第9話 効率という刃
世界は、反応が早かった。
そして――冷酷だった。
《切断判断に関する補助原則案》が公表された翌日、
各国の代表部から、ほぼ同時に“懸念”が届いた。
「判断が遅れる」
「現場の安全が脅かされる」
「感情に引きずられる」
どれも、正しい。
正しすぎるほどに。
「……首相」
官邸の会議室で、ミハイルが報告をまとめながら言う。
「支持はあります。
ただし、**“理想的だが非現実的”**という評価が大半です」
「ええ」
私は頷いた。
「非現実的です。
だから、今まで存在しなかった」
スクリーンには、各国の内部評価が並ぶ。
赤字で強調された言葉が目に入る。
――効率低下リスク。
ユリウスの言葉が、頭をよぎる。
それでは、間に合わない場面がある。
彼は正しい。
効率という刃は、確かに多くを救ってきた。
だが――。
「首相」
ミハイルが、声を落とす。
「世界協定安全保障評議会が、
緊急対応演習を始めました」
「内容は?」
「……切断判断を想定したシミュレーションです」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「つまり」
「はい。
あなたのやり方が“使えない”ことを、
証明しようとしている」
数時間後。
私は、その演習の“観測者”として招かれた。
円卓ではない。
半円形の指令室。
スクリーンに映るのは、仮想の危機。
「想定:人口二百万の沿岸国家。
感染症拡大。
物流遮断。
介入すれば、周辺三国に波及リスク」
冷静な声が状況を読み上げる。
「切断判断までの猶予、四十八時間」
ユリウス・グランフェルトが、指令卓の中央に立っていた。
彼は私を見て、軽く頷いた。
敵意はない。
覚悟だけがある。
「開始する」
彼の合図で、演習が動く。
専門家たちが、次々に意見を出す。
「封鎖が最適」
「介入は遅すぎる」
「感染率が閾値を超えた」
数字が踊る。
時間が削られる。
「切断判断を提案する」
ユリウスが言った。
「この国を放棄し、
周辺国を守る」
スクリーン上で、色が変わる。
赤から、灰色へ。
切られた。
「異論は?」
誰も手を挙げない。
私は、静かに口を開いた。
「……質問があります」
全員の視線が集まる。
「切断された国の中で、
“声を上げた人間”はいましたか」
一瞬の沈黙。
「……想定には含まれていない」
担当官が答える。
「では、想定を一つ追加してください」
私は続けた。
「切断を告げられた後、
現地の医師が、
自費で治療を続けた場合」
ざわめきが起きる。
「非現実的だ」
「個人行動は想定外だ」
ユリウスが、私を見る。
「だが、現実には起きる」
「ええ」
私は頷いた。
「起きます。
だから、切断後の被害は、
常に“想定より多い”」
彼は、黙って演習を再開させた。
追加条件。
現地医師の活動。
それに呼応する、住民の自助行動。
数字が、微妙に変わる。
「……感染拡大、減速」
担当官が、戸惑いながら言った。
「ただし、完全封じ込めには至らない」
ユリウスが、静かに結論を出す。
「それでも、切る」
私は、否定しなかった。
「はい。
その判断自体は、理解できます」
彼の目が、わずかに細まる。
「だが」
私は続けた。
「切った後に起きた行動を、
“なかったこと”にしないでください」
指令室が、静まり返る。
「切断後も、
人は残り、
行動し、
死に、
生きます」
私は、スクリーンを見る。
「その“残った現実”を、
記録せず、
評価せず、
改善しないから――
次の切断が、さらに粗くなる」
ユリウスが、ゆっくりと言った。
「……効率は、粗くなる宿命だ」
「だからこそ」
私は彼を見た。
「粗さを前提に、
人間を組み込む必要があります」
彼は、しばらく考え込んだ。
やがて、低く言う。
「……君のやり方は、
効率を敵に回す」
「ええ」
私は認めた。
「でも、効率だけを味方にした世界は、
いずれ、人間を敵に回します」
演習は終了した。
公式記録には、こう残った。
《切断判断は妥当。
ただし、切断後の人間行動が、
長期的リスク要因となる可能性あり》
ほんの一行。
だが、今まで存在しなかった一行だ。
ユリウスが、私の隣に立つ。
「……一つ、認めよう」
彼は言った。
「君のやり方は、
効率の死角を照らす」
「それで十分です」
「だが」
彼は続ける。
「世界は、
効率を捨てない」
「知っています」
私は静かに答えた。
「だから、私は捨てさせようとはしていません」
彼を見る。
「名前を付けさせたいだけです」
ユリウスは、目を閉じ、短く息を吐いた。
「……厄介だ」
「よく言われます」
その夜。
世界協定事務局の内部文書に、
新しい注釈が追加された。
《切断判断後、
現地に残った個人の行動を、
記録対象とする》
小さな変化。
遅く、非効率で、面倒だ。
だが――
効率という刃は、
少しだけ、鈍った。
そしてその鈍さが、
いつか、
誰かの命を引っかける。
私は、それでいいと思った。
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