水曜日
自販機にて、またもやすれ違い。
風邪を引いた。熱を計ってみると39度もあった。無性に人肌が恋しくなったが、悲しいかな、俺にはやさしく看病をしてくれる彼女はいない。仕方なくベッドの隅に横たわっていたぶさいくな顔した犬のだきまくらにしがみついた。嗚呼、むなしいムナシイ。
高熱のせいでまともに機能してくれないからだで俺は自分のためにねぎを刻んでうどんを作り、自分のために押し入れから分厚い毛布を取り出してベッドにうずくまる。こんなとき、りんごの皮を剥いてくれる家庭的な彼女がいたらいいのに。邪念を振り払うために俺はだきまくらに綿が出そうなほど抱きついた。ムナシクナンカナイヨ!
目が覚めると、外はもう真っ暗だった。床に落ちていた腕時計を見るとちょうど8時を回ったところだ。毛布を頭から被ったままのそのそと冷蔵庫へ向かう。ひんやりとした冷蔵庫の中は空っぽだった。悲しすぎてくしゃみをしたら鼻水といっしょに涙も飛び出た。
夜風に乗って、金木犀のあまい香りが俺のからだを包み込む。毛玉のついただらんとしたスエットのまま、自宅の隣にあるアパートの前へふらふらと歩く。そこにぽつんとたっている自販機に用があるのだ。水分補給しないと干からびちまう、俺のからだが。
「売り切れ…」
自販機の前には先客がいた。熱のせいで視界がぼやけているため、はっきりとは見えないが人のかたちをしている。声だけ聞くと、女らしかった。…思わず女らしき人の下半身を確認する。よかった、足はある。夜に現れる幽霊的な何かだったらどうしようかと思った。そうだよな、こんないちご柄のファンシーなパジャマを着ているお嬢さんが幽霊なわけないよなあ。俺はこう見えて怖がり屋さんなんだ。
「なんで…」
そろりそろりと女のすぐそばまで歩いていくが、なにやらぶつぶつ言っている女は俺の存在に気付かない。人恋しいから気付いてほしいようなほしくないような複雑な気持ちである。
「なんで売り切れなんだよっ!」
うなだれていた顔をキッと上げて、女は自販機に向かって思い切り飛び蹴りをした。もう一度言おう。いちご柄パジャマのお嬢さんが何の罪もない無防備な自販機に蹴りを食らわせたのだ。熱がまたあがったような気がした。
「どうぞ」
「ど、どうも」
どうやら俺の存在には気付いていたらしく、女はすんなりと自販機から身を退いた。売り切れになっている飲み物をさりげなく確認すると…コーラといちごみるくが売り切れだった。多分いちご柄の彼女のことだから、かわいらしいいちごみるくを飲みたかったのだろうなあ。
「コーラ…飲みたかった…」
コーラなのかよ。
俺の隣にいる女の印象がなかなかさだまらないが、気持ちを切り替えて本来の目的である飲み物を買うことにする。手に握り締めていた生暖かくなった小銭を入れようとしたら、横からにょきりと腕が伸びてきて先にお金を入れられた。もちろんここには俺といちご柄パジャマしかいないから犯人は分かっている。え、いじめ?
そして、女は迷うことなくホットレモンのボタンを押した。
「奢りです」
「え」
「ひとにやさしくされたいと思うときほど、ひとにやさしくしたくなるんです」
「は?」
「風邪のときはホッとレモンがいいですよ。ビタミンCも摂取できますし、からだを温めてくれます」
熱で朦朧とする俺の頭の上に器用にホットレモンを置いて、女はふらりとアパートに戻っていった。どうやら彼女は俺の家のお隣さんだったらしい。
「…今度、コーラ奢ります」
偶然に会うことができればの話だけれど。
ホットレモンでからだも心もあたたくしてもらったその日の夜。聞こえてきたお馴染みの音痴なメロディーは、いつもよりなんだかか細くて今にも消えてしまいそうだった。
あったかい飲み物が喉を通っていく感触が好きです。こころがぽわっとします。