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「←」 山本健二の場合

 コーンカーンキーンコッ


 チャイムの音で目が覚めた。チャイムの音色がおかしい。スピーカーが壊れたのかな…。やれやれ、いよいよこのボロ校舎にふさわしいチャイムになってしまったみたいだ。校舎はボロい癖に一学年200人以上もいて、2年生は6クラスもある。僕の2年1組は長い廊下の端にある。

「ふわぁぁあ」

 僕は自分の席で伸びをした。8:55から9:00は、朝のホームルームが終わって授業が始まるまでのわずかな休み時間だ。授業が始まる気配が無いので、今のチャイムは……8:55のほうだと判断する。……時計が止まっているのは、一昨日、クラスメイトの中学生というより元小学生と呼ぶべき連中が教室でやっていたキャッチボールに巻き込まれて時を刻むのをやめてしまったからだ。

 その時突然、教室の空気が変わったのを感じた。シーンと静まり返る。何だ? 見回すと、クラス中が廊下側を向いていた。しかし廊下側の扉は閉まっているし窓もスリガラスなので見えない。何かあったんだろうか。

 数秒後、遠く廊下の向こうから叫び声が聞こえてきた。女子の叫び声だ。だんだん近づいてくる。叫び声と一緒に、こちら1組の方向へと廊下を走ってくる足音が聞こえる。何を叫んでいるのだろう。アーーーーと聞こえるだけで、何と言っているのかわからない。ドタドタドタと足音がして、この教室の前で止まった。

 今の時間、廊下に出る生徒はほとんどいない筈だ。僕は席を立って、おそるおそる廊下側の後ろのドアに近づいた。

 さっきまで注目していた教室中の皆が、誰も僕のほうを見ないので変に思った。いやそれどころか、もう何も無かったかのように、おしゃべりを再開している。あ、もしかして厄介なことに関わりたくないってこと? しまった。自分がうっかり貧乏くじを引いた気がしたが、立ち上がったからには仕方が無い。廊下の様子を見るため、おそるおそるドアを開ける。

「おわ」

 廊下に出て見回すとすぐ左、女子が一人しゃがみこんでいた。顔を覆っている。さっきの足音と、叫び声の主か。一体どこのクラスだろう? 上履きの色からすると同じ2年生のようだが。僕が近づいたのに気づいたのか、顔を上げて立ち上がった。


 って、なんだ、絵美じゃないか。2年6組、春日絵美だ。


 絵美とは幼馴染だ。結構長いつきあいで、小学校、中学校と同じクラスになったり違うクラスになったりしながら、なんだかんだと縁がある。家も近い。

 おいおい、なんか、顔が真っ赤だ。どうしたんだよ大声出してと言おうとしたが、ぎょっとして声がかけられなかった。えらく真剣な表情で僕を見ていて、どことなく喜んでるような雰囲気も感じさせるのは何だろう。だが目に涙が浮かんでいる。何かあったんだろうか。僕はうろたえる。一体どうしたんだこいつ。こんな絵美は初めて見た。僕はドキドキする。

 絵美は、小学校の頃はオテンバというかワンパクというか、男子に混じって遊び、時に男子を泣かせるようなやつだった。僕も泣かされていた一人だ。でもいつの間にか男子と遊ばなくなり、気づけばすっかり女子になってしまっていて、中学に入ってからはだんだん僕と話すことも少なくなった。

 そういえばこうしてみると絵美は案外可愛いかもしれないなと思った。時々とっぴな行動で人を驚かせるあたり、中身は小学生だった頃とあんまり変わってない気がするが、見た目はすっかり女の子っぽくなった。ろくに話もしなくなって半年経つが、こうも変わっているとは。男子三日会わざればなんとやら、だ。女子だが。

「……おいーー」

 驚きと困惑と心配の末、僕の口からはなんだかマヌケな挨拶が出た。その途端、絵美の表情が急に険しくなった。幸せそうな空気が消える。責めるような、問い詰めるような顔をしている。また何も言えなくなってしまった。なんだ、なんかマズイこと言ったか? そんなに睨まないでくれ。しかもまた泣きそうだし。勘弁してくれ。一体どうなってるんだ。

 絵美が口を開いた。

「おいぇとぅ…あいきゅうつっ」

 ……外国語? 叫ぶように言ったわりに、さっぱり何と言っているのかわからない。

「え?」

 聞き返した。……だんだんと絵美の表情が平静に戻っていく。顔の赤さも少し収まってきた。良かった。随分テンパっていたみたいだが、どうしたんだろう。他の誰かを呼び出そうとする様子もないので、用があるのは僕になのだろうか。

 絵美がまた何か叫んだ。今度も、残念ながらよく聞き取れない。いきうす? いくす? そんな感じに聞こえたような気がする。

「ん?」

 絵美は日本語を忘れてしまったのだろうか。僕は目をパチクリさせてそう反応するのが精一杯だった。絵美もまた不安そうで、胸に手を当てている。足が震えているのがわかる。

 このテンパった絵美は、そういえば見たことがあるな、と思った。

 小学校の授業参観の時だった。絵美は普段の授業では先生に指されても平気だし、皆の前で発言することも恐れないが、その時だけは違った。「私の家族」がテーマの作文、それを指された生徒が読む。絵美は父親のことを書いていたが、その父親が参観に来ていた。その時の絵美のシドロモドロっぷりは尋常じゃなかった。つっかえる読み飛ばすは当たり前、最後のほうは日本語にさえ聞こえなかった。

 今の、外国語にしか聞こえないセリフも、あの時と同じかもしれない。絵美が今、こうも緊張しているのがなぜかわからないが。

 絵美がひきつった顔で後ずさり始めた。僕から遠ざかるように後ろ向きに歩く。慌てて「おい」と声をかけた。絵美を止めようと手を伸ばそうとして……でも、肩の高さに手を挙げたかたちでなんとなく僕は止まってしまった。

 一体なんだったんだろう。絵美が何を叫んでいたのかはわからないが、2年1組まで来たのは僕に会いに来た……のだろう。何か話したいことがあって? でもうまく話せなかったらしい。で、話すのを諦めてしまった。しかしわからないことだらけだ。

 とにかく、今は引き止めてもしょうがない気がした。絵美が何をテンパっているのかわからないが、今は話を聞ける状態じゃなさそうだ。放課後には落ち着いているだろう。その時、話を聞くことにしよう。

 絵美はずっと目をそらさない。僕の顔から視線を外さずに後ろ向きに歩いていく。なんだか、僕も目を離せなかった。お互い見つめあったままになってしまう。

 もしかして、絵美は何か困ったことがあって、僕に相談しようとしたのかもしれない。もう半年もろくに話していなかったのに、僕を頼ってきてくれたんだとしたら嬉しかった。

 僕はふと、自分が絵美を女の子として意識していることと、守ってあげたいと思っていることの両方に気がついて、驚いた。あの絵美を。男の子たちよりも強く、誰にも負けなかった絵美を。泣いてばかりだった僕が、か。へえ……。

 いいよ、守ろう。僕は絵美の助けになる。

 僕は、絵美に笑いかけた。


 すると、絵美があっかんべーをした。


 ……え? 僕は固まる。どういうことだ。あかんべーだと? 

 僕はしばらく絵美の心を探ろうと見つめていたが、諦めて教室に引っ込んだ。

 なんだ? あれ。……もしかして、僕に会いに来たわけじゃなかったのだろうか。もしかして、誰か他のやつを呼び出してくれ、という話だったんだろうか。僕は困惑する。

 まったく。やってくれる。あいつは昔っから気まぐれで周りを振り回してばかりで、少しも変わってないな。

 絵美の気持ちがわからない。

 そして困ったことに、僕はすっかり絵美を好きになってしまっているらしかった。


 コーンカーンコーンキッ


 また、変な音のチャイムが鳴った。一時限目だ。悩ましい一日が始まる。

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