第七章:戦い
その瞬間、全身の血が凍りついた。――どうして、俺の名前を知っている?――なぜ、この家にいることが分かる?彼らは、自分を目当てに来たのだ。考える暇はなかった。――隠れなければ。
アレックスはキッチンへ駆け込んだ。引き出しを片っ端から開け、武器になりそうなものを探す。何でもいい、身を守れるものを。そのとき、あのナイフが目に入った。召喚の儀式に使った、あの刃。彼はそれを掴み、階段脇にある小さな物置へ身を潜めた。そこからは、玄関も、階段の段差も、はっきりと見渡せた。いざという時、逃げ道にもなる。――呼吸を抑えろ。
息を整えなければ、音で気づかれてしまう。恐怖は限界まで高まっていた。
自分の身の安全だけではない。――ルーベン。完全に無防備な友の存在が、胸を締めつけた。今、この瞬間の使命はただ一つ。生き延びること。そして、何があっても、ルーベンを守ること。――覚悟を決めろ。アレックスは、そう自分に言い聞かせた。扉は、轟音とともに開いた。――いや、破壊されたのだ。二つの影が、ゆっくりと家の中へ入り込んできた。その動きは落ち着いていて、どこか穏やかにさえ見えた。――なのに、なぜこんなことをする?女はキッチンの方へ向かい、室内を確認し始めた。男は、リビングに残った。
「アレックス……どこだ?話がしたいんだ。会えなくて寂しかったよ」男の声は、異様なほど親しげだった。
「もう少し遊ぼうじゃないか。君は、ひどい悪戯をしてくれたね。友達や家族の記憶を消すなんて……ずいぶん卑怯だ」楽しげに、続ける。
「さあ、これから誰と遊べばいい?……本当に困ってるんだよ」その言葉を聞いた瞬間、アレックスの背筋に冷たいものが走った。その話し方。
その内容。――あり得るのは、一人だけ。マニン。彼は、そこに“存在して”はいなかった。だが、精神としては確かにいた。何らかの方法で、他者の意識を支配し、乗っ取っている。どこにでも、誰の中にでも、入り込める。
――じゃあ、誰を信じればいい?この世界の、すべての人間が敵になり得る。その事実が、アレックスを震え上がらせた。自分の身の危険以上に恐ろしかったのは――ルーベンの存在。そして、もし今この瞬間にセレーネが戻ってきたら。捕らえられるか、――それとも、殺されるか。アレックスは、必死に音を立てまいとした。だが、緊張のあまり、肘が棚にぶつかった。――ガン。痛みが走った。だが、それ以上に致命的だった。男は即座に反応した。音のした方向へ、ゆっくりと歩み寄ってくる。――物置だ。アレックスは悟った。逃げ道は、もうない。罠だった。戦うしかない。守るしかない。――生きるために。――ルーベンを守るために。彼はナイフを強く握り締め、息を殺した。覚悟を決めるしかなかった。
「アレックス……そこにいるのは分かっている。もう終わりだ。大人しく降参しろ」男は、すでに扉のすぐ向こうにいた。半開きのドアノブに手を掛け、引いた。扉が開く。――血。――血だらけだった。凄まじい悲鳴。男は床に倒れていた。首にはナイフが深く突き刺さり、動脈は断ち切られていた。アレックスは、敵を倒した。助かったのだ。――少なくとも、今は。だが、すべてを聞いていた女が、こちらへ向かってきていた。アレックスは階段を駆け上がり、友のいる部屋へ急いだ。慌てていたため、男の首からナイフを抜く余裕はなかった。――無防備だ。彼は主寝室に飛び込み、鍵を掛けた。ルーベンをベッドから抱き上げ、大きなクローゼットの中へ隠す。自分が敗れたとき、少しでも守れるように。――武器もない。――どうすればいい?廊下から足音が聞こえた。扉の前で止まる。床の隙間から、二つの影が見えた。――来る。今、扉が開く。そして、自分は彼女を殺さなければならない。――だが、何で?
「まだ、俺を殺していないぞ……アレックス」男の声だった。――そんなはずはない。――確かに、殺した。さっきまで、床で血を流していたはずだ。
状況は、想像以上に最悪だった。もう、負けは避けられない。アレックスは、そう確信した。――ドンッ!激しい音とともに、扉が蹴破られた。終わりだった。女の隣には、男が立っていた。首には、今なおナイフが突き刺さったまま。それでも、彼は生きていた。二人は、歪んだ笑みを浮かべていた。
「さあ、決着の時よ。世界に別れを告げなさい。今日は、あなたの最期の日」二人は、一気に距離を詰めた。アレックスは渾身の力で右のフックを放ち、女を床に叩きつけた。だが、彼女はすぐに立ち上がる。その隙を突き、男がアレックスの喉を掴んだ。まるで羽毛でも持ち上げるかのように、軽々と。息ができない。視界が暗くなる。頭に浮かんだのは、ルーベンのことだけだった。自分が死んだら、彼はどうなる?――何をされる?その瞬間だった。アレックスの身体から、強烈な白い光が溢れ出した。星のように、眩く。あまりの光に、二人のエテルノの手下は距離を取った。驚いたのだ。そして、それはすなわち――マニン自身も。光はさらに強まり、やがて、ゆっくりと収束していった。再び姿を現したアレックスは、――純粋な光そのものとなっていた。瞳は完全に白く、眩しく輝き、髪は炎のように揺らめいていた。彼は、微笑んでいた。男と女は、その笑みを理解した。――死が、迫っている。次の瞬間、天上的な光の奔流が、二人を包み込み、部屋全体を飲み込んだ。残ったのは、――灰だけ。
完全に、焼き尽くされていた。アレックスは、床に崩れ落ち、意識を失った。




