そのボタン、押すべからず?
「……帰りたい」
「何を弱気なことを! まだ入り口から半刻(一時間)も経っておりませぬぞ!」
松明の炎が揺れる薄暗い坑道。
私のぼやきは、湿った岩肌に吸い込まれて消えた。
魔銀山の廃坑は、想像していたよりもずっと不気味だった。足元はぬかるんでいるし、どこからか風の唸るような音が聞こえるし、天井からは謎の雫が垂れてくる。
「いや、だってさ柴さん。ここ、絶対出るよ。お化け的な何かが」
「出たら某が斬りますゆえ、ご安心を」
「斬れるの? お化けって物理攻撃効くの?」
「気合で斬れます」
「脳筋だなぁ……」
ぶつくさ言いながら進むこと更に数十分。
不意に、坑道が少し開けた場所に出た。かつての採掘場の中継地点だろうか。
岩壁のあちこちに、蛍のような淡い青色の光が点滅している。
「ほう、こりゃあ……」
柴さんが松明を近づける。
「魔銀の欠片でございますな。純度が低すぎて売り物にはなりませぬが、こうして集まると幻想的なもので」
「へぇ、これが魔銀……綺麗だなぁ」
私がその光る壁に手を触れた、その瞬間だった。
『ピロリン♪』
「ん?」
私の脳内……いや、目の前に、唐突に間の抜けた電子音が鳴り響いた。
「龍左衛門様? いかがなされました?」
柴さんが怪訝な顔をする。どうやら彼には聞こえていないらしい。
私の視界には、空中に浮かぶ半透明の「板」のようなものが出現していた。
そこには、須儀神宮の鑑定書で見たような、しかしもっと整然とした幾何学模様と、光る文字が浮かんでいる。
【周囲に高純度の魔力反応を確認】
【魔力充填率……120%】
【条件クリア:初期機体の召喚が可能】
「う、うわわわっ!?」
私は思わず尻餅をついた。文字が、空中に浮いている!
しかも、私の目の動きに合わせてついてくる!
「り、龍左衛門様! 敵襲ですかッ!?」
柴さんが即座に抜刀し、周囲を睨みつける。
「違う! 違うんだ柴さん! 見えないのか、これ!」
「は? これ、とは?」
「ほら、俺の目の前! 文字が浮いてるんだよ! 『召喚が可能』って書いてある!」
柴さんは目をぱちくりとさせ、何もない空間と私の顔を交互に見た。
「……文字、でございますか? 某には何も見えませぬが……はっ! まさか、それが龍左衛門様の須儀琉、【オートマタ】の力!?」
「た、多分そうだ!」
私は立ち上がり、興奮に震えた。
これだ。これこそが、私が待ち望んでいた「特別な力」だ!
今まで「役立たず」だの「昼行灯」だのと馬鹿にされてきたが、ついにこの時が来たのだ。
剣術なんて汗臭いことをしなくても、この「召喚」とやらを使えば、きっと凄い何かが現れて、私の代わりに働いてくれるに違いない!
視界の板には、いつの間にか大きな【召喚】という文字と、その下に【承認】と書かれた四角い図形が点滅していた。
「すげぇ……本当に何か呼び出せるみたいだぞ!」
私はニヤニヤが止まらない。
「柴さん、見てろよ! 今、俺の真の力が目覚める!」
「お、お待ちくだされ龍左衛門様!」
柴さんが慌てて私の肩を掴もうとした。
「得体が知れませぬ! 召喚とは何を呼び出すのです? 魔物やもしれませぬぞ! 一度屋敷に戻り、文献などを調べてからでも……」
「ええい、そんな悠長なこと言ってられるか!」
私は柴さんの制止を振り払った。
目の前には、私を呼んでいる輝くボタンがある。
男なら、押すしかないだろう! このボタンを!
「よく見極めてから……!」
「うるさーい! 習うより慣れろだ! ポチッとな!!」
私は人差し指を突き出し、空中に浮かぶ【承認】の文字を勢いよく突いた。
カチッ。
指先に、あるはずのない硬質な感触が伝わる。
直後――。
『承認。機体ノ召喚ヲ開始』
無機質な声が頭に響くと同時に、私の足元にあった地面が、いや、坑道全体が、目も眩むような真っ白な光に包まれた。
「ぬわああああっ!?」
「り、龍左衛門様ァァァーーッ!!」
柴さんの絶叫と私の悲鳴が重なり、視界が白一色に染まる。
やはり、調子に乗って確認もせずに押したのは間違いだったかもしれない――。
薄れゆく意識の中で、私はそう後悔していた。




