第22話 模倣の拡散
制度は、声を上げない。
誰かに説明されることもなく、
誰かを説得する必要もなく、
ただ、書類の束として流れていく。
世界協定事務局の内部回線で、
**《切断判断透明化制度(試行)》**という件名が点灯したとき、
それを「事件」だと受け取った者は、ほとんどいなかった。
――便利になる。
――楽になる。
それだけだ。
エリアス・ノートンは、
その通知を三度読み返してから、端末を伏せた。
試行。
暫定。
現場裁量。
文言は柔らかい。
だが、行間は硬い。
「……来たか」
呟いた声は、誰にも届かない。
彼は、自分が書いた説明文のコピーを開いた。
まだ、名前は残っている。
だが、
**“残っているだけ”**だ。
制度文書の中で、
名前は役割に変換され、
役割は番号に置き換えられる。
そこに、人間は残らない。
別の階。
若手職員たちが、制度の説明を受けていた。
「判断理由は、
こちらのテンプレートを使用してください」
「個別事情は?」
「原則、記載不要です」
「責任者名は?」
「部署名で結構です」
説明は簡潔だった。
質問も少ない。
誰も、この制度を疑ってはいない。
疑う理由が、ないからだ。
誰かが小声で言った。
「……これ、楽ですね」
笑い声が、わずかに広がる。
その瞬間、
制度は、
世界に受け入れられた。
同じ頃。
無名地帯では、
古い倉庫の壁に、簡素な掲示が貼られていた。
支援物資の配布時間。
担当者名。
誰かが、その紙を見て首をかしげる。
「……この人、
最近見ないね」
「もう、いないんだろ」
それだけの会話。
名前は、
消えるとき、
音を立てない。
夕方。
エリアスは、現地との通信を終えたあと、
上司に呼び止められた。
「ノートン君」
「はい」
「最近、
制度に沿わない記述が多い」
「……事実です」
「事実でも、
書く必要がない」
上司は、疲れた声で言った。
「君のやり方は、
再現できない」
「再現できないものを、
切っていい理由にはなりません」
上司は、しばらく黙っていた。
「……世界は、
再現できるものしか、
残さない」
それが、答えだった。
夜。
クララ・フェルディナントは、
制度導入後の初期報告を確認していた。
処理速度、向上。
判断遅延、減少。
批判件数、低下。
数字は、すべて良好だ。
「……順調ですね」
同僚が言う。
「ええ」
クララは頷いた。
「人が介在しすぎると、
世界は不安定になります」
彼女は、端末を閉じた。
そのとき、
一瞬だけ、
かつて読んだ文章が脳裏をよぎる。
切断後も、
人は残る。
クララは、首を振った。
「……ノイズだ」
制度は、
ノイズを嫌う。
深夜。
無名地帯の灯りは、また一つ減っていた。
発電機の音が、間欠的になる。
男は、暗がりの中で、
名前の書かれた紙を見つめていた。
そこには、
すでに、
この場所を去った者の名前もある。
覚えている限り、
消えない。
それが、
制度ではないやり方だ。
男は、紙を畳み、
ポケットにしまった。
世界は、
真似る。
だが、
引き受けるところまでは、
真似しない。
その差が、
どこで破綻するのかを、
彼は、もう知っていた。
だから、何も言わない。
言えば、
また中心に引き戻される。
まだ、
その時ではない。
翌朝。
世界協定事務局の内部掲示板に、
小さな通知が追加された。
《切断判断透明化制度:
適用地域を拡大》
それは、
静かな拍手のように、
誰にも気づかれず、
世界に広がっていった。
そして同時に――
誰が引き受けているのか分からない判断も、
確実に、
増え始めていた。
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