#10:虐め
「ねぇねぇ!昨日葉山さんと秋月君が、手繋いで歩いてるの見たんだけど!!」
「マジで!?」
「あー!私も喫茶店で見たよ!修羅場ってヤツ?相手がまたカッコイイんだよねー」
「やっぱり葉山さんって、面食いなんだねぇ」
翌日、出社した碧を待っていたのは好奇の眼差し。
御堂に構われている碧は、ただでさえ女子社員達には良く思われていない。
そんな状況で昨日の一件を見られたのでは、腹を空かせたハイエナに肉を与えたのと同じだ。
忽ち噂は広がり、見下したかのような視線が何処に行っても付きまとう。
「ねぇ、葉山さぁん!男を落とすテク教えてよー」
「やっぱ、媚びること?」
(頭…痛い…)
「男漁りにかまけてる暇あるなら、これもやっといてぇ?」
「は…?ちょ、藤森さ…」
「皆~葉山さんが、プレゼンの資料作りやってくれるって~」
「マジ?超助かる~」
リーダー格は碧と同期入社してきた藤森という女子社員。
その一言を皮切りに、女子社員達が口先だけの感謝を述べては碧の机に書類を次々積み重ねていく。
立派な虐めだ、と碧は肩を落とす。
何時もなら止めてくれる御堂は生憎明日まで出張だ。
遊弦も職員研修で神奈川へ行っている。
仮に二人が居た所で、その手を借りようとは思わないが…
諦めて碧は山積みになった資料へ、手を伸ばした。
『間もなく駐車場が閉まります。車を預けている方は…』
社内放送が流れる。
この放送が流れるという事は、時刻が20時になったという事だ。
何時間かぶりに碧は顔を上げた。
碧がいる場所以外は既に暗く、何だか別世界の様だ。
時間を認識すると、急にお腹が減りだす。
何かを口にしよう。
そう思い、立ち上がった時…
「あ…れ…?」
身体が鉛の様に思い。
意思に反して体は床へと吸い寄せられていく。
自分の身に何が起こっているのか、理解する間もなく碧の意識は暗転していった。
「ん…」
「…ぃ、おいっ!!」
「ぅ…やな…ぎ?」
見慣れない天井。
心配そうに眉をしかめた柳。
それを認識した瞬間、碧は飛び起きた。
「っ!?何で…?」
「携帯、かけたんだけど繋がらなくて…仕事かと思ってたんだけど余りに遅すぎるから…」
確かに10時を過ぎても連絡が取れないのは幾ら何でもおかしいだろう。
そう考えた柳は、昨日碧が持っていた資料に書かれていた製薬会社の名前を頼りに碧の居場所を突き止めたのだという。
「そしたら…お前、床に倒れてるし…」
「そ…なんだ…」
「お前の家解らないから、取り敢えず俺の家に連れてきた。」
見慣れない天井だと思っていたのは、そのせいか…
そうだとしたら、長居は出来ない。
彼女にこんな所を見られたら、誤解されてしまうに違いないから。
起き上がろうと腕に力を入れた…つもりが…
「あ…れ?」
体は持ち上がらなかった。
柳の手が伸びてきて、碧の肩を掴むとそのままベッドへと身体を押し倒した。
「熱、あんだよ。寝とけ…」
「でも…っ、彼女が…」
「いねぇよ…」
柳の言葉に碧は目を見開く。
昨日は確かに彼女が居る、と言っていたのに。
「昨日別れた。だから…お前が気に病む事は無いから、」
「柳…」
「そんな状態で帰す方が後味悪いし…」
碧の肩まで布団を引き上げると、柳はその横に腰を下ろした。まだ納得はいってないが体は動かない。
諦めて碧は瞼を下ろした。
「明日は仕事か?」
「ううん、休み。土日は基本休みだから…」
「そっか…なら良くなるまでゆっくりしてけよ。」
「でも仕事…」
「言うと思った。」
柳が優しく笑う。
昔に良く見た笑顔だ。
「やっといたよ。製品の資料作りだろ?」
「嘘…」
「これでもSEだから、パソコンは得意なんだよ。お前のメモ書き見ながら作ったし…」
柳が取り出したのは、碧が製品のパンフレットにメモ書きを施したもの。
碧の癖で、新製品のパンフレットを貰うとまず其処に伝えるべき事や特徴を走り書きするのだ。
そしてそのメモを見ながら資料作成をするのだが、パソコンが余り得意ではない碧は何時も其処で苦労していた。
確かに今回押し付けられた仕事も先に資料に目を通してメモ書きを取っていたのだが…
「新商品の心血管留置ステント、心血管拡張バルーンにワイヤー。それと、降圧剤に抗血小板薬の5種類。間違いないな?」
「…ぅ、ん…」
「じゃあ、全部出来てる。安心して寝ろ…」
柳の手が碧の頬を撫でる。
その冷たさが心地好くて、碧の意識はいつの間にか闇に引き込まれていった。