『たんぽぽ』
『たんぽぽ』
いつも道端のたんぽぽの花を見つめている少女。学校が終わると一人で帰り、畔に生えているたんぽぽを眺めるのが大好きです。毎日毎日 たんぽぽが少しずつ大きくなっていくのがとっても楽しみにしています。地面にしっかり張り付いて、しっかり生きている様がとっても、力強くてのり子のお気に入りの植物です。
そんなある日のこと、いつものように学校帰りに、風に腰をかがめて、たんぽぽを眺めていると、地面に這うように伸ばした葉の中央に、黄色い花が咲いていました。のり子の大好きな花です。とっても嬉しくなって、たんぽぽに話しかけながら今日は眺めていました。
「そんなに たんぽぽが好きなのかい」
不意に 後ろの方から男の人の声が聞こえました。
のり子はびっくりして後ろを振り向きました。そこには、違う学校の制服を着た、のり子と同じぐらいの年齢の青年が立っていました。運動部にいそうな、少し陽に焼けた、優しそうな顔がこちらを見つめています。のり子は少しドキドキしましたが、
「とっても大好きです」と少し照れながら答えました。
青年は、照れたような笑いを浮かべながら、
「へーそうなんだね。ここは日当たりもいいし、優しい風が吹いてくるから、とっても気持ちがいい。」
そんなことを言いました。
「まるで たんぽぽの気持ちがわかるみたいですね」
のり子は、青年の言葉に クスクス笑いながら 答えました。
「いつも たんぽぽを見つめているね。明日もまた会えるかな」
そんなことを言うと 青年は夕日の方に向かって歩いて行ってしまいました。
のり子は、夕日に照らされたせいか、顔 赤らめて、しばらく彼が遠ざかっていく様子を眺めて眺めていました。
「今日も会えたね。また、たんぽぽを眺めてるの」
それからというもの、学校帰りに河川敷の畦に寄って、たんぽぽを眺めることに加えて、毎日青年と少しだけ おしゃべりすることが日課になっていきました。
たんぽぽは、ちょっとぐらい 踏まれたって平気なことや。意外と根っこが伸びてることだとか、地上に見えてる部分を取られたって、根っこが平気なら また伸びてくることができるんだよ とか。たんぽぽ についていろんなことを教えてもらいました。
青年は、優しい微笑みを絶やすことがなく、いつのまにか夕陽に照らされた、横顔にのり子は恋心を抱くようになります。
「本当に、詳しいんですね。明日もまた会えますか」
のり子は 思わず 聞いてしまいました。
「もちろん また会いに来るよ」
青年は、夕日が反射した、赤焼けした顔で、満面の笑みで答えました。
夕日の方に帰る 青年の後ろ姿に向かってのり子は、声をかけました。急に名前を聞いていなかったことを思い出したのです。
「私は、のり子、お名前を教えてください」思い切ってのり子は 聞いてみました。
「え 、名前か、そうだな、えっと それじゃあ、ま・・・うん、マサトで」
青年はちょっと変わった答え方をしました。
「自分の名前じゃないですか 変なの、マサトさんですね。またね」
次の日 のり子は学校でニヤニヤしていました。マサトさんか、かっこいいよな。今日もまた会えるかな。そんなことを 休み時間に考えていました。
離れたところからその様子を見ていた、クラスメイトの女の子たちが話しています。
「おい、最近あの根暗ぼっちのやつなんか ニヤニヤしてるよな」
「彼氏でもできたんじゃねえの」
「ありえねぇ、でも最近 学校終わったら急いでどっか行ってるよな」
「ついてってみようか、イケメンの彼氏だったら奪っちゃおう」
離れたところでそんな不穏な会話があることを、のり子は全く気づきません。だって頭の中は 今日の畔道であの青年に会うことで頭がいっぱいですから。
その日の放課後も、のり子は急いで畔の方に向かいました。まだ青年は来ていません、ちょっと 急ぎすぎちゃったのかな。のり子はそんなこと思いながら畔のなかに腰をかがめ、いつものように 黄色い花をつけているたんぽぽを見つめていました。
「いたいた、のり子ちゃんだっけ 来てたね」不意に青年の声が聞こえました。
のり子は急いで立ち上がり 振り返り
「マサトさん」
のり子は、彼に名前を呼ばれたことと、彼の名前が呼べることが嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、うつむいて応えました。
彼との会話が、夕焼けの空の中で とっても輝いていました。
「のり子のやついたよ」
「本当だあんなところに一人で立ち上がって何やってるんだろう」
「やっぱり どこにもイケメンなんていないじゃない」
「あんな ぼっちに彼氏 なんかできるわけないよね」
そんなことを言いながら、クラスメイトの女の子たちが、のり子の方に近づいてきます。そして今のり子が屈んで、見つめていた たんぽぽの上を無造作に、のり子を押しのけて足で踏んで行きます。
「やめて」
のり子は思わず声を出しました。
マサトはその声と同時に、のり子を抱き寄せ、倒れないように 引き留めました。
「こんなところで何やってんだよ」
「何にもねえし、つまんねえな、みんな 行こうぜ」
「こんなやつにイケメン彼氏 なんかできるわけねえよな、逆ナンでも行こうよ」
クラスメイトの女の子たちは去っていきました。
のり子は抱き寄せられて、顔が真っ赤になっていますが、どうしてマサトのことがわからなかったんだろうかと、 不思議な気持ちになっています。
それでもそのことを、のり子は、マサトに聞く気にはなりませんでした。聞いてしまったら・・・、ついそんなことが頭がよぎってしまいました。
マサトは、胸からのり子を離すと、
「そろそろ帰ろうか、また明日来るから」
空は少し紫がかってきました。
それからも毎日、畔の中でのり子とマサトは、放課後のひと時を 言葉を交わしていました。たんぽぽは花が終わり、茎が伸びてたんぽぽの綿毛を作る準備をしています。
「マサト背が伸びた?」
のり子は聞きました。このくらいの男の子って成長が早いものなのかな。のり子はそんなことを考えていました。
しかし 会うたびにマサトの身長は伸び成長は止まりません。次の日も 次の日も どんどん マサトの背が高くなっていきます。のり子の身長は150cm くらい。のり子の頭がマサトのお腹くらいしかありません。マサトは3mくらいの身長があるのかな。のり子は、マサトにそのことを聞きたかったけど、どうしても聞けません。聞いてしまったら・・・
それからものり子は、河川敷に続く畦に放課後になるとマサトに会いに行きました。今日はまだマサトは来ていません。たんぽぽは、のびた茎の上に 綿帽子をきれいにつけています。ふっと息を吹きかけたら、種が飛んでいきそうです。
のり子がたんぽぽを見つめていると、頭の上の方から声がしました。
「来ていたんだね。今日は のり子に、話したいことがあるんだ」
のり子は胸が高鳴りました。
「今度、つよい風が吹いたら、お別れなんだ」
マサトは不意にそう言いました。
のり子は、もしかしてと想像はしていたけど、その言葉を聞いてしまうと、胸が張り裂けそうに苦しくなってしまいました。
「嫌」
のり子は、それだけ言うのがやっとでした。
夕暮れの川沿いの畔道には、川が流れる静かな音以外は何もありませんでした。ただ夕焼けが水面に輝いていました。
しばらくの沈黙の後。
「きっとまだ何日かは会えるよ」
マサトはそう答えました。
のり子は言葉が出なくて、ただ涙をこらえて 下を向いていました。大好きなマサトがいなくなる。やっぱりマサトは・・・
「またいつもの時間に来るね、今日は帰るよ」
そう言うとマサトはいつものように、夕日に向かって歩いて行きました。
のり子が家に帰ってから父と母と一緒にご飯を食べてる時に、テレビで 天気予報をやっていました。
……今日の深夜から、急激な低気圧の発達に伴い、急に天候が変わるところがある模様です。急な雨や 突風に注意してください……
のり子はその天気予報を聞くと、息ができなくなるほどの不安に、胸が締め付けられました。顔が真っ青になって、ガタガタと手が震えています。
「どうしよう」
一緒に食事をとっていた父と母が、びっくりして、のり子を見つめます。
「私行かなきゃ、もう会えなくなっちゃう」
のり子は、そう言い、ふらふらと立ち上がって、玄関の方に向かいました。
「待ちなさい のり子」
母が急いで呼び止めます。
「あなたも ぼんやりしてないで、のり子を止めて」
「いやまあそんな時期なんだね、きっと・・・」
「まったく、私の時だって・・・、のり子待ちなさい」
のり子は精気がなくなった顔で玄関から出て行こうとしています。
母はのり子の肩を掴んで、母の方に向かせます。そしてしっかり目を見て、言いました。
「落ち着いてお母さんに話してごらん」
のり子は、母の目と自分の目を合わせ、やっと正気に戻ってきました。
「のり子お母さんに話しなさい、行かなければいけないところがあるならお母さんが車で連れてってあげるから」
「お母さん助けて」
のり子の両の目から涙がいっぱい 溢れてきました。
「お母さん私行かなきゃいけない」
「どこに行けばいいの、お母さんが連れてってあげるから、とにかく落ち着いてね」
「河川敷のたんぽぽの道」
「あなた お留守番 お願いね、のり子とちょっと出かけてくるわ」
のり子のお母さんは、のり子を、車に乗せると、のり子を諭すように 話し始めました。
「お母さんもね。お父さんが、突然いなくなったことがあるんだよ。しかも2年も。本当に人生が終わったと感じたものだったわ」
「でもね、 のり子。お互いが本当に繋がっていたら、きっとまた出会える。お母さんはそう思ってるのよ」
のり子は、お母さんは、何も言わないのに私の心が分かってくれてるのだと少しだけ心が落ち着きました。
車は、川沿いのたんぽぽが咲いている畔のところへ来ました。外は真っ暗です。この暗さが、今にも風を吹かせようと、力をためているように、のり子には 感じられました。
「お母さん止めて、ここ」
車のヘッドライトに照らされたそこには 3mを超える身長のマサトが空を見上げて立っていました。
「彼に用があるのね、しっかり あなたの気持ちを伝えておいで。のり子の今の熱い気持ちを信じて。いってらっしゃい」
「お母さんにも見えるの?」
「早く行きなさい。少し離れたところにいるからね」
「お願い、もう少しだけ、風を吹かせるのを待ってください」
車を降りるとのり子はそのように祈りながら、マサトの元へ近づいていきました。マサトは、綿帽子のようなものを、頭にかぶり、空の彼方を見つめています。
自分よりも、はるかに背の高いマサトに向かって、意を決して思いのたけを声に出しました。
「マサトさん、 好きです。 行かないで」
マサトは、声がした のり子の方をゆっくり振り返り下へと視線を落としました。そして、いつもの 優しい顔と、切なくて悲しい顔と、不思議に混ざったような顔で、のり子を見つめました。
「風が吹きそうなんだ・・・のり子・・・」
マサトは ポツリとそう つぶやき、細くて長い腕を、のり子の方に伸ばしました。
のり子もそれに応えるように、一生懸命 手を伸ばして、マサトの手を握ろうとしました。
しかしそれよりも早く、春の終わりの強い風が吹き、のり子の髪を乱し、のり子の伸ばした手を追い越して、マサトの体をたんぽぽの種に変えて、吹き飛ばしてしまいました。闇の中に吸い込まれるように、マサトの体は消えてしまいました。
のり子の手は、空をさまよったまま、そして茫然と立ち尽くしてしまいました。
真っ暗な闇夜の中に、無数の消えていくたんぽぽの種と、遠くに川の流れる音だけが響いていました。
のり子のひとりぼっちの学校生活が以前の通りに戻りました。まるでマサトとの会話が、明け方の夢のような気がします。
そんな生活を続けながら夏休みが過ぎて、2学期が始まろうとしています。
2学期最初の学校。のり子は窓際の席に座って、ぼんやりと外を眺めています。
急にクラス中が騒がしくなりました。
「イケメンだ」
「うちの部活に来たら絶対 即戦力だよ」
「かっこいいね どこから来たのかしら」
クラス中から そんな声が上がってきます。
でも のり子は上の空です。まだ、マサトとの思い出が断ち切れていません。つい昨日の事のような気がしています。
先生の大きな声が響きます。
「みんな静かにして、新しく転校して来た、野ノ花マサトくんです。みんな仲良くするように」
のり子は、ドキッとして先生の隣に立っている、青年に視線を合わせました。そこにはマサトが立っていました。3mのマサトではなく、一番最初に出会った時のマサトでした。
マサトはのり子と目が合うと、クラスの他のみんなにはわからないように、のり子に小さく手を上げました。
窓の外は、青く澄み渡った空が広がっていました。
おしまい




