#20:失ったもの
藤森から受け取った鍵で、用具室のドアを開ける。
重い扉を開くと、黴臭い匂いが鼻をついた。
壁を探り、室内灯のスイッチを押す。
「葉山…?」
明るくなった室内。
その片隅に、ヒ-ルを履いた足が見えた。
慌てて御堂は駆け寄る。
「おい!?大丈夫か?!」
返事は無い。
抱き起こそうと、御堂は碧の首の後ろに手を差し入れた。
「…ッ、!」
ぬるり、とした感触に思わず手を離す。
離した右手に付いていたのは、紛れもなく血液。
嫌な想像が御堂の頭に浮かぶ。
過ぎる想像を頭を振って追い出し、ポケットに入っている携帯電話を取り出す。
震える手で御堂は交換台へと掛けた。
『はい、交換台です。』
「御堂や!怪我人が出た!至急、救急車の要請を頼む!」
『!、場所は?』
「B1、用具室や!」
『畏まりました!』
携帯電話を仕舞うと、碧の口元に耳を近付けた。
呼吸音はしっかりと聞こえている。
それに少し安堵を覚え、御堂は息を吐き出した。
しかし予断は許さない。
頭を打っているのは明らかなのだから、不用意に動かすのは危険だ。
守れなかった。
その事ばかりが御堂の頭を埋め尽くす。
碧がこうなってしまったのは、自分の所為だ。
嫉妬に狂う藤森を放置してしまった、自分の。
「ごめん…なぁ…、」
もっと早く決断すべきだったのだ。
碧から離れる事を。
何度も考えていた事だった。
嫉妬の対象になってしまった碧を救うには、離れるしかないと。
だが、出来なかった。
御堂自身が、碧から離れたくなかったから。
彼女が虐められるなら護れば良いと思っていたし、その自信もあった。
なのに、現実は違った。
御堂が思う以上に、女というのは強かで計算高い。
彼女達は御堂の目を盗んでは、碧を傷付け続けた。
「頭では、解っとったんやけどな…それでも、アカンねん…」
自分が碧から離れれば、解決する問題だった。
しかしそれは出来なかった。
「俺…は、それでも、お前に居って欲しかってん…!」
目の、
手の、届く場所に。
恋人じゃなくても構わない。
ただ、その存在の傍に居たかった。
「俺の、所為やッ、」
今は祈るしか出来ない。
彼女の無事を。
救急隊が到着するまで、御堂は動かない碧の手をずっと握っていた。
幸い軽い脳震盪だったらしく、碧の身体に異常は無かった。
家族と連絡が付かなかった為、代わりに大まかな説明を受ける。
大事をとって、今日1日は入院するようにと医師には言われた。
もとより、暫くは会社を休ませるつもりだったのでこの提案は好都合だった。
これ以上彼女を危険な目に合わせる訳にはいかない。
上司としての責任だけでなく、男としてもだ。
ふ、と御堂は最も連絡をとらなければならない相手を思い出した。
今の彼女に一番必要な人物。
碧の携帯電話を一緒に持ってきた鞄の中から探す。
そして、『柳』という名前を探し当てた。
番号を表示させ、通話ボタンを押そうとした時…
「御堂、さ…ん?」
「葉山…!」
目を覚ましたらしい碧が、ぼんやりと御堂を見つめていた。
「良かった…!お前用具室で頭打って倒れててんで!」
「用具室…」
「意識戻って良かったわ…取り敢えず柳君に来て貰うわな?」
「え…?」
不思議そうに碧が首を傾げた。
「柳って、誰ですか…?」
「は…?」
御堂の手から携帯電話が滑り落ちる。
碧の言葉の意味を理解出来なかった。
「柳って…?」
繰り返されて漸くその言葉の意味を理解する。
記憶喪失。
それが今の彼女を表すのに一番適した言葉だった。
事もあろうか彼女が忘れてしまったのは、一番忘れたくないであろう人物。
どうする事も出来ず、御堂は唯その場に立ち尽くしていた。