も通りの表情に戻る。
「変に意識される方が恥ずかしいッスよ。普通にして下さい。」
「う…うん…」
そうは言われても、やはり気恥ずかしさは拭いきれない。
碧は遊弦の視線から逃げるように顔を背けた。
だから、気付かなかった。
顔を背けた碧の後ろで、遊弦が浮かべていた苦しげに歪む表情に。