第36話 誰も悪くない
検証会議は、
静かに始まった。
怒号も、
抗議もない。
感情が、
入り込む余地がなかった。
「――手続き上の問題は、
確認されていません」
「数値の算出も、
妥当です」
「再評価条件の設定も、
適切でした」
報告は、
どれも同じ結論に辿り着く。
誰も、
間違えていない。
クララ・フェルディナントは、
資料を手にしたまま、
一言も発しなかった。
自分が書いた条件。
自分が承認した制度。
すべて、
論理的に正しい。
だから、
責める場所がない。
「……つまり」
若い代表が、
慎重に言葉を選ぶ。
「今回の結果は、
不可避だった、
ということでしょうか」
議長は、
すぐに答えなかった。
答えは、
すでに分かっている。
それでも、
口に出す必要があった。
「――不可避です」
その一言で、
会議は終わってしまう。
男は、
発言を求めなかった。
視線も、
集めなかった。
ただ、
黙って聞いている。
それが、
今の役割だった。
「……では、
次の議題へ」
議長が、
そう言いかけた瞬間。
男が、
初めて口を開いた。
「一つだけ、
よろしいでしょうか」
声は、
いつもと変わらない。
だが、
その一言で、
全員が理解する。
会議は、
終わっていない。
「今回の判断について」
男は、
誰も見ない。
天井でも、
机でもない。
空間そのものに向かって、
話している。
「悪い人は、
いましたか」
即答は、
返ってこなかった。
「……いいえ」
議長が、
短く答える。
「誰も、
悪くありません」
それは、
事実だった。
男は、
小さく頷いた。
「私も、
そう思います」
誰も、
反論しない。
反論できない。
「では」
男は、
続けた。
「誰が、
引き受けるのでしょうか」
再び、
沈黙。
だが、
前回とは違う。
この沈黙は、
逃げ場がない。
「……引き受ける、
とは」
誰かが、
もう一度、
同じ言葉を使う。
だが、
自分でも分かっている。
それが、
答えにならないことを。
男は、
穏やかに言った。
「悪い人がいないなら、
悪い結果も、
誰かが引き受けなければならない」
論理は、
単純だった。
だから、
重い。
クララは、
初めて顔を上げた。
「……それは、
制度の役割です」
男は、
首を横に振らない。
「制度は、
結果を出します」
一拍。
「引き受けるのは、
人です」
誰も、
反論しなかった。
反論すれば、
何かを引き受けることになる。
それを、
誰も望んでいない。
会議は、
結論を出さずに終わった。
否決でも、
承認でもない。
ただ、
止まった。
廊下で。
クララが、
男に並んだ。
「……あなたは、
正しいことを言っています」
男は、
歩調を緩めない。
「ですが、
それは」
一瞬、
言葉が詰まる。
「誰かを、
苦しめます」
男は、
初めて足を止めた。
「ええ」
即答だった。
「引き受ける、
というのは、
そういうことです」
クララは、
何も言えなかった。
制度は、
人を苦しめない。
だが、
人が引き受ければ、
必ず、
痛みが生まれる。
それを、
彼女は
理解してしまった。
夜。
世界協定の建物は、
静かだった。
正しさは、
崩れていない。
制度も、
機能している。
それでも、
何かが、
確実にズレ始めている。
それは、
破綻ではない。
理解だ。
理解してしまった者は、
もう、
以前の場所には戻れない。
男は、
窓の外を見て、
静かに呟いた。
「……誰も、
悪くない」
だからこそ、
この世界は、
これからが、
本当に苦しい。
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