逃げるは恥だが役に立つ、のか?
「龍左衛門様、そこ! 脇が甘い! 踏み込みが浅い! 気合が足りぬ!」
「ぶべらっ!」
乾いた音が庭に響き、私は盛大に土の上を転がった。
柴さんが家臣となってからというもの、なぜか私の生活は「のんびりスローライフ」から「地獄の剣術合宿」へと変貌を遂げていた。
「え~、もう無理だよ柴さん……。今日で三日目だよ? 三日坊主って言葉知ってる?」
「何を仰せですか! 御騨家再興のためには、当主たる龍左衛門様が最低限、御自身の身を守れるようにならねば!」
「俺の須儀琉は【オートマタ】だよ? 多分、戦う系じゃないと思うんだ」
「須儀琉に頼るなと、あれほど! さあ、もう一本!」
この柴さん、ただの忠臣ではない。かつて御騨家に仕えていた頃から「歩く攻城兵器」などと呼ばれた荒武者だったらしいが、家が没落した後は諸国を漫遊し、武者修行までしてきたという。
ただでさえ強かった益荒男が、さらにアップデートされて帰ってきたのだ。スペック過剰にも程がある。
しかも、この屋敷の庭は低い生垣があるだけで、道路から丸見えなのだ。
「おーい見ろよ、また領主様が転がされてるぞー」
「柴の旦那、つえー!」
「頑張れー領主様ー。今日こそ一発入れるんでしょー?」
近所の鼻垂れ小僧たちが、柿をかじりながら見物に来ている。
完全に村の娯楽だ。見世物小屋の猿じゃないんだぞ。
「お前らなぁ……領主を敬う心とかないわけ?」
私が木刀を杖にしてゼェゼェ言いながら睨むと、子供たちはケラケラと笑った。
「だって領主様、弱えもん」
「俺の母ちゃんより弱え」
「昨日は三回連続でこけてた!」
「くっそー、見てろよガキんちょ共! 今に見てろよ!」
◇
それから一ヶ月。
私は血と汗と泥と、そして大量の不平不満にまみれた日々を過ごした。
「もうダメ……体がバラバラになる……」
「まだでございます! 昨日より振りが鋭くなっておりますぞ!」
「嘘つけ! 昨日より筋肉痛が鋭くなってるだけだ!」
来る日も来る日も木刀を振らされ、柴さんの丸太のような腕から繰り出される一撃(手加減済み)を受け続けた。
そして迎えた、一ヶ月目の検定試験の日。
「では龍左衛門様。この一月の成果、見せていただきましょう。一分間、持ちこたえてくだされ」
柴さんが木刀を構える。その姿はまさに不動明王。
対する私は、ヘロヘロの青瓢箪。
ギャラリーの子供たちも、今日ばかりは固唾を飲んで見守っている。
「いざ!」
柴さんが踏み込んだ。
速い。一ヶ月前なら目にも止まらなかっただろう。
だが、今の私には見える……! 武者修行帰りのガチムチおじさんが放つ死の気配が!
「ひいぃぃっ!」
私は反射的に体を沈めた。柴さんの木刀が頭上を薙ぐ。
「ほう、避けたか! だが次は!」
柴さんが返しの刀で横薙ぎに来る。私は泥にまみれながら地面を転がった。
「まだまだ!」
来る、来る、来る!
攻める? 無理だ。受ける? 折れるわ!
今の私にできること、それは――。
「とりゃあっ!」
「ぬうっ!?」
私は捨て身のタックル――と見せかけて、柴さんの足元をすり抜け、その背後へと回り込んだ。
そして、柴さんの分厚い背中にピタリと張り付き、帯をギュッと掴む!
「な、なんと!?」
柴さんが振り向こうとするが、私はその動きに合わせて背中の反対側へ回り込む。
「ここだ!」
「むうっ、背中をとるとは……! しかしこれでは攻撃ができぬぞ!」
「いいの! これが俺の必殺技、『虎の威を借る狐』の構え!」
「な、情けない名前でごさる!」
柴さんがどう動いても、私は金魚のフンみたいに背後に張り付いて離れない。
敵(柴さん)を盾にして、敵(柴さん)からの攻撃を防ぐ。最強の矛盾盾だ!
「……そこまで」
柴さんが深い深いため息をついて木刀を下ろした。
子供たちが「えー、ずるーい」「領主様、セコいー」とブーイングを送ってくる。うるさい、生き残ったもん勝ちなんだよ。
「龍左衛門様……」
柴さんが呆れ顔で振り返る。
「剣術の稽古をしたはずが、なぜ『全力で逃げ回った挙句、味方を盾にする技』だけ上達されたのでござるか」
「いやあ、生き残るためには手段を選ばない。これもまた戦国の世の習いかなって」
「……まあ、良いでしょう。最低限の『回避』と、味方の背に隠れる『生存本能』は身についたようでござる。敵前にて棒立ちで斬られるよりはマシでございましょう」
呆れられつつも、どうやら合格点はもらえたらしい。
私は膝から崩れ落ちた。
「やった……! これで明日は稽古休みだ……!」
「さて、守りの基礎ができたところで」
柴さんがニヤリと笑った。嫌な予感がする。
「次は、この某に一太刀入れられるよう、攻撃の型を……」
「あーーーっ!! そうだ!!」
私は柴さんの言葉を遮るように大声を上げた。これ以上特訓なんてしてたまるか!
「ど、どうされました?」
「ま、魔銀山だよ! 柴さん! この村の復興には資金が必要だろ? 廃坑になったとはいえ、何か『お宝』が残ってるかもしれないじゃないか!」
「は? まあ、確かに一度見ておく必要はありますが……」
「善は急げだ! 今すぐ行こう! さあ支度して支度して!」
私は柴さんの背中をグイグイと押した。
これぞ話題転換の術。剣術よりこっちの方が得意かもしれない。
「……やれやれ。まあ、実地検分も当主の務めでございますな」
柴さんは私の魂胆を見抜いているようだったが、渋々といった様子で頷いてくれた。
こうして、回避スキル(と逃げ足)だけをレベルアップさせた私と、あきれ顔の家臣・柴さんは、更なる特訓から逃げるようにして、村の奥にそびえる廃坑へと向かうことになったのである。




