#12:彼女
瞼の向こう側から射し込む光で、徐々に意識が戻ってくる。
頭の中が何だかすっきりしていた。
「ん…」
最初に目に入ったのは、何時もより高い天井。
視界を巡らせれば、見慣れない家具。
(そういえば、私…柳の家に泊まったんだっけ…?)
理解した瞬間、昨日の事が思い出されてくる。
無理な仕事を押し付けられ、残業して。
何か食べようと思った時に、気を失って倒れたのだ。
その後、柳に助けられてそのまま…
「目、覚めたか?」
「柳…!ありがとう…」
「熱は、もう無いな…」
ひやりとした手が額に当たる。
とても安心する手だ。
「雑炊、食える?」
「えっ…」
「作ったから、食べてくれたら嬉しい。」
「うん…」
「じゃあ持ってくるな。」
キッチンの方へ歩いていく背中。
中学生の頃とは違う。
大人の男だ。
急に、置いていかれてしまったような気持ちになる。
胸の奥がちくり、と痛んだ。
(何で…今更…)
あの日、あの時に。
自分の柳に対する想いは区切りをつけた筈だ。
冷たい瞳に見据えられた時、自分が間違った選択をしたのだと気が付いた。
だから、謝りたかった。
現に謝れば、柳は許してくれたし昔と同じ様な『友人』という関係にも戻れた。
柳が成長しているのは当たり前だし、そんな事ぐらいで胸が痛むのはおかしい。
「セージ?」
その声に、鼓動が跳ねるのはおかしい。
「どうした?まだ…調子悪い?」
「!?ううん、大丈夫!」
「そっか?」
ベッドサイドのローテーブルに雑炊の入った土鍋を置くと、柳が心配そうな視線を向けてきた。
心拍数が余計に早くなり、顔にまで熱が昇っていく。
誤魔化すように、顔を俯け柳の視線から逃れた。
「…ッ、美味しそうだね、食べて良い?」
「あ…、あぁ。」
折角、また昔の様に仲の良い友達に戻れたのに。
柳を異性として見てしまえば、また元の木阿弥だ。
「食ったらさ、気分転換に出掛けねぇか?」
「…気分、転換?」
「仕事ばっかじゃ息が詰まるだろ?折角の休みなら、遊ぼうぜ?」
そう誘われるのは、何年ぶりだろう。
昔は良く二人で出掛けていた。
優しい笑顔を向けられて余計に胸が痛んだ。
友達としてで無ければ、見る事は叶わなかった笑顔。
それを失うのは、やはり耐えられ無い。
「良いの?」
「俺が誘ってんだから良いんだよ。」
「じゃあ…行く。」
ただ一緒に居たい。
それだけしか、今の碧には無かった。
「じゃあ着替えないとな。」
「シャワーも浴びたいし、一旦帰るよ。後で待ち合わせよ?」
「分かった。じゃあ準備出来たらメールして。迎えに行くから、」
「うん!じゃあありがとう!」
荷物は既に柳が纏めてくれていた。
紙袋に詰められた資料と鞄を抱えると、碧は玄関へと向かう。
パンプスに足を突っ込んだ所で、急に玄関のドアが反対から開けられた。
「え…」
「アンタ…は…」
立っていたのは碧と同い年くらいの女。
金色に近い髪色。
その髪は肩の上で綺麗に切りそろえられている。
ピンク色に縁取られた唇はぽってりとしていてアンバランスな幼さを感じさせていた。
「透耶の…新しい彼女?」
「私は…」
「アンタの所為で私は捨てられたって訳ね…」
女の目が憎々しげに細められる。
そして漸く、この女が別れたと言っていた柳の彼女であるのだと理解した。
「セージ?どうかし…」
「透耶…」
「詠美…」
「納得いかないから、来ちゃった。余計納得いかない事になっちゃったけど…」
そう言って彼女はちらりと碧を見やった。
完全に敵視されているようだ。
「あの…私、柳の彼女では…」
「無いって…?馬鹿にしてんの?」
彼女の形相が歪んだ。
今にも殴りかからんばかりだ。
慌てて柳が二人の間に、体を滑り込ませた。
「透耶が、何とも思って無い女子を家に入れると思ってるの?」
「詠美、もう良いだろ…?」
「私だって入った事無い…!!」
彼女であった筈の詠美がそう言って泣き崩れた。
しかし柳は抱き起こす事も無くそれを見下ろしている。
「…俺はもう好きじゃないんだ…こんな事されるのは迷惑だ。」
「透耶…!」
「帰ってくれ」
「嫌よ!透耶ッ!」
嫌がる詠美を無理矢理押し出し、柳がドアを閉める。
ドアの向こう側では、詠美がまだ叫んでいた。
柳の眉間に深く皺が刻まれる。
「セージ、ごめん…巻き込んで…」
「ううん…、私は大丈夫。」
「話つけてくるから、リビングで待ってて。」
そう言い残すと、柳はドアの外へ出て行ってしまった。
碧はずるずるとその場にへたり込む。
ドアが閉まる音が静かな部屋にやけに大きく響いた。