第27話 名前の消失
修正は、静かに行われた。
通知も、説明もない。
ただ、更新履歴に一行、
短い記録が残っただけだった。
《表現の統一を目的とした軽微な改訂》
それが、
すべてだった。
エリアス・ノートンが異変に気づいたのは、
自分の書いた説明文を、
再確認したときだった。
文章は、ある。
内容も、変わっていない。
だが――
署名欄が、空白になっている。
いや、
正確には、空白ではなかった。
《担当部署:調整課第三班》
そこに、
彼の名前はなかった。
「……これは、
どういうことですか」
エリアスは、
端末を持ったまま、
上司の席に立った。
声は、
抑えられていた。
怒りではない。
混乱でもない。
確認だ。
上司は、
一瞬だけ画面を見て、
すぐに視線を戻した。
「制度改訂に伴う、
表記変更だ」
「改訂、
とは聞いていません」
「周知対象外だ」
「……私の名前が、
消えています」
上司は、
しばらく沈黙した。
そして、
こう言った。
「個人名は、
必要ないと判断された」
エリアスは、
何も言わなかった。
言葉が、
すぐには見つからなかった。
必要ない。
その一言が、
頭の中で、
何度も反響する。
「……引き受けたのは、
私です」
「結果は、
制度が担保している」
「私は――」
「ノートン君」
上司の声は、
柔らかかった。
「これは、
君個人の否定ではない」
それが、
一番、
残酷だった。
エリアスは、
会議室を出たあと、
廊下で立ち止まった。
足が、
動かなかった。
自分が、
ここに立っている理由が、
分からなくなったからだ。
引き受けた。
現地に行った。
助けた。
それでも、
名前は不要だという。
「……じゃあ、
誰が、
ここに立っていたんだ」
答えは、
制度だ。
人ではない。
クララ・フェルディナントは、
その改訂を、
承認した一人だった。
個人名削除。
責任の集約。
プロセスへの帰属。
合理的だ。
再現性が上がる。
彼女は、
それ以上、
考えなかった。
考える必要が、
ないからだ。
――その時点では。
その夜。
無名地帯では、
小さな焚き火が、
風に揺れていた。
男は、
紙切れを一枚、
広げている。
そこには、
いくつかの名前。
増えたわけではない。
減ったわけでもない。
だが、
一つ、
書き足された。
エリアス・ノートン。
男は、
その名前を、
しばらく見つめてから、
紙を畳んだ。
ここでは、
名前は、
消えない。
消してはいけない。
翌日。
エリアスは、
自分の端末を開いた。
過去の説明文。
報告書。
現地メモ。
すべてに、
同じ表記が並んでいる。
《担当部署》
どこにも、
彼はいない。
それは、
処分ではなかった。
罰でもなかった。
世界から、
少しずつ、
削られていく工程だった。
世界は、
彼を否定していない。
排除もしていない。
ただ、
必要としなくなった。
それだけだ。
エリアス・ノートンという名前は、
世界の判断から、
音もなく、
切り離された。
それが、
制度における、
最も安全な切断だった。
そして同時に――
最も取り返しのつかないものでもあった。
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