生まれ変わったら結婚しようねとは言ったけど、あなた乗り気じゃなかったよね?
お久しぶりすぎる投稿です。
サクッと読めるラブコメを目指しました。
「生まれ変わったら結婚しようね」
それはいつもの軽口。ふわふわで、ゆるゆるで、とりとめのない、なんてことない、軽口。
私はよく口にしたけど、それを聞いた相手は、答えるでもなく、けれど否定するでもなく、ただ、曖昧に笑うばかり。
だから、乗り気じゃないと思ってたんだよ。
「生まれ変わったら結婚しようねって、言っただろ」
地の底から這ってきたような低い声が、頭上から降ってくる。掴まれた左手は、しっかりと握られて逃げられやしない。手形、ついてそうだな……。
「ずっと、ずっと待ってたんだ。絶対に逃さないからな」
どろどろ、ぐつぐつ、見たこともないような激情を宿した瞳が、私を見下ろしている。端的に申し上げて、こわい。
いやいや、だって、そんな。まさか。
そろり、と何処かに逃げ道がないかと目線を泳がせた私を、さらに追い詰めるように、顔の横についていた腕を折り曲げられて、対面からの距離がほぼゼロになる。こんなの、もはや檻じゃん……。
「他所見するな」
あなたそんなキャラでしたっけ? なんて現実逃避しそうな思考を必死に繋ぎ止め、如何にしてこの状況を打破すべきか考える。
綺羅びやかなホールの隅で、壁に両肘をついた長身男に迫られ、わかりやすくピンチである。しかし、どう考えても助けは望めないだろう。
だって、私は平均よりも体が小さいのだ。対して目の前の男は平均より飛び抜けて大きく、この体躯の向こう側からでは、私は影すら見えないのではないだろうか。
とにかくたくさん考えて、でもやっぱり状況がわからなさすぎたので、とりあえず会話だけでも、と顔を上げながら口を開きかけた、瞬間。
「言い訳は聞かない」
そんな一言で、私の唇は塞がれてしまった。現世では正真正銘ファーストキスが、である。
別に、最高のシチュエーションに憧れていたわけではないが、こんな、あんまりな状況で奪われてしまうとは思っていなかったので、それなりにショックでは、ある。
あと普通に理不尽すぎるだろ。
私が何をしたって言うんだ! まだ何もしてないだろうが!
人々がダンスに興じる音楽を聴き流し、ファーストキスにしては濃厚すぎるキス(長すぎるだろ、いい加減にしてほしい)に呼吸ごと奪われて意識まで遠くなりながら、私はこうなった原因と思われる前世に想いを馳せた。
私は前世、日本で5本指に入るくらいの都会、その県庁所在地のある都市で、普通に暮らしていた。
ここで言う普通、とは、私目線での普通なので、世間一般の普通とはちょっと違った可能性は、大いにある。
というのも、私の育った環境は、たぶん普通ではなかった、と思う。
端的に言うと、父親がどうしようもない系のアレだった。
具体例を挙げると、子どものお年玉を貯蓄の名目で巻き上げ、使い込む。(ある程度成長してから、お年玉が一切残ってないと知ったときはすごくショックだった)
子どもの学校行事などに一切参加しない。(アルバムを見ても、本当に1枚も写っていなくて存在を疑うレベル)
これはほんの一例であり、他にも挙げれば枚挙に暇がない。が、まぁ割愛。
とにかくこんな感じでアレなやつだった。
一方で母親はマトモなのかと思えば、そうでもない。
そもそも、結婚してすぐならまだしも、子どもを7人も産んでおいて「こんな人とは思わなかった」は、言い訳にならないと思う。
気づくなら1人目で気づいて、切実に。被害者増やすの止めてもらえます?
まぁ父親に比べると、母親の役割は果たしていたように思う……けれども。普通に父親の害を子どもにも撒き散らしてる時点で、良い母親ではないのでは?
そんな感じの、よくある一般家庭で育ち、幼少期から「なんか、我が家って変じゃない?」と思う場面は多々あるものの、他所を知らないので疑問止まり。
しかし成長するにつれて「やっぱり、我が家って変だな?」という確信に変わるのに、そう時間はかからなかった。
そんな家庭環境だったから、結婚に夢なんて持てないし、人生の墓場とは言い得て妙だと思っていた。
家庭環境は最悪だったが、幸い、友人関係には恵まれていたので、ただただ家が嫌いな人間の出来上がり。
成人するや否や、長女である責任やら何やらを全て放りだして逃げ出した。
今考えると、弟や妹には申し訳ないことしたな……と思わなくもないが、そもそも両親がアレなのが原因だから、たぶん私悪くないと思うんだよな。どうかそうであってください。
だけど仲が悪かったかと言われると決してそうでもなく、私が家を出てからもそれなりに仲良くしていた。
端から見ていた人の話を聞く限り、きょうだい仲は良かったのだ。
就職先はまぁ、わかりやすくブラックではあったけど、これまた人間関係には恵まれたので、なんやかんや食べていくために働いた。
適度に距離を取れば、実家との関係もそれなりに続けられた。いや、まぁストレスはヤバいんだけど。
実家へ顔を出すたびに、このクズの血を引いてるんだよな……と自戒を抱くの、かなり特殊な家庭だと思う。
一人暮らしの自由を謳歌し、このまま独身を突っ走るかなぁと思っていたが、人生って何が起こるかわかんないね。
なんと、結婚したのである。もちろん、私が。
これも別に、世界一可愛いお嫁さんになる☆とかいう憧れからではない。
実家との関係で、家族に期待が持てなかったわけだけど、ある日唐突に気づいたのだ。
自分で理想の家族を作れば良いのでは? と。
育った家庭環境がアレすぎたので、私はどこまでも普通に憧れた。
だから相手の候補として、好ましい性格とか、好ましい顔とか、そういった条件は一切排除して、ただただ、普通の人を探した。
これがまた、意外と難しいのである。それはそう。だって普通って難しいのだ。
幸い、職場でいろんな人間を見たおかげで、人を見る目だけはものすごく磨かれていた。あと、実家がアレだったので、ダメな人間の見分け方も理解していた。
つまり、自分が思う普通の人に辿り着いたのである!
私が結婚した際、周囲は大いにどよめいた。もちろん、あまり良くない方の意味で。
「おめでとう」より先に「なんで?」が飛び出す結婚、わりと珍しいと思うんだよね。まぁ自業自得だけど。
なんで、の答えに「家族が欲しくて」って返すのも珍しいと思う。みんなびっくりしてた。それはそう。
いざ自分が結婚してみて、いろんな既婚者が「結婚は妥協」と言っていた意味を噛み締めてみたり。
相手に苛立つ場面もあれば、些細な言動で嬉しくなる場面もある。たぶん、相手も私に対して同じように思うことが多々あっただろう。
そのズレを、お互いに許容し合うことこそ、共同生活の、結婚生活の真理なのでは、と思う。
結婚後、そう経たずに妊娠し、出産した。
分娩後の出血が止まらず、文字通り命がけの出産となり、配偶者には大いに心配と迷惑をかけてしまったが、まぁ自分では回避できなかったんだし、交通事故みたいなものだと思って許してほしい。
そんな出産を経て腕に抱いた我が子は、くしゃくしゃで真っ赤な顔をしていた。
正直、可愛いとか愛しいとか、そんな感情は湧かなくて、ただただ、眠気と戦ってカンガルーケアをしたように思う。
配偶者はもちろん、配偶者の家族や、弟や妹たちも、我が子を可愛がってくれた。自分の両親には、一定のラインを引いてのお付き合いだったが。
配偶者やその家族との関わりの中で、私はぼんやりと思い描いていた家族というものを、具体的なイメージとして描くことができるようになった。
理想は待っていても手に入らない。自分で構築するものなのだと学んだ。
命がけ出産のおかげで子どもは1人しか得られなかったけど、自分が長女として苦しんだ場面を思い出すと、逆に良かったと思うことも大きい。
あとは単純に、私の腕は2本しかないから、抱えきれない自信しかなかった。
何かしらあった際、配偶者は自分で助かるだろうが、私は両腕で我が子を救いあげたいという気持ちが強かったのだ。
私の幼少期、誰も私を救いあげてはくれなかったから。
それからは飛ぶように日々が過ぎていき、子どもの成長って本当に早いんだなぁと思っているうちに、小学生になってしばらく経った。
あのときは中学校について悩んでたように思うから、恐らく子どもが5年生になる前くらいかな?
子どもと出かけた帰り、信号待ちをしていた交差点で、信号無視の乗用車に撥ねられて、あっさり死んだ。
咄嗟に子どもだけは突き飛ばしたけど、あっという間の出来事で、自分の体が潰れる、ぐしゃりと言う音を聞いてすぐ、意識はブラックアウトした。
痛みもなく即死だったのは個人的に幸いだったんだけど、あとになって考えると、これ見てた人はトラウマものだよね……。
どうか我が子が自分の母親の死ぬ瞬間を目撃していませんようにと祈るしかできない。頼むぞ神様的な存在。
と思っていたら、気づけばなにやら綺麗なガゼボのような場所に居た。庭に誂えたお茶するためのスペースみたいな……やっぱりガゼボ?
キョロキョロしていたら、真っ白い服を着た人がテーブルに着いた状態で手招きした。
すごく不審だったので後退りしたら、今度は突然現れた真っ黒い服を着た人に後ろから羽交い締めにされて、真っ白い人と同じテーブルに連行された。なんなんだ。
「やぁ、気分はどうかな」
真っ黒い人に椅子へとぐるぐる巻きで固定される私へ、何事もないように真っ白い人が声をかけた。
「……さいあく、です」
ぐるぐる巻きが不服であると主張しておく。いや、これで最悪じゃないやつ居ないでしょ?!
「あぁ、でもそうしないと、君は話も聞かずにどこかへ行くでしょ」
「……」
反論できないので沈黙で返す。なんで私が脱走するってわかるんだ。そんな落ち着きの無い顔をしてるだろうか……。
私を固定し終わった真っ黒い人が離れると、真っ白い人は納得したように一つ頷いてから、テーブルのカップに手をかける。
「ごめんね、この固定はどうしようもないんだけど、それ以外はどうかな。気分は悪くないかい?」
……これはもしや、さっきの事故について確認されているのだろうか。
「そうだよ」
ガタっと私の固定された椅子が揺れる。立ち上がろうとして出来なかった音だ。
「ここは君がさっきまで居た場所とは少し違う、だけど全く違うとも言えない場所でね。僕はそう……管理人のようなもの」
優雅にカップを傾けながら、真っ白い人は言う。
「ごめんね、少し操作を間違えてしまって。君は本当なら、まだあの場に居たはずだった。けれど、もうあの場へは戻れない。体が破損したからね」
今度は私の頭が真っ白になる番だった。
間違えた? 本当ならまだあの場に居た、はずだった? でも、もう戻れない?
何も言えない私をどう思ったのか、真っ白い人は続ける。
「あの場へは戻してあげられないけれど、その代わり、次の転生先での希望があれば、一つだけ叶えてあげるよ」
きっと、天寿を全うした後の提案であれば、嬉しかったんじゃないかと思うんだけど。今の私には、あまり魅力を感じない提案だった。
なぜなら私は、別に生まれ変わりたいとは思わないからである。もちろん、現世に未練がないわけでもないが、そこまであるわけでもない。
子どもの将来を見守りたかった気持ちはあるが、残された配偶者や、弟や妹たちが、しっかり見守ってくれるだろう、たぶん。
早かれ遅かれ、親は子どもより先に死にゆくものだ。まぁ今回に限って言えば、平均より早すぎたかもしれないが。こればかりは乗り越えるべき壁である。
「驚いた。こんなに未練のない人間も珍しい」
私は何も答えていないのに、またもや真っ白い人は勝手に人の心を読んでいるようである。
「これはちょっと……困ったな。何かない? どんなことでも良いから、ほら。叶えてほしい願い」
テーブルにあったクッキーで、真っ白い人が私の口元をぐいぐい押してくる。なんだこれ。やめ、やめろ! ……切実にやめてほしい。
「よーく思い出して。何か一つくらい、あるだろう?」
私の口元がクッキーの粉だらけになった頃、ふと思い出した。
一つだけ、なくもない。
「良かった! あるんだね」
真っ白い人は心底良かったと言うように、深く息を吐いた。
「ミスだけならそこまで問題にならないんだけど、補填無しで次へ飛ばすと、始末書が必要だから、助かったよ」
なんかめちゃくちゃ業務だな。管理人業務たいへんそう。
「それで、君の願いは?」
真っ白い人の声に、考える。一つだけ、あるにはあるんだけど、これって相手ありきだしなぁ。なんか一方的に願うのも違う気がする……。よし。
「人と、約束したことがあって。でもそれは、相手も同じように願ってくれてないと、お互い不幸なので。だから、その人の願いを叶えてください」
「えっ自分じゃなくて、他人の願いを叶えるの?」
「はい。私と約束した人の願いを叶える。これが私の願い」
真っ白い人はヘンテコな顔をしたけど、わかったと頷いてくれたので、叶えてくれるだろう。
願わくば、約束したあの人が、私と同じことを願ってくれますように。
「うーん、じゃあとりあえず、君については一旦保留ってことで」
そう言って真っ白い人が手を一振りするのを見ながら、私の意識はホワイトアウトしたのである。
ここで、約束した人物について説明しようと思う。
私は家庭環境はアレだったが、友人関係については幸い、とても恵まれた。正直、ここで人生の大部分が補完されてたんじゃないかと思う。
本当に良い友人に恵まれ、困った場面には必ず誰かが助けてくれたし、生きるための術や道を示してくれた。
多くの友人の中で、とくに仲が良かった人物。それこそ、件の約束した人物である。
彼もまた、家庭環境には私とは別ベクトルで恵まれなかった人らしく、あまり家に寄り付かない人だった。
頭が良くて、懐が広く、気前も良くて、気安くて、たぶん友人の中で一番仲が良かった、と私は認識している。
私も彼も酒が好きで、近所に住んでいたこともあり、よくご飯や酒を持ち寄って過ごした。
こうしていつまでも、好きなように楽しいことだけをして過ごして居たいと思ったことも多々ある。
だけど私は、普通の結婚をすることを選んだ。
私が結婚すると話して、一番驚いていたのは彼だったように思う。
なんで? と会うたびに言われ、私も驚いてるんだから何回も同じこと聞くな、と笑ったのを覚えている。
彼のことは好きだった。良い友人であり、悪友であり、家族のようにすら思っていた。
けれど、彼と結婚しても、私の欲しがる普通は手に入らない。
だから彼とは、彼とだけは、絶対に結婚できなかった。
「生まれ変わったら結婚しようね」
私はいつしか、そう繰り返すようになった。
だって、結婚は家族の繋がり。どんなに好きな人と結婚しても、普通がほしい私では、普通が得られない。
私が戯れのように繰り返すたび、彼は答えるでもなく、否定するでもなく、ただ、曖昧に笑った。
「約束だよ」と言うたびに、口元を歪めて頷いていたから、あれは誰が何と言おうと、約束なのである。
意識が覚醒すると、見知らぬ天井を見上げていた。跳ねるように起き上がり、自分の状態を確認する。
どこも痛くない、異常もなさそう……だけど。
なんで全裸???
覚えがない。もしかして私は、自覚のない裸族だったのか。ショックすぎる……。
辺りを見回しても、私の服らしきものは見当たらない。なんでだ。そのへんにポイポイしたんじゃないのか。もしやこの部屋に来る途中で全部脱ぎ捨てて来たとか? それならもう人生詰みである。
シーツを引き上げ、体に巻きつけながら、外を見る。うわぁ。どこだここ。
なんで窓に鉄格子? えっ、あの精神的なアレの人が入るやつ??
状況が状況だけに震えてしまう。深刻な裸族は檻に入れられてしまうのか?!
あぁ、あんなに良い天気なのに……私は檻に収監されているんだ。
絶望的な気持ちで今後を憂いていると、ノックもなしにドアが開いた。
驚いて固まる私を余所に、闖入者は平然とした顔で近づいてくる。
「気分はどう?」
これ前にも聞かれた気がするけど、どこだっけか……いや、答えは一つしかないんだけど。
「さいあく、です!」
混乱のあまり涙すらこみ上げてくる。これは怒りか羞恥か、あるいは両方か。
「そう、俺は最高だけどね」
うっそりと笑いながら私の頭を撫でる。これは。この、手は、そう。彼の。
「服が無ければ逃げられないだろ?」
いや、こんな鉄格子の付いた窓でどうやって逃げるんだよ。服が無い以前の問題だよ。
思わず絶句する私に、頭を撫でていた彼の手が頬へ滑る。なぞるように、形を確かめるように。
「結婚しような?」
蜂蜜を煮詰めたような、甘ったるい瞳をした彼が言う。そうか、あれは夢じゃなかったんだな。
「とりあえず、あの。服、もらえませんか?」
小さくなって服を要求した私に、彼はただ、にっこりと笑った。
いや、服無いと困るよ! 逃げる云々の前に、風邪ひくじゃん!!
とにかくひたすら頼み込んで、渋々と差し出されたナイトウェアを着させてもらい(!)、ベッドに並んで座った。この部屋、ベッドしかないので……どう考えても監禁部屋にしてはグレードが低すぎる。
信じられない話だが、ナイトウェアを自分で着ることは許されなかった。もちろん、侍女が着せてくれたわけでもなく。
この時点ではほぼ初対面の彼の手で、着せてもらった。意味がわからない。
いや、自分で着ようとしたんですけどね。許してもらえなかったんです。差し出されたナイトウェアを受け取っても、その手を離してもらえなくて。……なんで?
絶対に自分が着せると主張して、服を渡してくれない暴君に折れた私が、目を瞑る条件で譲った形である。譲ったったら譲った。私が譲歩したのである。
この人、こんなだったかな? と首を捻りすぎて落ちそうと思いながら、現状について考える。
真っ白い人のところで意識がホワイトアウトした後、私はどうやら転生したらしい。
三歳で罹った流行り病の高熱に魘されながら、前世のことを思い出したのである。これはたぶんタイミングとしては最高だったんじゃないかな。ネット小説でよく見たが、前世を思い出した人物はだいたい高熱を出すので。
前世からは考えられないくらいに恵まれた、普通の家庭。少しだけ違ったのは、世界。
転生先は異世界だった。今流行りの異世界転生ってやつ。
ネット小説でよく見た、中世ヨーロッパ風の世界だけど、普通に上下水道が整備されてるし、お風呂にも入るし、年度は四月から始まるので、もしかしたら私の知らない乙女ゲームの世界かもしれない。
私は古き良き伯爵家の末娘として生まれて、両親や兄たちに可愛がられて過ごした。
それはそれは愛情たっぷりに可愛がられたため、ルートによっては天上天下唯我独尊傲慢我儘娘になる可能性は大いに有ったのだけど、幸いというべきか、前世の記憶があったので、めちゃくちゃ可愛がられるだけの普通の娘として育った。
両親も兄たちも、溺れるくらいに愛を注いでくれた。私は前世の幼少期をやり直ししているような気持ちになりながら、幸せに成長した。
そうして妙齢の子女は成人する頃にデビューするのだけど、家族大好き人間になった私は意地でも実家から出たくないと頑なにデビューしなかったのである。
だって、家族もずっと家に居れば良いって言うし、最終手段は婿を取って余ってる子爵を継げば良いって言われたら、そんなんもう絶対に実家に骨を埋める! って決意するでしょ。
その結果、先延ばしにしまくったデビューを、とりあえず国王陛下に顔見せだけはと説得され、昨晩ついに年貢を納めたと言うわけだ。
年下の女の子に交ざって白いドレスを着るなんて、なんの罰ゲームかと思いました。ハハッ。
平穏にデビューだけ済ませて、あとは領地に引っ込んで、ひっそりと婿でも取って実家からスープも冷めない距離で暮らそうと思っていたのに。
まさか転生して最初で最後の王都にて、彼に再会するとは思わなかった。
前世を思い出したとき、約束のことももちろん思い出した。でも、相手ありきの約束だし、そもそもまた出会えるかわからなかったので、スルーした。
だって、生まれ変わったらとは言ったけど、それが何回目かは明言しなかったので、無効じゃない?
まさか一回目で遭遇できるとは思わなかったので。
つまり、今この状況を作り出したのは間違いなく私ではあるんだけど、これは決して私だけが悪いのではなく、であるからして……。
ぽすん、と背中に柔らかな存在を感じる。
「え?」
気づけば私は彼越しに天井を見上げており、恐らく私が思考してる間に押し倒されたのだと思われる。
「何を考えてる?」
ひんやりした声で(物理的に)上から声が落ちてくる。なんか本当に、結論から行動から、全てが早すぎて驚かされっぱなしである。
あらゆる判断が早すぎて戸惑うどころではない。ほんとに、誰だこれ。彼に違いないのはわかる、でも、あまりにも前世と違いすぎて……別人レベルなんだけど。
「……きみのことを考えてたよ」
「きみだなんて、他人行儀だな」
「だって、名乗ってもらってないもの」
そう、一目見て彼だとは理解したけれど、私も彼も、現世ではまだ名乗りあっていない。だから、名前がわからないのだ。
「私はジゼル。ジゼル・ギャルソン。ギャルソン伯爵家、長女」
淑女の礼をするべきかと逡巡したが、日本式に右手を差し伸べる。押し倒されながら差し出す片手、めちゃくちゃカッコ悪いな。
すると彼は一瞬だけ瞠目した後、にっこりと笑いながら私を引き起こして座らせる。そして両手で私の手をしっかりと握って名乗った。
「俺はヴィンセント・フォスター。フォスター公爵家、嫡男」
高貴な顔してるなぁとは思ったけど、公爵家ってつまりあれ。我が国に一つしかない、王弟殿下の……嫡男?!
「お目にかかれて光栄です、またお会いできることを願うばかりです、それでは」
私はさっさと退散しようと握られた手を外そうと……外そう……手を……外したい……全然外れないんだけど?!
なんならますますしっかりと握られてしまい、もうどうやっても外れそうにないし、でも痛くないのはなんでなの。手加減されてるの?
「ジゼル……ジゼルか。良い名だ、よく似合ってる」
嬉しそうに、うっとりとした顔で私の握り込んだ右手を開かせて、恋人繋ぎにされる。ひぇ。絶対に逃がさないという強い意志を感じる。
「フォスター様は」
「ヴィンセント。ヴィンスって呼んで」
「でも」
「ヴィンス」
とりあえず交渉しようと呼びかけた私の勇気をボキボキに折られて、なんなら愛称呼びまで押し付けられた。無言の笑顔がそれ以外は認めないと言外に強くアピールしてくる。こわ。
「……ヴィンス」
「なに?」
それはそれはきらきらとした笑顔で彼が答える。なんだよもう。間違ってたから正してあげました、みたいな態度をやめろ!
「さっき、ヴィンスのことを考えてたんだよ」
悔し紛れに先ほどの追及について答えると、彼は驚いた顔をした後、蜂蜜をたっぷりとかけたように甘い甘い顔で笑った。
「俺もジゼルのことだけ考えてるから、両思いだな」
絶対に違う!!
本当に、この人はどうしてしまったのか。たしかに生まれ変わって別人とは言えど、こんなにも変わってしまうものなのか。
頭のネジが5本くらい抜け落ちたんだろうか? そうとしか考えられない変わり具合だ。前世の姿からは想像もできないくらいに劇的ビフォーアフターである。
「それで、いつ式を挙げる?」
「……えっと、とりあえず、まずは婚約からじゃない?」
「いや、もう一晩過ごしてるから、あとは挙式だけだ」
展開が!! 早すぎる!!!
外堀埋めるとかすっ飛ばして、もはや既成事実作られてる!! もちろん承諾なしで!!
次期公爵なのに慣習ぶっ壊すのやめて!
つまり、状況から察するに、昨晩の夜会後、ほぼ間違いなく拉致された私は(事実はどうあれ結果的に)彼と一晩過ごしたことになり、ゴリッゴリに既成事実が打ち立てられているため、あとは辻褄を合わせるだけ、ということ……。
「待ちくたびれたと思っていたから、丁度良い。恨むなら、さっさとデビューを済ませなかった自分を恨めよ」
私の髪をくるくるしながら流し目を寄越す彼は、見た目だけなら王子様みたいなのに、言ってることとやってることは完全にヤクザなのだ。
まるで早くデビューしていればこうはならなかったと言わんばかりだが、このスピード感ならいつデビューしても結果は同じだったんじゃないかな……。
「……ヴィンスが、探してくれたら良かったのに」
「探した」
「えっ」
「王都中を探したし、国内も広く探した。最近は国外にも足を伸ばしていた」
「うそ」
「本当だ。だけど家ぐるみで隠されたら探しようがないだろ。俺は公爵家嫡男だから、嫁探ししてるんだと思われたのか、公爵家に輿入れできるような娘は居ないと返事をされた。今回の家族には、恵まれたようだな」
なるほどね。お父様、私を嫁にはやらんと豪語していたし、十分にあり得る。
「公爵家嫡男から相手を探してると言われたら、それは嫁探ししてると思われるよ」
「婿に入っても構わないと書き添えていたんだが、信用されなかったらしい」
「それはそう。だって公爵家どうするの」
「弟が継げば問題ない」
次期公爵の地位を物理的に投げ捨てて、伯爵家に婿入りするような嫡男が居るとは、誰も思わないだろ!
「私、今の家族のこと、大好きなの。だから、ずっと家に居るって決めてるの」
「構わない。ジゼルと結婚できるなら、身分なんてどうだって良い」
「身分はどうでも良くないでしょ。いや、身分自体はどうでも良いけど、お風呂の無い庶民生活は無理」
「……それは同感」
やっぱり。彼は昔から、お風呂や衛生面に関する価値観が私と同じなので。転生して、貴族で良かったと思ったに違いない。
「……ヴィンス、お父様に殴られるかも」
「ジゼルと結婚できるなら、一発や二発、どうってことない」
そうかなぁ。絶対痛いと思うんだけども。
お父様、昔から私の結婚相手を殴るために、かなり鍛えてるんだよなぁ。右ストレートだけ。
「初手が婚前交渉とか、第一印象最悪すぎるね」
「絶対に結婚したかったからです、とでも伝えるよ」
「悪辣すぎる」
「それはどうも」
「褒めてないけどね」
どちらともなく、笑みが溢れた。なんだか、昔と何も変わらなくて。
ただ、彼の顔立ちがえらく高貴になって、私の顔立ちも、前世とは比べ物にならないくらい、美少女になったけど。
「やっと、結婚できる」
軽々と私を抱き上げたヴィンスが、ぎゅうぎゅうと隙間なく抱きしめる。ちょっと苦しい。
「長かった……」
「そんなに結婚したかったの?」
「あぁ」
「でも前はそんな、乗り気じゃなかったじゃない。いつも返事しなかったし」
「そりゃ、既婚者に何を言っても無意味だろ」
「それはそう!」
「なんで俺以外と結婚したんだよ。俺とすれば良かっただろ」
「だって普通の家族が欲しかったんだもん」
私の返事にヴィンスがクソデカ溜息を吐く。そんな……そんな呆れたような顔するなよ! 高貴な顔立ちだからって……めちゃくちゃ様になってるだろ!
「それなら、今回なら大丈夫だな?」
「うん。でもごめん、公爵家に嫁入りは無理」
「知ってる」
「お兄様が居るから伯爵家は無理だけど、余ってる子爵なら相続して良いって」
「それも知ってるし、ウチの余ってる爵位ならどれでも使える」
「ひぇ……」
「だから、観念してくれ」
いつかのように、曖昧に笑った彼は、だけどはっきりとこう言った。
「生まれ変わったから、結婚しよう」
私は堪えきれない喜びを全身で表現しながら、彼の頬にキスをして返事した。