第25話 遅延
判断は、遅れた。
ほんの一拍。
時計で測れば、数秒にも満たない。
だが、世界協定の判断卓において、
その一拍は、存在してはならないものだった。
「――次の案件に移ります」
ユリウス・グランフェルトは、
資料をめくりながら言った。
同時多発の小規模事案。
どれも、単独なら切断で済む。
例外を設ける理由は、ない。
数字は揃っている。
前提条件も満たしている。
彼は、槌を取った。
……取って、止めた。
誰も気づかないほどの、
短い沈黙。
だが、
その沈黙は、
確かに存在した。
「……説明欄は」
ユリウスが、低く言った。
周囲の視線が、
一斉に資料へ落ちる。
「定型文です」
「確認したか」
「はい。
制度通りです」
ユリウスは、
もう一度、
資料を見た。
理由は書いてある。
名前もある。
形式は完璧だ。
それでも――
視線が、そこから離れなかった。
槌が打たれた。
判断は下った。
切断。
妥当。
最適。
会議は、
何事もなく進んだ。
誰も、その一拍を口にしない。
だが、
ユリウス自身は、
忘れていなかった。
その日、
判断された案件の一つで、
小さな事故が起きた。
切断後の移行期間。
連絡が一つ、
遅れた。
それだけだ。
被害は、最小。
死者は、出ていない。
報告書には、
こう記された。
《判断の遅延が、
直接的な被害を生じさせたとは認められない》
正しい。
何も間違っていない。
だが、
ユリウスは、
その報告書を、
すぐに閉じなかった。
遅れたのは、
現場ではない。
自分だ。
制度確認に、
視線を取られた。
説明欄を、
読んだ。
――なぜ、
それを読んだのか。
理由は、
自分でも、
分からない。
会議後。
誰もいない部屋で、
ユリウスは、
椅子に深く座った。
彼は、
最適解を選ぶ人間だ。
常に。
例外なく。
だが、
最適解を選ぶために、
余計な一拍が入り始めている。
それは、
効率の低下だ。
容認できない。
はずだった。
同じ頃。
エリアス・ノートンは、
その事故報告を読んでいた。
死者なし。
被害軽微。
制度は、
正しく働いた。
それでも、
彼は、
胸の奥に、
妙な冷えを感じていた。
「……今度は、
誰も死ななかった」
それを、
良いことだと、
即座に思えなかった。
無名地帯では、
その話題は、
ほとんど上らなかった。
事故は、
遠い。
名前も、
届かない。
だが、
灯りの点検が、
一日、
遅れた。
それだけのこと。
それだけのことが、
積み重なる。
夜。
男は、
暗がりの中で、
発電機の音を聞いていた。
一定ではない。
少し、
間が空く。
遅れている。
彼は、
何も言わない。
遅れは、
誰かの判断の結果だ。
それを、
引き受ける人間が、
今、
見当たらない。
世界は、
まだ、
壊れていない。
判断は、
妥当で、
最適で、
安全だ。
だが、
最適解が、
即答ではなくなった。
それが、
どれほど危険な兆候かを、
理解している人間は、
まだ少ない。
ユリウス・グランフェルトは、
その数少ない一人だった。
だから、
彼は、
何も言わなかった。
言えば、
効率を疑うことになる。
効率を疑えば、
世界が揺らぐ。
その一拍を、
まだ、
許容するわけにはいかなかった。
だが――
一拍は、
もう生まれてしまった。
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