第12話 便利すぎる存在
翌朝、官邸の非常対応室は、いつもより静かだった。
騒がしくない。
慌ただしくもない。
――整いすぎている。
「……首相、本日の案件一覧です」
ミハイルが差し出した端末には、信じがたい量の案件が並んでいた。
紛争調停、制裁判断、支援要請、介入可否。
そのすべてに、共通する一文が添えられている。
《事前に、首相のご見解を伺いたい》
「……増えましたね」
「はい。
昨日の倍です」
私は、端末を受け取りながら言った。
「公式ルートでは?」
「公式には、“各国の自主判断”です。
ただし――」
ミハイルは言葉を選んだ。
「首相が反対しなかった、という事実を残したいようです」
私は、小さく息を吐いた。
理解できる。
そして、危険だ。
午前中の非公式会合。
ある大国の次席代表が、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「我々としては、介入も撤退も可能です。
ただ……首相が“問題ない”とおっしゃるなら、
それが一番、角が立たない」
角が立たない。
便利な言葉だ。
「私が問題ないと言えば、
あなた方は、責任を引き受けるのですか」
私がそう返すと、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……もちろん、我が国として――」
「“私が反対しなかった”という記録を、
残したいだけでは?」
笑みが、わずかに固まる。
「誤解です」
「いいえ」
私は首を振った。
「誤解ではありません。
責任の置き場所を、探しているだけです」
場の空気が、わずかに冷える。
だが、彼は引かなかった。
「それでも、首相の見解は重要です」
「ええ」
私は答えた。
「重要すぎるのが、問題です」
昼過ぎ。
別の案件。
今度は、支援を打ち切るかどうかの判断だった。
「あなたが了承すれば、
国内世論は納得します」
別の代表が言う。
「私が了承しなければ?」
「……再検討します」
つまり。
私が悪者になるかどうかで、決めたい。
私は、その場で即答しなかった。
沈黙。
その沈黙に、相手が安堵したのが分かった。
――迷っている。
――押せば、折れる。
そう読まれた。
「……この案件」
私は、静かに言った。
「あなた方自身の問題です。
私の名前を使わないでください」
「ですが――」
「使えば、楽でしょう」
私は続けた。
「責任を、私に預ければ」
相手は、言葉を失った。
会合が終わった後、ユリウスが廊下で待っていた。
「……始まったな」
彼は、低く言う。
「ええ」
私は頷いた。
「便利になりすぎました」
「便利な人間は、長生きしない」
彼は即座に言った。
「使われ、
擦り切れ、
最後に切られる」
「分かっています」
「分かっていて、やめない」
ユリウスは、私を見る。
「……それを、愚かと言う」
「ええ」
私は、否定しなかった。
「愚かです。
でも――」
私は、少しだけ言葉を選んだ。
「誰かが、
“便利ではいられない”役を
引き受けないと、
世界は壊れます」
ユリウスは、しばらく黙っていた。
「……君は、
便利であることを拒んでいる」
「はい」
「だが、世界は、
拒まれると腹を立てる」
「承知しています」
彼は、わずかに目を伏せた。
「……切られる準備は?」
「ええ」
私は答えた。
「もう、始まっています」
夜。
官邸の自室。
端末には、未処理の案件が山積みだった。
だが、私は一つも開かなかった。
代わりに、白紙のメモを一枚取り出す。
そこに、短く書いた。
《私の名前を使わずに決められること》
今日、拒否した案件の一覧。
数は、思ったより少ない。
だが――
拒否した瞬間の、相手の顔は忘れられない。
不安。
苛立ち。
そして、ほんの少しの怒り。
便利な存在が、便利でなくなったとき。
世界は、必ず反発する。
机の上のカレンダーを見る。
赤い円。
――残り十八日。
昨日より、確実に一日減っている。
私は、ペンを置いた。
「……そろそろですね」
誰に言うでもなく、そう呟く。
世界が、
私を“使う側”から、
“処理する側”に回す準備を。
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