第31話 象徴としての帰還
席は、用意されていた。
円卓の一角。
議長席でも、副議長席でもない。
だが、
誰の視界からも外れない位置。
それが、
世界協定が彼に与えた場所だった。
「……ご足労、
感謝します」
事務的な挨拶。
感情は込められていない。
男は、軽く頷いた。
返礼も、
自己紹介もない。
それで、
誰も困らなかった。
会議は、通常通り進む。
案件。
評価。
切断判断。
速度は速い。
制度は安定している。
男は、
ただ座っているだけだった。
口を開かない。
資料にも目を落とさない。
それでも、
視線は、
何度も彼の方へ流れた。
「……問題は、
ありません」
誰かが言う。
その言葉は、
以前よりも、
慎重だった。
理由は、
誰も口にしない。
ユリウス・グランフェルトは、
議長席から男を見ていた。
顧問。
象徴。
保証人候補。
どの肩書きも、
正式には与えられていない。
だが、
そこにいるだけで、
判断が“正しく見える”。
それが、
世界が彼を呼び戻した理由だった。
休憩時間。
誰も、
男に話しかけない。
話しかける必要が、
ないからだ。
彼がいること自体が、
説明になっている。
――人徳は、
こうして使われる。
「……何も、
言わなくていいんですか」
若い代表が、
小声で尋ねた。
男は、
その問いに、
すぐには答えなかった。
少しだけ、
間を置く。
「判断は、
あなた方がするものです」
それだけだ。
正論だった。
誰も反論できない。
だが、
その場の空気は、
わずかに重くなった。
次の案件。
切断が、
妥当とされる地域。
説明文。
署名欄。
すべて、
制度通り。
槌が、
打たれかける。
――一瞬。
誰かが、
男の方を見た。
そして、
自分でも理由が分からないまま、
視線を戻す。
槌は、
予定通り打たれた。
だが、
音は、
以前よりも低かった。
会議終了後。
誰かが、
ぽつりと言った。
「……安心ですね」
何が、とは言わない。
だが、
全員が分かっている。
彼がいるからだ。
男は、
席を立った。
拍手はない。
見送りもない。
象徴は、
主役ではない。
ただ、
そこに置かれる。
廊下。
ガラス越しに、
街が見える。
安定している。
静かだ。
彼は、
自分が戻った理由を、
正確に理解していた。
――世界は、
正しさを疑い始めた。
だから、
疑わなくていい存在を、
置いた。
その夜。
男は、
無名地帯へは戻らなかった。
だが、
そこから離れたわけでもない。
世界協定と、
切断の外側。
その間に、
立っている。
それが、
今の立ち位置だ。
端末に、
簡潔な通知が届く。
《本日のご出席、
ありがとうございました》
男は、
端末を閉じた。
感想も、
評価もない。
だが、
確信だけはある。
このままでは、
世界は、
正しく壊れる。
誰も、
責任を負わない形で。
だから――
彼は、
まだ、
何もしない。
象徴として、
座り続ける。
世界が、
本当に困るその時まで。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




