第4話 便利な人、危険な人
議事録に、白紙だった一枚が綴じられた。
それだけのことなのに、円卓の空気は確実に重くなっていた。
会議が再開される。
だが、誰もが先ほどまでとは違う視線で私を見ていた。
――便利な調整役。
その評価が、静かに書き換えられている。
「では、次の正式議題に戻ります」
事務局長の声は、わずかに硬い。
議事進行は事務局に移っているはずなのに、視線が何度も私に流れる。
レオナードが、指を組んだまま口を開いた。
「議長国が“凍結”されている状況で、
実質的な判断を君が下しているように見えるのは気のせいかな」
探る声だ。
非難ではない。測定だ。
「判断は下していません」
私は淡々と返す。
「判断できない構造を、そのまま示しただけです」
リン・シャオユンが、短く言った。
「危険だな」
「ええ。構造を見せる行為は、常に危険です」
マリアンヌが、珍しく即座に続けた。
「特に、既存の秩序にとっては」
イーサンが、低く笑う。
「壊す気はない、と言ったな」
「はい」
「だが、結果として壊れるものもある」
「それは……」
私は一拍置いた。
「壊れた方がいい秩序です」
その瞬間、サミュエルが立ち上がった。
「傲慢だ!」
椅子が床を擦る音が、鋭く響く。
「あなたは何様だ!
世界の秩序を選別する資格があるとでも言うのか!」
彼の声は震えていた。
怒りと恐怖が混じった、最も制御しづらい感情だ。
「資格はありません」
私は即答した。
「だから、選別しません。
持ちこたえられるかどうかを、試しているだけです」
「試す!? 命をか!」
「命は、すでに試されています」
言葉が、鋭く落ちる。
「あなたが守ろうとしている秩序の外側で、
今日も誰かが死んでいる。
それを“例外”と呼び続ける限り、試験は終わらない」
サミュエルは言い返せなかった。
彼は信仰の人間だ。
信仰は、例外を許さない。
事務局長が慌てて介入する。
「感情的な対立は――」
「いいえ」
私は、静かに遮った。
「これは感情の問題です。
だからこそ、ここで扱うべきです」
空気が張り詰める。
会議という名の装置が、きしみ始めている。
そのとき、レオナードが椅子を前に引いた。
「……正直に言おう」
彼は、場の空気を切り替えるように言った。
「君は今、我々にとって“危険な存在”になりつつある」
マリアンヌが頷く。
「同感です。
あなたは、便利な調整役ではありません。
責任を可視化する人間です」
リン宰相が、淡々と結論を添える。
「その種の人間は、長くは生き残れない」
イーサンが、私を見る。
「……それでも、やるか」
私は迷わなかった。
「やります」
短く、はっきりと。
「なぜだ」
レオナードが問う。
私は、円卓を見渡した。
ここにいるのは、世界を代表する人間たちだ。
彼らの背後には、何千万、何億という命がある。
だからこそ、答えは個人的でなければならない。
「私は、忘れる側に回りたくない」
沈黙。
「忘れた瞬間、人は“仕組み”になります。
仕組みは、責任を取れない」
私は、ミハイルの方を見た。
彼は、必死に議事録を打ち続けている。
逃げていない顔だ。
「私は、逃げない人間が、
この世界に一人くらいいてもいいと思っている」
レオナードが、ふっと笑った。
「……参ったな。
君みたいな人間が、一番厄介だ」
「褒め言葉として受け取ります」
「受け取るな。警告だ」
そのとき、事務局スタッフが慌てて入ってきた。
「失礼します!
無名地帯から続報です!」
全員の視線が集まる。
「先ほどの支援決定を受け、
武装勢力が撤退を開始しました。
――ただし、条件を出しています」
「条件?」
私は即座に聞いた。
「リュミエル小邦の代表と、直接話したいと」
レオナードが目を見開く。
「君を指名した?」
「はい」
リン宰相が、低く言った。
「……前例がない」
「前例がないのは、今まで誰も引き受けなかったからです」
私は立ち上がった。
「通信を繋いでください。
公開回線で」
マリアンヌが即座に反応する。
「待ってください。
それは、あなた個人が“世界の顔”になるという意味です」
「承知しています」
私は答えた。
「顔を出さないから、世界は殴られる」
一瞬の沈黙のあと、事務局長が頷いた。
「……接続します」
ホール中央のスクリーンが点灯し、
荒れた建物の内部が映し出された。
画面の向こうに、覆面の男。
武装勢力の指導者だ。
『――あんたが、リュミエルの首相か』
「はい」
『随分と若いな。
それに……武器を持っていない』
「持っていません。
必要なら、あなたの話を聞きます」
男が、短く笑った。
『話を聞く?
世界の連中は、いつも命令しかしない』
「命令できる立場ではありません」
私は正直に言った。
「だから、交渉します」
男は、数秒黙った。
その沈黙は、思考の沈黙だ。
『……条件は一つだ。
俺たちを“テロリスト”として扱うな』
円卓がざわめく。
「代わりに?」
『――撤退する。
人質も解放する。
このキャンプからは、手を引く』
レオナードが、即座に口を挟む。
「それは受けられない!
テロはテロだ!」
私は手を上げた。
「分類の話は、後でします」
そして、画面に向き直る。
「条件を確認します。
撤退、人質解放、再侵入なし。
その代わりに、呼称を保留する」
『そうだ』
「期間は?」
『三十日』
私は、ゆっくり頷いた。
「分かりました。
三十日間、あなた方を“交渉対象”として扱います」
リン宰相が、低く言う。
「……正気か」
私は、彼を見ずに答えた。
「正気です。
正気でなければ、
この世界の矛盾とは話せません」
男が、画面の向こうで言った。
『……あんた、
本当に、逃げないんだな』
「逃げません」
『なら――約束だ』
通信が切れる。
ホールは、しんと静まり返った。
サミュエルが、震える声で言う。
「あなたは……悪魔と契約した」
「いいえ」
私は、静かに首を振った。
「世界が放置した現実と、対話しただけです」
レオナードが、深く息を吐いた。
「……完全に線を越えたな」
「ええ」
私は認めた。
「だからこそ、戻れません」
マリアンヌが、苦笑する。
「あなたはもう、
“使い捨ての首相”ではありませんね」
「そう願います」
イーサンが、椅子から立ち上がった。
「……ノルグラードは、
この三十日間、リュミエルを攻撃対象から外す」
リン宰相が、しばらく黙った後、言った。
「帝国は……
あなたの動きを、記録する」
レオナードが、最後に言った。
「アークレインは――
君を、危険人物リストから外すのを保留する」
私は、ほんの少しだけ笑った。
危険人物。
それでいい。
便利な人より、
危険な人の方が、
世界は変わる。
議事録の最後に、私は一行を書き足した。
《本日、世界は“責任から逃げなかった人間”を一人、目撃した》
その一行が、
どれほど重いかを、
まだ誰も知らない。
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