#2:一目惚れ
一目惚れだった。
入社式の時、中庭で独り佇む姿その横顔を見た瞬間。
身体中を電気が走り抜ける感覚。
目が逸らせなかった。
「遊弦ー!」
「あ…翔太、」
「何見てんの?」
一緒に入社式に来ていた友人である真田翔太に声を掛けられ、遊弦は意識を引き戻した。
声を掛けられ無ければ、そのままずっと彼女を眺めていたかもしれない。
「へぇー綺麗な人じゃん。」
「…名前…何だろな…」
「聞いて来いよ、」
「…ぁ、」
遊弦が動き出す前に彼女は立ち上がった。
そんな彼女に近づいてきたのは、先程の入社式で遊弦が配属される部署の副代表として挨拶していた男だった。
確か名は、御堂高志と言ったか…
もやもやと腹に溜まる暗い気持ち。
しかし、遊弦は状況をなるべく良い方へと考えるように切り替えた。
彼が彼女と話している。
それは、裏を返せば遊弦の配属される部署に彼女がいる可能性が高いという事。
そしてその考えは見事に的中した。
「初めまして、葉山碧です。君は?」
少し低めの落ち着いた声は思った以上に心地好かった。
大きな目が真っ直ぐ自分だけを捉えている。
そう考えるだけで、自分の鼓動が更に早くなるのを遊弦は感じた。
「ぇ、っと…?」
「!!すいません!!俺、秋月遊弦っていいます!!よろしくお願いします!」
思わず見惚れてしまっていた。
慌ててそれを取り繕おうと遊弦は深く頭を下げた。
若干声を張りすぎたが、それはご愛嬌だろう。
暫くの間があって、クスクスと碧が笑いだした。
急に恥ずかしくなって、一気に顔へ血が上っていく。
「…秋月君って、面白いね」
「え…」
「こんな大きな声で挨拶されたの初めて。」
遊弦は思わず顔を上げる。
口元に手を宛てて笑う碧を見て、更に顔が赤くなった。
ただ、単純に。
碧を『可愛い』と思ってしまった。
「ちなみに、後輩が出来るのも初めて。」
「そう…なんですか?」
彼女の『初めて』になれた事が、ただ嬉しかった。
「うん、だから此方こそよろしくね。」
はにかみながら、彼女はその細く白い手を差し出してきた。
手を握り返せば、またふわりと笑う。
遊弦はその笑顔に、完全に心を奪われた。
それから毎日、必死で仕事を覚えた。
少しでも碧に近づく為に。
1日でも早く彼女に認められたくて。
そのお陰か、遊弦は入社1ヶ月で他の同期を完全に追い抜いた。
とは言え、たった1ヶ月で碧と同じ仕事が出来るようになるわけも無い。
「葉山ー」
「はいっ!」
また、だ。
明らかに碧は御堂と行動を共にする事が多い。
仕事なのだから嫉妬するのはおかしい。
そんな事は百も承知しているが、どうしても心はざわつく。
「絵になりすぎなんだよ…」
ぼそり、と独りごちて遊弦は机に突っ伏した。
御堂は29歳にして遊弦の所属する課の課長だ。
仕事は勿論出来るし、何よりルックスが良い。
男の遊弦から見ても、だ。
女子社員の憧れの的でもある彼は常に碧を仕事のパートナーに選んでいた。
碧は他の女子社員の様にきゃあきゃあ騒ぐ事も無いし、仕事も出来るのだからそれも道理だろう。
しかし、やっぱり嫉妬してしまう。
自分には出来ない事をやってのける彼に…
「秋月!!」
「っわ!!」
軽い衝撃に遊弦は身を起こす。
其処には丸めた書類を手に持った御堂が立っていた。
どうやらそれで頭を叩かれた様だ。
「見すぎや。」
「へ?」
一瞬、何の事を言われているのか理解出来なかった。
「葉山や、葉山。」
「っ!?」
其処まで切り込んでこられて、遊弦の背中を嫌な汗が伝った。
しかし御堂はそれを気にした様子も無く続けていく。
「まぁ、好きになるんは良い事やけどな…」
「…すいません…」
「ただ…お前には無理やわ。」
御堂が笑う。
しかし、遊弦は愛想笑いすら出来なかった。
「好き好き言うだけやったら、アイツは落ちへんで?」
「御堂さんなら…落とせるっていうんですか?」
「お前よりは、可能性あると思うけど…?」
意地悪く笑う御堂に苛立ちを覚える。
しかし相手は上司。
遊弦はぐっと怒りを飲み込んだ。
「負けませんから…」
「ま、頑張り。ただ…アイツの心は…此処には無いから。」
「…?」
御堂の言葉に引っ掛かりはあったものの、この時の遊弦にそれを深読みする程の余裕は無かった。
遊弦が御堂の言葉の意味を知るのはそれから暫くしてからだった。