第11話 残り十九日
その数字は、誰も声に出さなくても、部屋の空気を変えた。
――残り十九日。
官邸の非常対応室。
壁一面のカレンダーに、赤で囲まれた数字がある。
三十日プロジェクト開始から、すでに十一日が過ぎていた。
「……十九日です」
ミハイルが、報告の最後にそう付け加えた。
まるで、確認する必要があるかのように。
「ええ」
私は頷いた。
「思ったより、早いですね」
嘘ではなかった。
本当に、早い。
この数日で、問い合わせの質が変わった。
無名地帯の件だけではない。
別の地域、別の紛争、別の“問題”。
「この判断、あなたならどうしますか」
「あなたが反対しないなら、進めたい」
「あなたが了承したと、記録に残せますか」
相談ではない。
確認だ。
世界は、私を使い始めている。
「……首相」
ミハイルが、端末を置きながら言う。
「この件、どうしますか」
新たな案件。
小規模だが、難しい。
介入すれば助かるが、前例になる。
放置すれば、確実に数人が死ぬ。
いつもなら、答えは出ていた。
だが――。
私は、資料を見つめたまま、言葉を探した。
頭が、妙に重い。
疲労ではない。
判断そのものが、摩耗している感覚。
「……」
ミハイルが、静かに待つ。
数秒。
だが、その沈黙は、今までで一番長かった。
「……代案は?」
私は、ようやくそう言った。
ミハイルが、一瞬だけ目を見開く。
すぐに、冷静を取り戻す。
「はい。
限定的な介入案があります。
ただし、成功率は五割以下です」
私は、その案に目を落とした。
合理的だ。
だが、逃げ道でもある。
「……君は、どう思う」
口をついて出た言葉だった。
ミハイルの手が、わずかに止まる。
「……私、ですか」
「ええ」
私は言いかけて、気づいた。
言ってはいけない一言の直前にいる。
「……君が決めてくれ」
喉まで出かけた言葉を、私は飲み込んだ。
深く、息を吸う。
「……いや。違う」
私は、首を振った。
「すみません。
今のは、忘れてください」
ミハイルは、何も言わなかった。
だが、その沈黙は、記録されるべき沈黙だった。
私は、改めて資料を見る。
「……限定介入案で行きましょう」
声は、平静だった。
「ただし、結果は必ず記録してください。
成功しても、失敗しても」
「承知しました」
ミハイルが答える。
だが、私は分かっていた。
今の判断は、最善ではない。
最善を選ぶ余力が、少し削れている。
その日の午後。
非公式会合で、ユリウスと顔を合わせた。
「……遅れているな」
彼は、資料を一瞥して言った。
「ええ」
私は否定しない。
「遅れています」
「疲れているか」
「はい」
即答だった。
ユリウスは、一瞬だけ眉を動かす。
「……珍しいな。
弱みを見せるとは」
「弱みではありません」
私は言った。
「現状報告です」
彼は、腕を組んだ。
「残り十九日だ」
「承知しています」
「世界は、待たない」
「知っています」
彼は、少しだけ声を低くした。
「……このまま行けば、
君は“切られる側”になる」
「ええ」
私は頷いた。
「その覚悟は、あります」
ユリウスは、しばらく黙っていた。
「……なら、忠告はしない」
そう言って、踵を返す。
「だが覚えておけ。
切られる側は、
切る側よりも、
説明を求められる」
その背中を、私は見送った。
夜。
官邸の自室。
灯りを落とし、椅子に深く腰掛ける。
ようやく、一人になった。
頭の中に、今日の沈黙が蘇る。
判断を、誰かに渡しかけた瞬間。
――危なかった。
もし、あの一言を言っていたら。
私は、自分の立っている場所を、手放していた。
端末が震える。
無名地帯からの短い報告。
《本日の限定介入、
成功。
死者なし》
私は、目を閉じた。
助かった。
だが、胸は軽くならない。
成功したのに、
自分が少し削れたことだけが、はっきり分かる。
机の上に、カレンダーがある。
赤で囲まれた数字。
十九日。
私は、静かに独りごちた。
「……まだ、十九日もある」
それは、希望ではない。
警告だ。
三十日が終わる前に、
私が削れ切るか。
世界が、先に答えを出すか。
その競争が、
もう始まっている。
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